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皇帝への道 ― ナポレオン・ボナパルト  作者: レモンティー


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第二十八話:崩れる隊列

雪は止まなかった。

いや、止まった瞬間すらあったのか、もう誰にも分からなかった。

空も地面も、すべてが白に飲み込まれていた。

その中を、グランダルメは進んでいた。

進んでいるのかどうかさえ、曖昧だった。


隊列の秩序は、すでに崩れ始めていた。

最初に崩れたのは補給だった。

次に崩れたのは命令だった。

そして最後に崩れたのは、規律だった。

「止まるな!」

「遅れるな!」

将校の声は風に消える。

兵士たちは返事をしない。

できないのではない。

聞こえていない者もいた。


ある部隊では、銃が捨てられた。

重すぎて歩けないからだ。

別の部隊では、背嚢が捨てられた。

食料も入っていないからだ。

やがて、軍服さえ捨てる者が出た。

布一枚でも軽くしたかった。

それでも寒さは容赦しなかった。


飢えは、静かに軍を内側から壊していった。

最初はパンだった。

次に馬肉だった。

そして最後には――

戦友の死体にまで手が伸びた。

誰も声に出さない。

ただ、目だけが濁っていく。


ある夜。

焚き火の周り。

兵士たちは黙って座っていた。

炎は小さく、今にも消えそうだった。

その火を見つめながら、一人の兵士が言った。

「もう……終わったのか。」

返事はない。

終わったのか。

まだ戦っているのか。

それさえ曖昧だった。


その頃、後方では別の崩壊が起きていた。

コサック騎兵の襲撃は激しさを増し、補給隊は次々と壊滅していく。

食料の箱は奪われ、冬服は焼かれ、馬車は雪の中に沈んだ。

護衛兵は散り散りになり、もはや隊列を再編することすらできない。

「戻れ!」

「隊列を保て!」

しかし声を出す者が減っていく。

そして、声そのものが意味を失っていく。


ナポレオンは馬上で前を見ていた。

顔には霜が張り付き、唇は乾いていた。

ベルティエが近づく。

「陛下……後方が崩れています。」

ナポレオンは短く答えた。

「知っている。」

それ以上は言わない。

言葉にすれば、現実になるからだ。


一方で、前方でも異変が起きていた。

橋がない。

村がない。

食料がない。

あるのは白い荒野だけだった。

グランダルメは、進むための軍ではなくなっていた。

ただ“移動している集団”になりつつあった。


ある中隊では、ついに命令が消えた。

将校が倒れたからだ。

誰も指揮を引き継がない。

引き継ぐ余力もない。

兵士たちはただ歩く。

どこへ向かうのかも分からずに。


夜。

雪の中で一人の兵士が立ち止まる。

「ここで……いいだろ。」

そう言うと、その場に座り込んだ。

後ろから誰かが叫ぶ。

「行け!」

しかし、もう聞こえていない。

やがてその兵士の姿は雪に沈んでいく。

誰も振り返らない。

振り返れば、自分も止まってしまうからだ。


そして、グランダルメは気づき始める。

これは撤退ではない。

追撃でもない。

戦いですらない。

“生き残れるかどうか”だけの時間になっているのだ。


ナポレオンは遠くを見ていた。

白い風の向こうに、何も見えない。

かつての栄光も。

勝利も。

帝国も。

そこにはなかった。

ただ、沈黙する大地だけが広がっていた。

そして彼は、初めて言葉を失った。

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