6-6 クラーケンを追い払え
時は少し遡る。
お堅い里の住人たちの中でも、とりわけ真面目な門番レオに導かれるがまま、ダガンは寒々とした海魔の里の中を泳いでいた。
父の故郷でもある海魔の里でダガンが暮らしたのは、十年にも満たぬ短い時間だ。一応は幼少期を過ごした場所ではあるが、懐かしさも慕わしさも、かけらも感じない。周囲を見るまでもなく氷のような視線がぐさぐさと刺さってくる上、出来損ない、忌み子と囁く声があちらこちらから聞こえてくる。相変わらず陰気な里だとうんざりしながら、ダガンは前だけを見て尾びれを動かした。
海魔は基本的に閉鎖的で排他的だ。外敵を恐れ、変化を嫌う。他の里の海魔と番になるだけでも大ごとなのに、よりにもよって人間と恋に落ちた父は、里の汚点として嫌われていた。その子であるダガンに至っては、穢れた人間の血を継ぐ半魔として、里の連中からは嫌悪と侮蔑の眼差しを注がれた記憶しかない。こればかりは、早くから人間として生きると決め、海の底へと降りてこなかった妹の決断を、英断だと讃えたいくらいだ。
「ヤドリギを何に使う」
前を泳ぐレオが、興味もなさそうに口を開く。
「関係ないやろ」
ダガンは一言で切って捨てたが、レオは嘲るように唇を歪めて、言葉を継いでくる。
「連れの人間、腕が死んでいたな。陸魔の呪いが手首に見えた。あの人間の呪いを移すために使うのだろう。違うか」
何年生きているかも分からぬだけあって、さすがにレオは博識だ。ダガンの持っている知識の何割かは、昔この門番から教わったものであることを思えば、別段驚きはしなかった。
ぐっと言葉に詰まったダガンを憐れむように見やって、レオは大袈裟に肩を竦める。
「腹黒い人間に惑わされ、いいように使われるとは。血は争えないな」
「色ボケ親父と一緒にせんといてくれるか。アステラには、散々助けられた借りを返しとるだけや」
「それが真実なら、俺は今ここで貴様を教育し直さなくてはならないだろうな」
心底馬鹿にしたようにそう言って、レオはダガンに身を寄せてきた。何のつもりかと仰け反るが、レオは開けた分だけ距離を詰め、ダガンを逃がしてはくれなかった。
鼻先に指を突きつけてきたレオは、気難しい偏屈爺そのものの口調でダガンを責め立ててくる。
「あの人間からは、貴様の血の気配がしたぞ。人間が平気な顔をして海にいるということは、涙も与えたのだろう。他に何を与えているやら分かったものではないな。いくら出来損ないの半魔とはいえ、貴様も一時は里で暮らした海魔の端くれだ。心を捧げてもいない相手にその身を与えるほど愚かだとは思いたくない。これ以上失望させてくれるな」
「俺のものを誰にやろうが、俺の勝手や。自分ら流に言うなら、俺の血は穢れた血なんやろ? なおさら関係ないやろが」
「災厄を呼ばぬ限りはな」
冷たく告げられた一言に、ダガンはぐっと言葉を詰まらせる。
里に住んでいた子供のころ、ダガンは海で溺れていた人間を気まぐれに助けたことがある。悲しいかな、まだダガンが、人間という生き物の欲深さも、海魔という種族の頭の固さも満足に知らなかったころの話だ。
ダガンが救った人間は、かつてのダガンが幼い海魔と見るや否や、目の色を変えて追い掛け回してきた。必死に逃げたダガンは、何を考えることもなく海魔の里へと逃げ込み――結果、人間に里の位置を知らせた罪で、父親ともども追放された。
結果だけ見れば誰一人として傷つくこともなく、海魔の巣へと飛び込んできた人間たちが、自業自得の死を迎えただけの出来事だ。けれど、里に住まう海魔たちは、ダガンを決して許さなかった。
ただでさえ里中から疎まれていた半魔の、普通の海魔ではありえない好奇心や親切心は、石頭の海魔たちにとっては到底受け入れがたいものだったらしい。彼らは人間が海魔の里へと足を踏み入れたその出来事を災厄と呼び、原因となったダガンを、忌み子と呼んで排斥した。
「忘れるな、ダガン」
嫌味にわざわざ名前を呼んで、レオは重々しく釘を刺す。
「貴様が親切ごかして人間を助けたその浅慮が、かつて人間に里の場所を知らせ、我々の命を危険に晒す結果となった。……人間を信用するな」
声を低めてレオは言う。生真面目な声音で語られるそれは、嫌味というよりは真摯な忠告のように聞こえた。
「魔族と違って脆い分、人間は狡猾で、息をするように小狡いことばかりを考える。あの金髪の人間が貴様の何だろうと構わないが、自分の始末は自分でつけろ。幼子だった以前は追放だけで済ませたが、次に災厄を呼び込んだその時は――」
「いちいち念押しされんでも分かっとる」
脅すように語られる言葉を聞いていられず、ダガンはレオの言葉を遮った。
「こんな息の詰まる場所、連れの命がかかっとらんかったら、二度と来る気もなかったわ。いる物手に入れたらとっとと出てくし、もう来ぉへん」
「……分かっているなら、それでいい」
それ以上の言葉を交わす気はないのか、それきりレオは口を閉ざした。
やがて、里を外界から隔てる岩の壁の前で、レオは動きをぴたりと止める。
「――着いたぞ」




