17. カガセオ機関の裏側
「どういうことですかッ!」
冷たい蛍光灯の灯りの下。彼女は滅多に見せない激しい感情を表し、翡翠の瞳の老爺に食らいつかんばかりに詰問した。広いテーブルの天板ガラスは、その様子を克明に反射させていた。
「生命活動を停止したヘキサグラムが残され、マホロだけが姿を消しました。サポートシステムは――ルシファー・キューブは完全に欺かれた! 我々が施したアップデートは対ヘキサグラム用。彼女が独自に進化を遂げ、我々の高次干渉術式を妨害すると推測したため。それは正しかった、アップデートによりヘキサグラムによるシステム障害は回避できました。しかしシステムエラーは再度発生しました。つまり、我々とヘキサグラム以外にまだ高次干渉可能な存在があるということ! ホロス、あなたは言ったはずです。この機関はかの財閥の目すら欺き秘密裏に、厳粛に目的へ到達すると。ですが実態はどうです! 私に財閥の接触がありました。彼らは勘づいている! マホロの行方が知れないのも彼らが糸を引いているのでは――」
翡翠の瞳の老爺は骨ばった手で彼女を制した。反対の手は人差し指を立て、弓なりになった口許へ。
「……ホロス。私のことをまだ小娘だと思って――」
「年寄り相手に声を荒げないでくれたまえ。再生できるのは見かけだけなんだよ。可愛いクリス。そこの彼と違って私はそこまで自身の体に手を加えていない。」
ホロスは大きな咳払いをひとつ、さらに慈悲深く微笑んだ。
「クリス――いや、本音で話そうか。シャオレイ?」
しかし、口にする言葉には慈悲の欠片もないことは彼女のひきつった顔から明白だ。彼女はそれをよく知っている。老爺はもうとっくの昔に狂っている。憧れを果たすだけの人殺し《マーダー》に変わってしまった。あの日と同じ聖者の仮面をはめたまま、どんな犠牲も惜しまない。何が老爺をこんなにしてしまったのだろう。
「シャオレイ。君は非常に優秀だ。危機を察知する能力に長けている。君は君自身が危険にさらされていること――さらには君の母国の危険、あるいは母国からの報復を危惧しているね。外患誘致になりかねない行為だと。正しい。君は正しい。だが、覚悟を決めたはずだろう。進むべき道はひとつしかない。賽は投げられたのだ」
何が老爺を狂わせたのか? 決まっている。ひとつしかない。信仰の頂点。超常の偶像。あらがいがたくけして犯せぬ概念。人類の妄想の最たる形。
「我々は神を呼び起こさねば」
「犠牲が推定を大きく超過しています」
「神の降臨に生贄はつきものだろう?」
「財閥――宵の目もあります。お言葉ですが、このままでは目的が達成される前に――」
「目的は達成せねばなるまいよ。そのために世界の未来は費やされた! 少女らは散華した! 素晴らしい。なんと美しい! なんと――我々の目指した光景ではないかね? 積み上がった墓標の上! 腐り溶けた屍肉の中に。希望と救いを求める声に。我らの神は闇を引き裂き応えてくれるだろう。そうして夜明けは、暁はもたらされる――
声を震わせ目に涙を溜め、指組み祈りを捧げる姿は敬虔な信徒のようでその実狂信者だ。狂信者に言葉は通じない。彼女がいくら口角泡を飛ばそうと、その行為に意味はない。
「マホロくんは最も無垢だ。純粋で、夜明けの目をしている。最も可能性が高い。そこに我々が手を加えた。我々がマホロくんを作り上げた。シャオレイ。これはまさしく君たちの功績だ。君の一族の功績だ。チェンシー。彼女は美しかった。信仰は清純でなければならない。熱狂的でなければならない。彼女は見事役目を果たしたのだ。――君の代わりに」
彼女は言葉と一緒に息を止めてしまった。忘れていたのだろう。忘れていたかったのか。彼女は纏う空気に反して優しいひとだから。いつか耐えられなくなってしまうのだろう。それが今でもなんらおかしくはない。むしろ、絶好の機会ではないか?
シャオレイ、きみはもうここにいなくてもいいんだ。トチ狂ったシナリオから解放されていい。魔性に取り憑かれてしまう前に。僕たちのように後戻りができなくなる前に。
喉まで込み上げた言葉が届くことはないが、届いたとしても君はここに残ってしまうのだろう。優しくて責任感の強いひとだ。生まれた先が違えば、きっと立派になっていただろう。
「イチカ、アマネ、ツキコ、ミツヨ――……」
老爺が神の名のごとく唱えるそれらは、成れなかった少女たちだ。
「アカリ、アオイ、ヒヨリ、カオル――シエリのことは残念だった。そして、リツカ。帰ってきてくれてよかった」
その少女たちの結末については報告書に仔細に記載が残っている。目も当てられない耐えがたい過去だ。身の毛のよだつ人体実験の末路を彼女は知らない。知らなくていい。最新世代の魔法少女。かつてリツカだった少女ですら化け物と呼べる変異を引き起こした。それ以前、旧世代の魔法少女たちの惨たらしい結末は心から凍えるものばかりだ。
神は存在する。
奇跡は発現する。
ただし、望まないかたちで。
僕はそれを知っている。後戻りはできない。この手は罪を重ねすぎた。禁域に立ち入りすぎた。禁忌を犯しすぎた。人間が神に成り代わるなどおこがましい。知っていて為そうとする。僕は狂信者ではない。凡愚な人間のひとりだ。奇跡を我が物顔で振るう同郷の朋輩に嫉妬し、一度味わってしまった代償性の不老不死に憑りつかれるような、浅薄の徒だ。死の恐怖に怯えるのは当然だろう。
僕は狂ってなどいない。
正気である僕は。
どうか、これから僕らの手により生まれる神にとどめを刺してほしいと。
切に、願う。
機関の「彼」の思いが明かされ、「彼女」の素性がわずかに明るみに。
そして次回、とうとう暁ノ宮家、マホロの過去へ。




