18.丸太小屋
朱は、紅茶のカップに視線を落としたまま、しばらく黙っていた。
やがて、口を開いた。
「……俺がアキトと呼ばれていた頃も、こんな丸太小屋で暮らしていたんだ」
✴︎
「ハル、アキト。皆を呼んできてくれる?」
丸太小屋の奥から、ユキの声がした。
ユキが手際よくカップをテーブルに並べていく。
「僕、いってくるよ」
アキトが本をおいて立ち上がる。
ハルはその横で、木切れを床に並べて難しい顔をしている。
アキトが外へ出ていった。
ドアの閉まる音。
その音でハルはやっと顔を上げた。
「ユキ姉?なんか言った?」
「もうすぐお茶よ」
ユキが笑いながら答えた。
年下の子どもたちが賑やかにやってくる。
焼けたクッキー。
紅茶のカップが6個。
小さなイツキがふざけて、ハルの木切れを蹴飛ばす。
ハルは怒ったふりをしてイツキを捕まえ、抱き上げた。
笑い声。
やがて、ユキがピアノを弾きだす。
アキトはストーブの番をしながら、本を読む。
カップが皿に触れる涼やかな音。
イツキとワカキが余ったクッキーを取り合う。
マイは、アキトのところにやってきて、袖を引っ張った。
「アキ兄、ユキ姉と子守唄、弾いて」
アキトはマイを抱き上げた。
ピアノの近くの椅子に座らせてやる。
自分はユキと並んでピアノ椅子に腰掛けた。
子守唄の優しい調べ。
マイが曲に合わせて体を揺らす。
ハルもカップを片手に、頭を揺らしながら画集を眺めている。
マイがにっこり笑った。
ユキも隣で楽しそうに弾いている。
アキトも、なんだか嬉しくなって微笑んだ。
ストーブの火が、優しく爆ぜた。
✴︎
ユキに教わりながら、アキトがピアノを弾く。
「アキトは器用ね。私よりも上達が早いわ」
アキトははにかんでうつむいた。
本当は、自分で弾くより、ユキのピアノを聴く方が好きだった。
ユキの演奏は拙くゆっくりだったが、誠実だった。
その透明な演奏を通して、アキトは楽しくなり、悲しくなり、気持ちを揺さぶられた。
だから、よくストーブの番をした。
ユキの演奏がよく聴けるように。
目を閉じると炎がゆらぐ音と、優しいピアノの音が聴こえる。
この時間が嬉しかった。
アキトはよく一人でニコニコ微笑んだ。
ユキは好奇心旺盛だった。
一番年上だったが、新しい楽譜が届くと小さな子どものようにはしゃぎ、真っ先に読み、演奏した。
「ユキ姉、焦げてる」
「……ちょっと待って、もう少し……」
クッキーの代わりに真っ黒の炭が完成した。
アキトは、新しい楽譜が届いた時は台所に気をつけようと思った。
また、ユキは掃除をしながら、よく歌を歌った。
Star vicino al bell’idol che s’ama……
すると、アキトがピアノで伴奏をつける。
優しい軽やかな歌声。
それに合わせてマイも歌い出す。
イツキとワカキは木切れを積み木がわりに遊んでいる。
ハルはそんな中、いつでも何かを作っていた。
丸太小屋の中には、ハルの作品がそこかしこに置かれている。
靴箱、傘立て、本棚、タオル掛け……。
「ユキ姉とアキトはフレデリック、私はそうじゃない方のネズミだから」
ハルは絵本の表紙を見ながら、カラカラと笑った。
「ハル姉、ごめん、壊しちゃった」
ワカキが折れた取手を持ってくる。
ハルは取手を受け取ると、木切れを合わせ、釘を一本打つ。
あっという間に元通りになった。
「ハル姉。ありがとう」
ハルは笑って、くしゃりとワカキの頭を撫でた。
✴︎
ドアの呼び鈴が鳴る。
イツキとワカキが競ってドアを開けに行った。
ドアの向こうから、のんびりした様子のヒゲの男が現れた。
肩に大きな袋を担ぐ姿は、サンタクロースのようだ。
「クマさん、今日は何が入ってるの?」
イツキが袋を覗こうと爪先を伸ばす。
「ジャガイモに人参、小麦粉にソーセージ、砂糖でしょう。果物も確か……」
世話人のクマさんはのんびりと、一つ一つ袋から取り出していった。
それをイツキやワカキが次々に受け取ってはしまっていく。
「はい、これはユキさんとアキト坊ちゃんに」
少しシワのついた楽譜だった。
「ありがとう」
ユキが嬉しそうに受け取る。
「それじゃ、あたしはこれで……」
袋が空になると、いつもすぐ帰ってしまう。
アキトは、川沿いの道を歩くその背中を見送った。
川上に向かう道のその先に、街がある。
門まではアキトもハルも行くことがある。
だが、街の中は誰も入ったことがなかった。
街を囲む柵越しの風景。
アキトは気にせずにはいられなかった。
✴︎
丸太小屋の前の切り株にアキトが一人腰掛けてぼんやりしていると、目の前にススキの穂が現れた。
「アキ兄、あげる」
顔を上げると、マイがススキの穂を花束のようにして差し出していた。
アキトは受け取ると、微笑んでマイの頭を撫でた。
「ありがとう。後で部屋に飾ろうね」
顔を綻ばせて戻ろうとしたマイを、アキトは呼び止めた。
「マイ……、マイはここに来る前のこと、覚えている?」
ふと、聞いてみた。
マイは首をかしげた。
「よく分かんない。川の側にいたんだよ。そしたらおじさん達がね、きなさいって。それでここに来たの」
アキトはお礼を言って、マイが丸太小屋に入っていくのを見送った。
僕たちは、どうして街へ入れないのだろう?
他の人と僕たちは、何か違うのだろうか。
考えているうちに、ススキの穂を少し折ってしまって慌てた。
アキトは一人で悩み、そして行動した。
冬のある日のこと。
皆が寝静まった真夜中、アキトはそっと毛布を抜け出した。




