2.11
春来祭へ向かう時、俺は非正規ルートからこっそり出てきた。
つまり、こっそり帰って「今日は少し気分が悪い」等々、母上から賜った体質のせいにして部屋にこもってしまえば1晩の猶予は得られるはずである。
翌日起きたらなぜか髪が短くなり首にも痣が浮かび上がっていた――そんな摩訶不思議な出来事にして諸々ごまかそう。こちらの方が一層アスターの最期との関連性を持つような気がしないでもないが、それ以外に案が浮かばなかったのだ。
だから早々に所在確認をしてきた相手に「ちょっと気分が…」と回答した。
その結果、
「説明していただけますか」
回答が終わる前に扉をこじ開け部屋に押し入った執政官の前にしょんぼりと正座をすることとなった。俺の周りの人間は、なぜこうも扉をこじ開ける技術に長けているのだ。扉、そして鍵の存在意義とは。
いつも叱られるときは正座をするように言われる。反省の態度云々ではなく、とっさに逃げられない姿勢だからだ。毎回しぶしぶしているものだが、今回に限っては自主的である。
なぜって?
簡単なことだ――相手が、ものすごく怒っている。
「……誰から聞いたんだ」
「クローブ様からです」
「どっち…」
「両方です」
うう、とうめき声を出してしまう。何もこんなに早くこの男に言わなくてもいいだろうに。ただでさえ爺さんのことで気が立っているのだ。刺激しないでほしい。
「誰に首を絞められたか、顔はご覧になったのですか」
「それどころではなかった」
「誰かに追わせようと思わなかったのですか」
「それどころではなかった」
「陛下、」
「確かに悪手ではあったが追える状況では」
「おひとりで赴いたのがそもそもの間違いです」
正論でしかないので押し黙る。きっといつものように俺を真っすぐに見やっているのだろうが、恐ろしくて見られない。あの深い紫が、同じだけの深さの激情を湛えうることを知っているから。
「前公爵のことは、もちろん理解されているのですよね」
「…爺さんの手口じゃなかったんだ」
「彼の方以外でも貴方様に害をなそうとする者がいることも、ご理解いただけていますよね」
「絞め殺すなんて時間のかかること、刺客がするとは思ってもいなくて」
「ジスト」
心臓が冷える。血が凍る。そうでもなければこれほど体が動かなくなるわけがない。
「これまでは一定程度譲歩していましたが、その結果がこれならば考え直す必要がありそうですね」
「わかりやすく言うと?」
「部屋に閉じ込める」
「冗談でしょう………?」
そう言うのは流行らないと思うよと口元をひきつらせて言ったが、何の返事もないので恐る恐る表情を窺う。そして後悔した。やっぱり見なきゃよかった。
あの時と同じ表情をしている。
「従弟殿、」
「俺が冗談を言う質だと?」
「思いません」
相手につられて、つい昔の話し方に戻ってしまう。気分まであの頃に遡ったのか、不意に寒さが訪れる。ぎゅっと自分の手を握るが、先ほどまであった熱はどこへ行ってしまったのだろう、ただただ冷えた温度だけがそこにある。
「ですが、閉じこめるのは、やめてください。私はそれを望まない。受け入れればあの人と同じことを、また、するでしょう?」
「ジスト」
「あれは、私に何も与えません。だから探さなくてはならなくなるのです。ないものを探すのは、もう、御免です。それが嫌だから、こうして今ここにいるのに、」
「わかった、わかったから」
寒さに溺れそうになったところに柔らかく頭を撫でられる。
あの時欲しくて堪らなかったものとは違うが、それでも呼吸が落ち着くきっかけにはなった。
「……ご容赦を。あまりに腹が立ったものですから」
「――わかってる」
「わかっておりませんよ貴方様は」
どういう意味だと目で問えば何も言わずに頭を撫で続けてくる。流石にこの歳でこの扱いは気まずいのでやめるように言いたいが、こういう時は何を言っても聞いてもらえないことも知っている。
「私や他の者が貴方様の身を案じる理由が、あの方のそれと同じだと言っても信じないでしょう」
「……それは、そうだろう」
同じではない。同じなわけがない。
あの人が、あの人だけが俺と同じだったのだから。
もう一つの自分。分かたれた半身。
愛の言葉にしては陳腐なこの文言が不思議とすんなり受け入れられるくらい、我々は同一だった。
「あの方も、貴方様と同じようなことを言っていましたよ」
「それもまた、然り」
「他の者の言葉は受け入れないにもかかわらず、お相手がご自分と同じであるということを微塵も疑っていないところも、まったく一緒ですね」
「不満かい?」
「ええ、とても」
「そう、」
ごめんなさいと呟いて、それに対して見せた表情からきっとこの答えもあの人と同じだったんだろうなと。
そう、思った。
*************
「要するに、爺さんが関わっているかどうかまだはっきりしないということか」
「申し訳ありません」
「いやまあそう簡単に分かったら苦労はないな…」
ソリダスター家の誰かが俺に害をなそうとしたのではないか、その懸念だけでも拭いたいところだがそれもまだできそうにない。ラルゴにはああ言ったが、普通に考えて真っ先に疑うのはあの領地を治める者の関係者である。それでもあの爺さんが原因だと言い切ったのは、直前までアカンサ嬢を側妃に迎える件に猛抗議していたことと、後は何度も贈り物を受けたことで身につけた勘である。
一応こんなのでも、王族でありかつ現国王なので、俺に害をなそうとする者は須らく逆賊である。あの爺さんは俺の後ろ盾としてそうした「逆賊」を真っ先に糾弾する立場にある。それを何度か利用して気に入らない家を排除してきた、その実績があるからこその疑いである。おそらくソリダスター伯もそのことを知っていたのだろう。だいたいの家は自らの潔白を証明しようと大わらわになるのだが、彼の御仁は豪快に笑い飛ばしてきた。
そう言えば、ついでに何か都合の悪いことを言っていたよ、う、な…
「まさか本気で王城に来る気ではあるまい」
「ソリダスター伯のことですか」
「来ないと言ってくれ」
「最近孫息子に領地の経営などを叩き込んでいるそうですが」
「単に後進の育成をしているだけだろう?」
「だといいですね」
うぅぅと顔を覆って呻くが、いつものように掌は降ってこない。先ほどのこともあって今日は気を使われているのかもしれない。おまけで敬語も外してくれないだろうか。
「ついでにもう一つお知らせが」
「あ、いい。いい。結構だ。どうせ碌でもないことだろわかって、」
「クローブ様、御子息の方ですが、お師匠様に貴方様のことを相談すると仰ってました」
「嘘だと言って……」
「私が嘘を言う質だと?」
「思わん……」
げっそりして倒れ込むと、ふかふかのソファに柔らかく受け止められる。これも、特に見咎められない。今日は本当に甘やかされているらしい。
「熱が出たそうですが」
「いつものことだ。少し上がっただけですぐ下がった」
「無理をなさらない様に。多少ならと、貴方様がごまかしてきたことがばれたようですので」
「やっぱりかぁ黙秘したのに」
「バレン殿から再指導が入るでしょうが、耐えてください」
燃えるような赤髪の、おっかない侍医を思い出す。杖を持っているのにつくわけではなく、もっぱらいうことを聞かない子どもを大人しくさせることに使っていたあのご老体。実はラルゴの母方の祖父だと聞いて腰を抜かしたのは結構最近だったりする。
よくよく考えればクローブ家の長男はバレンと同じ髪色をしているし、顔つきもよく似ていたのでそれほど驚くことではなかったが、如何せんラルゴがかけ離れているのだ。話を聞いたときは思わず両者の顔を交互に見比べ続け、バレンから拳骨を食らった。ラルゴは何とも言えない顔をして、被害部位に氷嚢を当ててきた。どこもかしこも似ていなかった。
「ほんの微熱で一々寝てられるかよ」
「お気持ちはわかりますが。突如倒れ込まれることもありますでしょう」
「その前にお前が気づくだろ」
「ご自分でまず気づくようにしてください。今は特に、前公爵の件でお傍にいないことも多いのですから」
「そう言われてもなぁ。分かるときとわからないときがあるから」
「バレン殿について回ってもらいましょうか。それとも叔母上か。クローブ様お1人ではまだ貴方様の扱いになれていないようですので」
「…ラルゴに代理を頼んだの、まさか監視役を増やすためじゃないよな?」
「バレン殿に頼むことにしましょう。もともと師弟関係にあると伺っていますし、私や叔母上がお教えするよりずっと良いでしょう」
「何を教えるつもりだったのか、教えてもらえるかね??」
「まずはこの要件を片づけてきますので、しばしお待ちください」
「待たん、今すぐ教えろ。そしてその用件はきれいさっぱり忘れるのだ」
「無理を仰いますな」
久々に長く続く会話は楽しいはずなのに、内容がちっともうれしくない。
特に最後。……勘弁してくれ。




