17.ランプの灯
どこか夢の中にいるようだった。
愛は朱の腕の中から、ぼんやり景色を見ていた。
日が沈みかけていた。
空が赤く染まっている。
愛を抱き上げる腕に、少し力がこもった。
朱が一歩踏み出すと、景色が風のように後ろへ流れていく。
不思議と足音は聞こえない。
景色が速すぎて、愛は目を閉じた。
朱の息遣い、野原をきる風の音だけが聞こえる。
すぐに、風がやんだ。
目を開けたらーー丸太小屋だった。
丸太小屋の階段を上り切ったところで、朱は愛を降ろした。
ベランダで待っていた妖精が、恐る恐る、朱を見上げた。
「シンに伝えてくれ」
朱がそれだけ言うと、妖精は弾かれたように何度も頷いて、逃げるように走り去った。
朱が愛に手を差し出す。
支えてもらいながら、愛は中へ入った。
室内は薄暗く、ひんやりしていた。
窓枠の中の空だけがまだ少し明るかった。
ソファに座らせてもらった愛は、朱を見上げた。
目には、すでに赤い光がうっすらと揺らめいていた。
朱がランプに火を灯す。
外に出て、薪を抱えて戻ってきた。
丁寧に、ストーブの中に薪を並べていく。
小枝を添えて、火をつける。
火が、静かに広がっていった。
水を張ったヤカンをストーブにのせると、朱は愛の前にひざまづいた。
愛はぼんやりと朱を見ていた。
火が、パチパチと静かに音を立てている。
朱は赤い目を細めた。
愛は静かだった。
いつものように話さない。少し虚ろな目をしていた。
朱が愛の手をとり、怪我を確認する間も、愛は反応しなかった。
ただ、微かな震えが、朱の手に伝わってきた。
朱は、お湯で濡らして絞ったタオルで愛の汚れを拭き、傷を消毒して、包帯を巻き直した。
その間も愛は何も言わなかった。
ときおり、小さく震えた。
手当が終わり、朱が手を離しても愛は俯いたままだった。
「あなたが無事で良かった」
そう言って、朱は愛を抱き寄せた。
背中を優しくたたく。
そうしている内に、愛は涙を落とし始めた。
震えが強くなり、とまらなくなり、朱にしがみついた。
「朱さん、朱さん……」
「泣くといい。あなたに必要な時間だと思う」
朱は愛が泣き止むまで、背中を優しくたたき続けた。
そのまま、愛はいつの間にか眠った。
✴︎
……愛が起きた時、まだ辺りは暗かった。
火のゆらめく音が、ほのかに聴こえる。
ヤカンが音を立てて揺れている。
沢山泣いたせいか、頭が少し痛い。
隣に座る、赤い目と出会った。
「……朱さん、ありがとう」
声を出したはずみに、また涙が落ちた。
朱は黙って、愛の頭を撫でた。
立ち上がり、ヤカンを手にする。
愛の寝ている間に、テーブルにお茶の食器が並んでいた。
朱が静かな動作でポットに湯を注いだ。細くゆっくり、湯が落ちてゆく。
ラベンダーの香りが広がった。
「朱さん……、今の朱さんは、どっちなの?」
朱はポットに視線を落としたままだった。
「朱さん、いつも助けてくれるでしょう。お茶を淹れてくれて、一緒にピアノを弾いてくれて……。私、朱さんがレッドキャップなんだって、まだ信じられない」
朱はポットを持ち上げると、そっと、カップに注いだ。
「……俺にも、よくは分からないんだ」
ラベンダーの香りが立ち上る。
朱は視線を落としたまま、答えた。
「……夜の俺は、沢山の人を殺してきた。あの男も、俺に家族を殺された者だろう」
朱が差し出したカップを受け取り、そっと口をつけながら、愛は聞かずにいられなかった。
「昔は……シンさんとも暮らしていたんでしょう?
どうして……?」
朱はしばらく黙っていた。
「……名前のことから、話そう」
朱は目を細めて、カップを傾けた。
「昔……俺はアキトと呼ばれていた」
愛は顔を上げた。
「アキト……」
「シンも、本当はハルという名前だ」
朱はカップに映った自分の顔を眺めていた。
「……話せば長くなる。あなたは休んだ方がいいだろう」
「眠れそうになくて……」
愛は手元のカップを少し見つめたあと、朱を見た。
「嫌じゃなかったら……聞いてもいい?」
朱が静かに愛を見た。
揺れるランプの灯りが、朱と愛の横顔を照らしていた。
薪が小さく崩れる音。
そして、朱は昔のことを話し始めたーー。




