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5-3 薬は嫌い

 次に目を開けたとき、アステラは狭い寝台の上に寝かされていた。

 見覚えのない天井をぼんやりと見上げていると、かたりと椅子から立ち上がるような音がして、誰かがアステラの顔を覗き込んでくる。


「あ、起きたん? よかったわ」

 

 綺麗な薄紫色の目をした、中年の女性だ。

 どこかで見た色だと思えば、ダガンの片目とまったく同じ色だった。髪も見慣れた銀色だけれど、鳥の巣のように荒れているダガンのそれとは違って、女の髪には、丁寧に手入れされた髪特有の艶がある。歳を重ねたきつめの顔立ちには、ダガンをそのまま女にして、二十年くらい歳を取らせたらこうなるかもしれないという面影があった。


「少し顔に触らせてもらうで。具合、診させてな」

 

 神職者のローブをまとったその女性は、医者が患者にそうするようにアステラの瞼を引っ張った後、首元で脈を確かめるような仕草をすると、ぐっと眉間に皺を寄せた。


「痛み止めは後から作るとして、せめて熱冷ましだけでも先に飲んでおこうか。そのままやとしんどいやろ。……ほら、口開けて」

 

 言葉は聞こえていたけれど、意識が朦朧としていて、何を言われているのか理解できなかった。

 どろりとした液体を薬さじで掬った女は、その後も何度か繰り返しアステラに声を掛けてきた。けれど、一向に口を開けないアステラに焦れたのか、とうとう唇へ薬さじを押し当てると、そのまま薬を流し込もうとしてくる。


「ごほっ! ……ぅ」

 

 何かを飲まされたと理解した瞬間、咄嗟にアステラは顔を横に向け、流し込まれた薬を吐き出していた。

 考える間もない、反射的な行動だ。子供のころに毒を盛られて以来、他人に与えられるものは、体が受け付けなくなっていた。液体状のものはその最たるものだ。店で食べるものや自分で作ったものならともかく、見ず知らずの他人に与えられた得体の知れないものを、飲み込めるはずもない。


「大丈夫。少し苦いけど、ただの薬やで」


 女が宥めるように言うけれど、何度口に運ばれても、飲みこむことはできなかった。三度試して諦めたのか、女はため息をついて離れていく。


「……あかんわ、お兄ちゃん。この子全然薬飲まれへん!」

「はあ? 何やて?」

「お連れさん起きたって言うとんの!」

「絶対言うとらへんかったやろ、今」

「細かいことはええから、はよ来てや!」


 何やら賑やかに話す声を、アステラは夢現(ゆめうつつ)に聞いていた。

 全身の痛みはひどくなるばかりで、一向に治まる気配がない。半分落ちかけた意識の中で、アステラは己を守るように身を竦めた。

 直後に、ふっと真上に影が差す。前髪を無造作に払われたかと思えば、耳に心地よい、低く穏やかな声が聞こえてきた。


「……寝とるやないか」

「起きとるわ。目ぇ開けとるやろ」

「焦点が合っとらんものを起きとるとは言わんねん、オクタヴィア」

「お兄ちゃんはいちいち細かいねん! なんでもええから、ちゃんと見てあげてや。熱冷ましだけでも先飲ましてあげた方がええと思うんやけど、この子、全然口開けてくれへんの。飲ませようとしても吐き出してまうし、困ったわあ」


 ダガンがふたりになったようなやかましい会話が、一枚膜を隔てたようにうっすらと聞こえてくる。ぼんやりと上を見上げていると、今度は薄紫と濃い蒼色の、二色の瞳がアステラを覗き込んできた。

 

「アステラ。起きとるんか? 口、開けられるか」

 

 名を呼ばれると同時に、顎に無骨な指が触れる。

 ダガンの指だ。いつもアステラを助けてくれる、ダガンの手。迎え入れるように薄く口を開くと、ダガンはぴくりと指を振るわせ、訝しげに後ろを振り向いた。


「ちゃんと口開けるやん」

「嘘。私のときは開けてくれへんかったのに!」


 ダガンに並んで、先ほどの女がアステラの顔を覗き込む。耳に髪をかけながら、「……ほんまやな」と女が面白くなさそうに呟いた。

 

「ええ子に口開けて待っといて、鳥のヒナみたいやね。そのまま薬も飲ませてあげて、お兄ちゃん」

「どれや。まさかこの紫色のドロドロしたやつか? こんなん俺でも吐き出すぞ」

「どう見たってそれ以外に薬ないやろ。私の調合に文句あるんか? 二匙分、はよあげて!」

「分かっとるから、急かすな。……ほら飲め、アステラ」


 再び、先ほどと同じ冷たい薬さじの感触が口内に入ってくる。咄嗟に顔を背けると、苛立ちを隠さない舌打ちが降ってきた。


「薬やって言うとるやろ。とっとと飲まんかい」


 さっと匙が伸びてくるたび、アステラはそれをかわすように顔を背ける。


「……お前、わざとやっとるんちゃうやろな」


 二度、三度と同じことを繰り返すと、とうとうダガンは我慢の限界に達したらしい。ぐっと顎を掴むと、アステラの顔を無理やり固定してきた。せめてもの抵抗として固く口を閉ざすと、ダガンは苛立った様子で引きつった声を漏らす。


「あーあー、知っとったわ。お前こういうの無理やり飲まさな、ちっとも飲まれへんもんな。そっちがその気なら、手段は選ばんからな。あとでいちゃもんつけるなよ」


 かちゃりと匙を置く音がした。唇を開かせるように顎を下げられ、顔の角度を無理矢理変えさせられる。

「なんでお兄ちゃんが飲むん」と不思議そうに呟く声が聞こえた直後、鼻を摘まれ、唇に柔らかな感触が重なった。

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