勘の良い女、エマ・グレイ
第8話の最後、少し変更しました(2026/8/23)。
最後以外も少し追加あります。
一週間ぶりのクラリス様の執務室。
渋みのある荘厳な雰囲気の茶色い扉の前に、青いバラを手にしたエマ・グレイはただただ立っていた。
中に入らない理由は二つ。
まず一つ。
エマはクラリスたちに会うことに、純粋に緊張していた。そもそも、下っ端メイドが頻繁に主人の部屋に呼ばれることが異常だったのだ。そしてその異常な日々を、エマは少なからず楽しんでいた。
非日常。新世界。大変なことばかりだったことは否めないが、エマにとってはある意味「夢」の空間だったのだ。そんな「夢」から一歩離れて元の世界に戻ってしまうと、その空間の異質さ故に、もう一度足を踏み入れるのにはある種の覚悟が必要だった。
そしてもう一つ。
エマは、先ほど来たウェードライン家の執事のことか頭に引っかかっていた。名前は確か、ギルバート。
珍しいことにクラリスと同じく黒髪の彼は、とても綺麗な青い瞳をしていた。
水晶のように透き通った瞳。それが当てはまる、最近出会った人と言えば、リアム・ウェードライン。彼もそんな目をしていた。
エマ・グレイは勘が良かった。そして、観察力も人以上だった。
* * * * * *
そんなはずがない、と私は自分の頭に浮かんだ考えを振り払おうとするが、先週の自分がそれを制止する。そんなはずが、実はあるのだと。
まだ100%と決まったわけではない。単に私が「そうじゃないかな~」と思っているだけ。
ただ、確証に近いものはあった。青い瞳、やわらかい笑顔、そして――耳。
人間、髪の色や顔の雰囲気なんかは変えることができるが、耳はそうもいかないし、変えようと思う人も少ないだろう。
けれど私は、小さい頃から人の身体の特徴を覚えることが得意だった。覚えようとしているのではなく、自然と頭に入ってくるのだ。
だからお茶会の時に見た、リアム・ウェードラインの少し細長く、耳たぶは小さいあの耳が、さっきのギルバートの耳と同じではないかと閃いてしまった。
一大事だ。
私に与えられた選択肢は二つ。クラリス様に言うか、言わないか。
しかしどんなに考えても結論は出ない。
「お相手も偽物でしたよー」なんて言ったら、それこそ婚約破棄の決定打になるかもしれない。
問題はそこ。
私の一言で、貴族の家同士の約束事がパーになってしまうだなんて、恐ろしすぎる。
それに、向こうにも向こうなりの事情があるのかもしれないし。
でもかと言って、このまま偽物同士の不毛なやり取りをまたする気にもならない。
いや、待って。
気づいてしまったのは、私の勘が良すぎたせい。
「勘の良すぎるガキは嫌いだよ」と色っぽい年上のお姉さんがよく言っているように、勘が良すぎるというのは人には嫌われる。
ならばそれは隠した方がいいんじゃ……。
勘が良くなければ気が付かなかったわけだし。
私は決めた。
勘の悪い女、エマ・グレイを演じようと。
* * * * * *
一度深呼吸をし、それから扉をノックする。
瞬間、扉が開き、私は思わず前につんのめりそうになるが、すかさず抱き留められる。
「エマさん、大丈夫?」
「あ、ありがとうございます…」
ロルドだった。
こういう、ふとした瞬間にかっこいいのだけは解せない。
まあ、顔も綺麗だけど。
でも本性は変態ドМ執事だ。騙されちゃいけない。
「エマさんが私に向ける視線が日に日に鋭くなっています」
誰も聞いちゃいない実況。
机で黙々と手を動かすクラリス様は、相変わらず忙しそうだった。
メアリーはいないようだ。
「エマ。今日は何?」
こちらを見ずにクラリス様は言った。
「あ、先ほどですね、ウェードライン家の方がいらっしゃいまして、クラリス様に贈り物を、と」
クラリス様は顔を上げた。
「贈り物?」
「青いバラです……」
「青いバラですって?」
当然の反応だ。青いバラを要求したのは私なんだから。
自分が頼んでもないものが届くのは心地のいいことではないだろう。
「あの、実はですね、」
「噓でしょ」
わけを話そうとする私の声を遮り、クラリス様は立ち上がった。
そしてズンズンとこちらにやって来る。
「ほんとだわ。青いバラだわ」
今まで見たことがないくらいに目を輝かせながら、クラリス様は青いバラを受け取った。
「どうして?え、どうなっているのかしら」
予想外の反応に、私は声をかけるタイミングを見失う。
美しいドレスや宝石に夢中になっている女の子たちと同じ表情をしている。
そうか。クラリス様だって、美しく珍しいものは好きなのか。
「エマ。これどうして青いのか聞いた?」
「あ、いえ、ちょっと工夫をしている、としか」
「ふうん」
私の返答にさほど期待していなかったのか、クラリス様の声の抑揚は特段変わらない。
バラを四方八方から眺め回したあと、クラリス様は花を覆っていた包み紙を勢いよく取り外した。
「…なるほどね」
「興味深いですね」
バラを持ってきたのは私なのに、そんな私をよそに2人で盛り上がっているのが堪えきれず、私は口を挟む。
「どうしたんですか」
「エマも見なさい」
言われるがままバラに近づく。
私も手懐けられたものだな、と笑ってしまう。
「これ、根本を包んでいた紙が青くなっているでしょう」
「あ、本当だ…」
「きっと青い色水を吸わせていたのよ。だからバラが青く染まった」
「そんなことで、花を染められるんですか」
「そのようね。面白いわ」
花瓶に青い色水を入れて持ってきなさい、とロルドに命じたクラリス様は、再び机に戻る。
「あのやり方なら沢山の色のバラを作れそうね。私、どうやらウェードライン家のことを少々侮っていたようね」
なかなか満足そうだ。
そうか、クラリス様は青いバラそのものでなく、その仕組みに興奮していたのか。
そういえば、と私は口を開く。
「メアリーさんは、今日はいないんですか」
「あぁ、メアリーなら今、実家でお見合い中のはずよ。成立したらここは辞めるでしょうね。寂しいけれど」
え…?
「言ってませんでしたっけ。メアリーさんは、アルセイン家の遠縁の男爵家の四女なんですよ」
いつの間にか、白くシンプルな花瓶を抱えたロルドが戻ってきていた。
「えっ。じゃあメアリーさんって、貴族のご令嬢だったんですか?!」
「まあ、そういうことね」
なんと。
まあ確かに、あの上品な雰囲気、おっとりした性格、きれいな所作、その節々から「私とは違うなあ」と感じてはいたが、まさか貴族だったとは。
男爵とはいえ、貴族は貴族。
そんな人を、呼び捨てにしていたんだなんてっ……!
「ここではただのメアリーとして働いているんだから、いいのではなくて? それより用が済んだんなら出てって頂戴。そんな鬱屈したオーラを撒き散らさないで」
はぃぃ、とよろつきながら私は出口へ向かう。
すると足元に書類がヒラリと落ちてきた。




