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5-2 終末の七日間

 痛い。熱い。苦しい――!


「アステラ、おい!」

「あ、うああぁ!」


 何かが体内で暴れ狂っていた。ぐらりと傾き、海へと落ちかけたアステラの体を、慌ててダガンが支えてくれる。

 全身がばらばらになりそうだった。息もできぬほどの苦痛で、口から勝手に悲鳴が漏れていく。ひゅうひゅうと喉がおかしな音を立てて、目の前が涙で滲んでいった。

 痛みの中心は右腕だった。わけも分からないまま、アステラは体を丸めて痛みに耐える。


「何か、が……腕に……!」

 

 呻きながら、アステラは縋るようにダガンの腕を掴む。険しい顔をしたダガンは、急いでアステラの袖を捲り上げた。服の下から現れたものを目にして、二人は同時に息を呑む。


「へ、び……?」

「……呪いや」


 イリヤに焼き付けられた蛇とイバラの刺青が、動いていた。まるでそれ自体が意思を持っているかのように体積を増し、ぼこぼこと肌を隆起させながら、アステラの皮膚の下を動き回っている。内臓を直接撫でられているかのような不快感と、目の前がちかちかするような強い痛みに、気づけば全身は脂汗でしとどに濡れていた。

 皮膚の下を不気味に動き回るだけでは飽き足らず、イバラは蛇を追うようにくるくると先端を伸ばして、その面積を広げていく。刻まれた時には薄く上腕を覆うだけだったタトゥーは、いまやびっしりとアステラの上腕を覆ったどころか、肘の先にまでその先端を伸ばしかけていた。


()()()()()。今までは眠ってただけか。ほんまクソみたいな呪いやな」

 

 じっと呪いを睨みつけながら、呻くようにダガンは吐き捨てる。


「刻まれてから今日で七日目。お前が死ぬまであと七日。さしずめ『終末の七日間』か? 悪魔のくせして神樹気取りか、あの性悪」

「終、末……?」

「デカいだけやった木が、神に成り上がるまでの話。聞いたことないか?」


 世界を支える神樹は、かつて世界の終末が訪れたとき、世界中に根を伸ばしながら、一日一つ、合計七つの試練を人に与えたという。神たる大樹は、生き延びた人間だけを自らの根の上へ招き、生かすことにした。


「『苦痛に耐えられなくなったら呼べ』ってあの性悪悪魔は言うたんやろ。これ全部、あいつからお前への試し――つまるところ、嫌がらせなんやろ」

 

 楽しんでくださいね、と笑い混じりに告げたイリヤの声を思い出す。

 さすがは悪魔。意地が悪い。

 笑い飛ばしてやりたかったけれど、体を襲う激痛は、意味ある言葉を紡ぐことさえアステラに許してくれなかった。

 皮膚の下を這い上がり、首元に巻き付いた蛇が、戯れのように喉に噛みついてくる。途端に、首を絞められているかのような痛みと息苦しさがアステラを襲った。


「ひ……っ、ぐっ」


 息ができない。喉を押さえて呻くことしかできないアステラを見て、苦りきった顔をしたダガンは、素早く指の腹に歯を立てた。ぷつりと皮膚を噛み切る音が聞こえた直後、アステラの口元に、血の滲むダガンの指先が押し付けられる。

 震える舌先を伸ばして、アステラはダガンの血を一滴舐め取った。しかし、吐き気を堪えて飲み下しても、その血はいつものようにアステラを助けてはくれない。それどころか、他者を頼ったことを咎めるように、蛇はますます激しくアステラの体内を這い回ってきた。


「い……っ、あぁ!」

「……ダメか。呪いは、毒でも病でもあらへんからな……」

 

 らしくもなく深刻なダガンの声を聞いていると、途端に不安になってきた。死にかけたことなんてこれが初めてでもないというのに、終わらぬ苦痛が無性に恐ろしく思えて、視界が歪んでくる。

 情けなくも目尻に滲んだ涙を、ダガンの指がそっと拭っていった。


「ダ、ガン……」


 痛い、と言葉に出さずに呻く。泥に引きずり込まれるように意識を飛ばしかけたその時、そっと両腕を引かれた。そのままぐいと体を持ち上げられたかと思えば、アステラはダガンの背におぶられていた。


「足の、怪我が――」

「言っとる場合か。とっくに治ったわ、あんなもん」

 

 一歩、二歩と危うい足取りで進んだ後で、要領を掴んだらしいダガンは、アステラを背負ったまま、危なげなく歩き始める。海で世話になるならいざ知らず、陸でダガンに体を預ける日が来るとは思わなかった。いつも見送るばかりだった背が、こうも近くにあることが、急に不思議に思えてくる。

 あたたかな体温を意識した瞬間、くらりと意識が遠のいた。


「ご、めん、俺――」


 落ちる。

 苦痛で視界が暗くなる中、朦朧と呟くと、ダガンは一言、ぶっきらぼうに呟いた。


「寝とけ。休めるところまで連れてくわ」

 

 休めるところ。宿か。それとも妹の家か。羨ましい。途切れ途切れに、詮無い思考が浮かび上がっては沈んでいく。

 ダガンが兄だったら。父だったら。家族だったら。あれこれ口実をつける必要もなく、期限付きの道連れなどでもなく、当たり前みたいにそばにいられるのか。全部が全部、羨ましい。

 焼けつくような妬ましさを感じた直後、ぷつりとアステラの意識は途切れていた。

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