13.冷たい風
墓の前に男が長い時間、腰を下ろしていた。
葉だけの紫陽花が足元を暗くしていた。
枯れ草で覆われた地面。
男は墓に顔を向けながら、違うものを見ていた。
一つの鍋からよそった二つの器のスープ、
隣から聞こえる安らかな寝息、
ドアを開けた時の聞き慣れたお帰りの声……。
全て消え失せてしまった。
夜が、彼女を向こう側へ連れ去ってしまった。
昨日も墓を詣でた。
一昨日も、その前の日も……。
墓は何も語らなかった。
男は何も考えられないまま、音のない家に帰った。
ひんやりした室内。椅子に座っていると、ノックの音が響いた。
ドアが開いて、赤錆色の帽子を被った醜い顔が現れた。
背が低く、老人のような皺のある顔。
一目で妖精とわかった。
「……迎えに来たのか?」
男は椅子から立たなかった。
「お前さん、毎日墓参りに来ているな……。白い髪のレッドキャップ。やつだろう?憎くないか?」
男は俯いた。
「……あのレッドキャップを殺そうとした人は沢山いる。だが、昼は絶対見つからない。夜は返り討ちにされちまう。どうにもできない」
諦め切った様子で首を振る。
妖精は、家の中に入って来た。男の隣に立った。
「俺は知っている……」
しわがれた声が近くで囁いた。
「やつにはな、大事なものがある」
声が次第に低くなっていった。
「大事なもの?」
妖精は、口の端を引き上げた。
「復讐したいなら、奪う方法もある……」
ドアの間から、冷たい風が部屋に吹き込んだ。
✴︎
妖精は野原を歩いた。
男は黙ったまま、妖精について行く。
野原はいつもより静かだった。
「奴の住処は、知らなければ辿り着けない」
妖精が囁く。
木立の影を縫うように、二人は無言で進んだ。
風が流れている。
だが、葉ずれの音はしなかった。
地面を踏みしめる足音だけが、静かに聞こえる。
木立の影が途切れた先に、丸太小屋が見えてきた。
「あそこだ。見てみるがいい」
二人は木の影から、じっと丸太小屋を見つめた。
ベランダに二人の人影があった。
一人は白い髪の男。その向かいに少女が座っている。
「……あいつが、朱か」
男は目を細めた。
朱と少女はお茶を飲みながら、話していた。
少女の笑い声が、男の元まで聞こえて来た。
朱が少女を見て微笑んでいる。
妖精がふと、呟いた。
「……昔は」
妖精は言いかけて黙った。
口の端が歪む。
「笑ってる……」
男の握っていた枯れ枝が、乾いた音を立てて折れた。
「娘か……」
男が低く、静かに呟いた。
妖精は、何も答えなかった。
ただ、口元だけが、笑った。




