22.空いた椅子
アキトは熱を出して数日寝込んだ。
ろくに寝ていなかったし、寒い中歩き回ったせいもあった。
何より、ユキが行方不明になったことに強く責任を感じていた。
体も心も限界だった。
ハルは日中、アキトを看病しながら、下の子どもたちといつものように遊び、面倒を見た。
夜になって、皆が寝静まると、黙って丸太小屋を出て行った。
夜が明ける前に帰ってくると、一人、ベランダの手すりにしばらく腰掛けていた。
アキトは窓からその背中を黙って見つめていた。
「ユキ姉は?」
毎日のように、下の子どもたちから聞かれる。
ハルは皆の頭をクシャクシャと撫でながら、いつものように笑った。
「用があって出かけているんだ。代わりに私が遊んであげよう」
言いながら、イツキやワカキを追いかける。二人は笑いながら逃げていく。
ハルのカナヅチやノコギリは、棚に置かれたまま、使われることがなかった。
ユキは見つからなかった。
✴︎
アキトの熱が下がった日、世話人のクマさんがやってきた。
ハルがあらかじめアキトの熱のことを伝えていたようで、果物や生姜、ハチミツなど、風邪に良さそうなものを沢山持ってきてくれた。
クマさんは、物の入った袋をイツキたちに任せると、ハルとアキトを庭先に呼んだ。
三人並んで丸太の上に腰掛ける。
「あなた方お二人に話しておきたいんですが……」
クマさんは静かな声で話し始めた。
「ハルナさんに、アキト坊ちゃん。この前、街に来たでしょう」
ハルとアキトは顔を見合わせた。
「ユキさんは……その時、一緒に来たんですね?」
「ユキ姉のこと知ってる?どこにいる?」
ハルが、勢い込んで尋ねた。
クマさんは落ち着かせるように、ハルの肩に手を置いた。
「ユキさんは街にいます。元気なんで、心配はいりません」
ハルが顔を歪め、慌てて目をこすった。
「そっか……、ユキ姉、良かった……」
クマさんは少し俯いた。
「ただ……、ここには戻ってきません」
二人は顔を上げた。
「どうして? 元気なんでしょ?」
クマさんは、声を低めた。
「あの子は、ここでの暮らしも、あなた方のことも、覚えてないんです。何もかも忘れちまったんです」
「どういうことですか?」
アキトが、震えそうになる声で尋ねた。
「妖精の歌を聴いてしまったんです。妖精の中には、歌で人を魅了するのがいるんです」
ハルは黙ってクマさんを見つめた。
「ユキさんはとても音楽が好きでしたね。素敵な音楽を奏でてくれて……あたしも、聴くのが楽しみでした。妖精はあの子を見つけて、気に入ったんでしょう」
クマさんは、俯いたまま話した。
「妖精の歌に魅了されてしまうと、何もかも忘れちまう……滅多にないことなんですが……。あの子はもう、自分が誰だったかも、覚えてません。君たちのことも」
ハルとアキトの肩に置かれたクマさんの手に、わずかに力がこもった。
しばらくの間、三人とも黙ったままだった。
少しして、アキトが顔をあげる。
「でも……でも、ここに戻ってくることは、できるんでしょう?」
クマさんは頭を振った。
「妖精に魅入られた人たちが暮らす家があります。ユキさんはそこにいます。おそらく、このままそこで暮らすことになるでしょう。だから……」
「ユキ姉に会わせて」
「お願いします」
ハルとアキトは頭を下げた。
クマさんは丸太から立ち上がり、二人の前に膝をついた。
真剣な表情で、二人の顔を見た。
「あなた方はとても仲がいい。本当の家族のように、お互いを愛していたんでしょう。あなた方の気持ちはよく分かります。でも、あなた方を街へ入れる訳にはいきません」
「それは、僕たちが妖精だから?」
アキトの問いかけに、クマさんは頷いた。
「街であなた方が捕まったら、ひどいことをされてしまう。ここに戻れなくなるかもしれない。ユキさんだったら、そうなってほしくないと思うんです」
静かに、語り聞かせるような声だった。
「あなた方がユキさんを深く愛したように、あたしもあの子と、あの子の音楽が好きでした。何も力になれなくてすみません……」
クマさんはそう言うと立ち上がり、帰って行った。
庭先に、二人だけが残された。
アキトは自分でも気付かず、涙を落としていた。
ハルが気付いて、アキトの頭をしっかり抱きしめた。
何度も何度も、頭を撫でながら。
✴︎
アキトはぼんやりしたまま、数日を過ごした。
黙々と薪を割り、ストーブの番をした。
ハルと一緒にご飯の支度や掃除をした。
ハルは今までと変わらず、イツキやワカキ、マイを相手に駆け回り、笑いながら遊んだ。
Star ……vicino al bell’idol che ……s’ama……
アキトは切れ切れに、ユキの歌っていた歌を口ずさんだ。
今でもユキが台所から顔をだして、名前を呼んでくれるような気がしていた。
ユキの入れてくれた温かい紅茶。
午後の日差しの中で食べたクッキー。
ストーブの爆ぜる優しい音。
ピアノと歌。
笑い声。
数日前まで確かにいたのだ。
今はいない。
アキトの頬を、静かに涙がつたっていった。
✴︎
アキトはおやつにクッキーを焼いた。
焼けてゆくクッキーを眺めながら、待ち合わせている妖精のことを考えた。
ハルに話しておくべきだろうか。
これ以上、他の人を巻き込みたくなかった。
自分が街へ行かなければ、ユキ姉はいなくならなかった。
これ以上、ハルに何かあったらと思うと、怖くなった。
訪ねてくる妖精のために、こっそりクッキーを取り分ける。
ハルには黙っておくことに決めた。




