↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
13/18

第13話

 春の乗馬大会から、数日が経った。

 あの日の興奮は王都の社交界でも長く話題にされ、「イケメン令嬢が美しき令嬢を救う」という物語は、各家の奥方や令嬢たちの間で今も語り草になっている。


 そんなある日の午後。

 私は屋敷の応接間で、久しぶりに一息ついていた。朝から兄たちは用事で出かけていて、屋敷の中もどこか静かだ。窓から入る風が心地よく、紅茶の香りが部屋に広がる。


 そこへ、執事が控えめに扉をノックした。


「お嬢様、セシリア・ド・ベルナール様がご来訪です」


 思わず目を見開いた。

 まさかセシリアが、この家に“ひとりで”訪ねてくるとは思ってもみなかった。


「すぐにお通しして。……あ、サロンにお茶の用意も」


「かしこまりました」


 


 セシリアが姿を見せたのは、それからほどなくしてだった。

 淡いラベンダー色のドレスに身を包み、いつもより少し控えめな髪飾り。

 その手には、丁寧にリボンで結ばれた小さな包みを持っている。

 普段よりもどこか緊張した面持ちで、玄関ホールに立っていた。


「いらっしゃい、セシリア」


「ごきげんよう、フィオナ。突然のお邪魔を許していただけるかしら」


「もちろん。……どうぞ、こちらへ」


 二人きりで向かう応接間は、やや静かすぎて落ち着かない。

 ふたりだけで話すのは、乗馬大会の前後を含めても、ほとんどなかった。


「今日、わざわざ家まで……何かあったの?」


「いえ、その……あの日のお礼がどうしても言いたくて」


 セシリアは包みを差し出した。

 その中身は、美しい金細工のティースプーンと、香り高い紅茶の葉だった。


「これ、家でよく使っているものなの。貴女に受け取ってほしくて」


「ありがとう。素敵な贈り物ね。大事に使うわ」


 ソファに並んで座ると、執事が紅茶とお茶菓子を運んできた。

 小さなテーブルに湯気が立ち上り、私たちは静かにカップを手に取る。


 普段のセシリアなら、冗談や皮肉のひとつも口にしていたはずだ。

 けれど今日は、珍しく落ち着かず、ちらちらと私の顔を窺っている。


「本当に、助けてくれてありがとう」


 彼女は、小さな声でそう言った。


「あの時、すごく怖かったの。馬が暴れて、誰も助けに来られなくて……。

 でも、貴女が真っ先に駆け寄ってくれた。……あのときは、本当に心強かったわ」


「私も、気がついたら動いてたの。怖い思いをさせてごめんなさい。でも無事で良かった」


「……あんなに近くで助けてもらったの、はじめてだったから」


 カップを持つ手がかすかに震えていた。

 セシリアはそれを隠すように、視線をテーブルへ落とす。


「小さい頃から何でも一人でできるって言われてきたし、弱みを見せるのがすごく嫌だったのよ。

 ……でも、あの時は“誰かに頼りたい”って、心の底から思った」


 私はそっと彼女の手に触れた。


「それは、誰でも同じよ。私だって、兄たちや友達に助けてもらってばかり。

 一人で生きていくなんて、そんなの無理だもの」


「そうなのかしら……」


 しばしの沈黙が降りる。

 カップの中の紅茶が、少しだけ揺れた。


「……それにしても、貴女のこと“王子様みたい”ってみんな言うけれど」


 ふいに、セシリアがぽつりと言った。

 私は苦笑する。


「私自身は“女の子”でいたいんだけどね。社交界じゃそうは見られないみたい」


「わかるわ。……でも、あの時の貴女は本当に格好良かった。正直、私までドキドキしたのよ」


 セシリアがこんな風に素直に褒めてくれることは、珍しい。

 私は思わず「ありがとう」と微笑みかける。


「昔から、貴女のそういう真っ直ぐなところ、ちょっとだけ羨ましかったの」


「私が?」


「ええ。私、貴女にだけは負けたくないって、ずっと思ってた。

 だけど……助けてもらってから、少し違う気持ちになったの」


「どんな?」


「……なんだか、うまく言えないわ」


 セシリアは曖昧なまま、紅茶にそっと口をつけた。




「もし、フィオナが男だったら――」




 その言葉はほとんど息のような小さな声だった。

 私は思わずセシリアの顔をじっと見つめる。


「え?」


「……なんでもない。忘れて」


「待って。いま、なんて……?」


 セシリアは顔を赤らめ、急いで首を振る。


「本当に、何でもないのよ。ただの冗談よ。……変なこと言ってごめんなさい」


 けれど、その目は冗談とは思えないほど真剣だった。


「私が男だったら……どうするの?」


 自分でも不思議なほど、素直に聞き返してしまう。

 セシリアはしばらく俯き、やがて小さな声で言った。


「――きっと、好きになってた」


 その瞬間、胸の奥で何かが弾ける音がした気がした。

 私の頬まで、一気に熱が上る。


「ごめんなさい、こんなこと……」


「ううん。驚いたけど、嫌な気持ちはしない。むしろ嬉しい」


「……変ね、私たち。いつもは張り合ってばかりなのに」


「そうだね。でも、私もあのとき、セシリアが無事で本当に安心したんだよ」


 ふたりとも、なぜか照れくさくなって、それきり黙り込んだ。


 外では春の風が庭の花を揺らしている。

 応接間の窓から差し込む光は、やわらかく私たちを包んでいた。


 しばらくしてセシリアが席を立つ。


「そろそろ、帰らなきゃ。……本当に、今日はありがとう」


「こちらこそ。素敵な紅茶も。……また、遊びに来てね」


「ええ。きっと」


 玄関まで送り、見送ったあと私はふっと息を吐いた。


 “もし、私が男だったら――”


 セシリアの言葉が、何度も心の中で反芻される。


 私は女の子で、セシリアも女の子。

 でも、こうして「好きになってた」と言ってもらえたことは、少しだけ誇らしく、そして不思議に胸が温かくなった。


「……私が男だったら、どうだったんだろう?」


 そんなことを考えながら、私は窓の外の春空を見上げた。

 花の香りと紅茶の甘い余韻が、しばらく消えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。