第14話
春の陽射しが窓越しに差し込む、穏やかな朝だった。
けれど、私の胸は少しだけざわついていた。
「もし、フィオナが男だったら……好きになってた」
乗馬大会のあと、セシリアが小さく漏らしたあの言葉がずっと頭から離れない。
女の子として、憧れの対象になりたいと思ったこともある。
けれど、“王子様みたい”と呼ばれたり、“イケメン令嬢”と噂されるうちに、私は本当は何になりたいのか、時々わからなくなる。
あの時のセシリアの瞳、まっすぐで少しだけ寂しそうだった。
私は誰かのヒーローでいたいのか。それとも誰かの「好き」になりたいのか。
自分でも正直よく分からなかった。
そんな思いを抱えたまま、私は書斎の窓辺でぼんやりと紅茶を飲んでいた。
そこへ、王宮からの使者がやってきた。
届けられたのは、エルネスト殿下の筆跡で書かれた招待状。
『春の陽気に誘われて、久しぶりにふたりでお茶でも。
今日の午後、王宮のサロンで待っています。』
さらりとした手紙なのに、私の胸は不思議なほど高鳴った。
セシリアのことでざわついた気持ちを、エルネストの顔を見れば少しは整理できる気がした。
昼下がり、私は兄たちに「王宮に行ってくる」とだけ伝え、ドレスの襟元を整えて馬車に乗った。
王宮の庭には春の花が咲き乱れ、噴水のきらめきが白い石畳に映えていた。
衛兵に案内されて進むと、サロンの扉の前にはエルネストが立っていた。
「フィオナ。……待っていたよ」
いつもと変わらぬ、でもどこか柔らかい微笑み。
けれど、その目にはほんの少しだけ不安が混じっているように見えた。
「こんにちは、殿下。お招きありがとうございます」
「こちらこそ。君とゆっくり話すのは久しぶりだから、少し緊張しているんだ」
「……殿下が緊張するなんて、珍しいですね」
「君のこととなると、どうしてもね」
サロンの奥へとエスコートされ、春の陽が差し込むテーブルにつく。
エルネスト自ら紅茶を注ぎ、私の前に小さな焼き菓子の皿をそっと置いてくれる。
ふたりきりで過ごす時間は、王宮の忙しさを忘れさせてくれる。
「最近は、社交界でも君の話題で持ちきりだよ」
「そうみたいですね。“イケメン令嬢”なんて呼ばれるの、あんまり慣れません」
「でも、君のことを皆が褒めているのは、僕にとっても誇らしいことだ」
エルネストは微笑みながらも、カップの縁を指でなぞった。
「ただ……正直なところ、ちょっとだけ、心配にもなる」
「心配?」
「うん。君がどんどん有名になって、いろんな人に好かれて……
時々、僕だけのフィオナじゃなくなってしまうんじゃないかって」
私はふと息を呑む。
エルネストは優しいまなざしで、そっと私の手に触れた。
「僕は、君が誰に憧れられても、誰に褒められても構わない。
でも、君の隣にいられるのは、ずっと僕だけでありたい」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと熱くなる。
「殿下……」
「嫉妬深いって思った?」
「いいえ。……なんだか、安心しました」
私は小さく笑い、紅茶をひとくち飲む。
セシリアの言葉が頭をかすめる――けれど、今、目の前にいる王子のまなざしは、誰よりも真剣だ。
「私も……不安になることがあるんです」
「フィオナが?」
「はい。私なんて、もともとは“男の子みたい”とか、“王子様みたい”とか言われてばかりで。
女の子らしくしようとすればするほど、自分が遠くにいくようで……」
「君は君のままでいい」
エルネストがそっと言う。
「僕が好きなのは、“女の子らしいフィオナ”でも、“王子様みたいなフィオナ”でもない。
君自身なんだよ」
その言葉に、心がふっと軽くなる。
「……私、いつも誰かの理想にならなきゃいけないと思ってました。
でも、殿下がそう言ってくれるなら、少しだけ自信が持てそうです」
「自信を持っていい。君のままで、君のしたいことをしてほしい。
――僕だけは、絶対に君の味方だ」
私は思わず手をぎゅっと握り返した。
「殿下がそう言ってくれるのが、一番嬉しいです」
静かに時が流れる。
ふたりだけのティータイム。
窓の外では春の風がそよぎ、王宮の庭園には小鳥たちが飛び交っている。
「君が他の誰かに微笑みかけるとき、少しだけ心がざわつくんだ」
エルネストが小さな声で続ける。
「僕は君の婚約者だけど、それだけじゃなく、誰よりも近くにいたい」
「……そんな風に思ってくれているんですね」
「うん。……君が僕を選んでくれる限り、僕もずっと君を大切にする。
他の誰にも、君を渡したくない」
私は顔が熱くなって、つい俯いてしまう。
「……私も、殿下だけを見ていたいです」
その言葉を聞いて、エルネストは安心したように微笑んだ。
「ありがとう。……こうして本音を話せるのは、君だけなんだ」
「私も同じです」
カップに残った紅茶の香りが、ふたりの間の距離をそっと縮めていく。
ティータイムの終わり、エルネストが立ち上がり、窓辺へと手招きした。
「少し、庭を歩こうか」
「はい」
並んで歩くと、春の柔らかな風がドレスの裾を揺らした。
何気ない話題、これからの未来のこと――
“王子の婚約者”としてではなく、“ただの私と、ただの彼”でいることが、こんなに心地よいものだと初めて知った。
「フィオナ。……これからも、ずっとそばにいてくれる?」
「はい。……ずっと、そばにいます」
春の陽射しの中で、ふたりの影が並んで伸びていく。
私の胸の中には、セシリアの言葉も、エルネストの本音も、
そして“自分らしくありたい”という新しい勇気も、そっと息づいていた。
――自分を誰かと比べなくてもいい。
この人と、未来を歩いていこう。
そう決めた春の日の午後。




