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冬来りなば、恋遠からじ  作者: 当麻月菜
横浜の日常と、雄斗の非日常

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14/49

6

 来客がなければ基本的に自由に過ごす銀杏堂でも、一応、一日の流れは決まっている。


 午前中に雄斗が目を通した依頼書を、午後になると佐野が処理をする。


 役所へと出向いたり、町に聞き込みをしに行ったり……使い走りをする佐野の午後は、かなり忙しい。反対に、雄斗は午後になると暇になる。

 

「それでは雄斗さん、役所と案件の聞き込みに行ってきますね」


 佐野は片手に書類鞄、反対の手には帽子を持っている。銀杏堂の従業員は、いつでも洋装なのである。


「ああ、よろしく頼む。俺はいつも通り外に出る」


 雄斗も外出の為、背広に袖を通しながら佐野に答える。


「わかりました。あ──雄斗さん、戸締りには十分気を付けてくださいね」

「は……?」

「とにかく、施錠をちゃんとしてください。では、行ってまいります」


 佐野はそう言い残し、事務所を後にした。


 何だか随分と子供扱いされたような気がするなと思ったが、雄斗は特に気にせず、瑠華のほうへ振り返った。


「ってことで、俺は外に出るから、お前はここでおとなしくしとけ。いいな?」


 瑠華は素直に是と頷くと思いきや、首を横に振った。


「やっぱり、私も一緒に行きたいです」


 瑠華はそう言うと、立ち上がり雄斗の袖を掴んだ。


 しかし耐性のついた雄斗に、二度目のおねだりは、通用しなかった。


「駄目だ。朝、馬車の中で約束しただろう?」

「でも……一緒に行きたいんです」


 ”一緒に”という言葉に、雄斗はぐらりと気持ちが揺らいだが、なけなしの自制心で首を横に振る。


「駄目だ。大人しくしていろ。お前は、留守番だ。る、す、ば、ん!」


 瑠華の手を引きはがした雄斗は、そそくさと事務所を後にした。


 これ以上瑠華に見つめられたら、うっかり連れて行きそうになる。瑠華の上目遣いは、大変危険だ。ほだされそうになる。


 瑠華の誘惑に抗うことに全力を尽くした雄斗は、施錠のことなどすっかり忘れていた。



 横浜は、港を行き交う貨物船の汽笛が、鳥のさえずりのように聞こえる街。


 空を響かす汽笛の音を耳にして、雄斗は港の方向を眩しそうに見つめた。


 ふと周りを見渡すと、同じように道行く人々が、港に視線を向けている。その全てが、日ノ本の人間で、雄斗は思わず苦笑を浮かべた。


 汽笛の音は、寺の鐘の音量とさほど変わらないはずだが、やはり異文化には、まだまだ抵抗があるのだろう。耳に馴染まないせいで、やたらと大きく聞こえてしまう。


 新しい時代の幕開けといいつつも、数年たった今でも、実際は混沌とした世の中のまま。長年染み付いた文化や風習が、新しいものを無意識に拒んでしまう。


 この国のどこよりも早く異国の文化を取り入れた横浜だって例外ではない。活気に溢れているように見えるが、所詮は上辺だけ。皆、大なり小なり、無理をしている。


 その証拠に華やかなのは表面でしかなく、影が差すところでは、時代の変化を受け入れられない者や、貧困に喘いでいる者がごまんといる。


 残念なことに、街の安全を守るはずの警察はそれを知りながらも、救うすべがないということだ。


 絶対数が足りない警察は、繰り返される諍いをいたちごっこのように、場当たり的に取り締まることしかできないでいる。そして今日も、街は何やら騒がしい。


 男が何か喚いている。その程度なら日常のひとこまだが、男は太刀を手にしていた。おそらく、浪士の残党なのだろう。


 男が喚きながら、太刀を振り回すたびに、悲鳴と「やめろ」「こっちにくるな」という叫び声が、あちらこちらから上がる。ついでに、そこらの雀も飛び上がる。


(……ああ、またか)


 いい年こいた大の大人が、まるで駄々っ子のようだ。雄斗はうんざりした表情を隠すことなく、騒ぎのほうへ足を向けた。


 開国や文明開化など、口先だけだ。国内には異国との交流を未だ嫌う者が多い。


 開港場には攘夷派と呼ばれた浪士の残党が、全国各地から横浜に集まり犯罪を繰り返しているのが現状だ。


 この付近は、いわば国内で最も華やかな場所であり、もっとも危険な場所でもある。そして、雄斗の日課の散歩には、こうした諍いを止めるためにある。

 

「いい加減にしろよ、おっさん」


 人ごみを描き分けた雄斗は、浪士の残党であろう男と対峙する。突然割り込んできた洋装姿の雄斗に、男はかっと目を見開いた。


「おっお前……何たる姿だ……。この売国奴!恥を知れ!!」


 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとは、よく言ったものだ。


 雄斗の眉間に深い皺が刻まれたが、すぐに不遜な笑みに変わる。


「今、何て言った?はっ、俺が売国奴?ふざけるなよ、見てくれで判断するな。おっさんこそ、太刀振り回して見苦しい。往生際の悪いことしてんじゃねえよっ。決まったことは覆らないし、過去のことはどうあがいても変わらない。おっさんの過去に何があったか知らねえが、辺り構わず喚き散らして、恥ずかしくねえのかよ」


 雄斗は男に向かって、一気に言い捨てた。


 正論だけに、男の顔は見る見るうちに、怒りと羞恥で真っ赤になる。


「お前、そこになおれ!」


 絶叫にも似た怒号とともに、男は太刀を振りかざす。


 しかし雄斗は、上半身をひねり、相手の刃をかわすと、そのまま男の腕を取り、一気に捻り上げた。


「っ……!?──……いっ、痛ったたたっ」


 肩を捻りあげられた男は、あまりの痛みに悲痛な声を上げた。しかし雄斗は、その手を緩めない。


「おい、誰でもいい警察を呼んできてくれ──────は?……え……は、はぁ!?」


 周囲に目を向けた途端、雄斗は目を見開いた。居てはいけないはずの人物が、野次馬にまぎれてここに居る。


「おっ……お前!」


 素っ頓狂な声を上げた途端、雄斗の手がわずかに緩んだ。


(しまった!!)


 それは一瞬の出来事だった。


 腕をひねり上げられた男は、一瞬の隙をついて雄斗から逃れた。


 地を這うような姿勢のまま太刀を拾い上げると、体制を立て直す。そして、標的へと切っ先を向けた。


「瑠華!逃げろっ!!」


 雄斗の叫びが届いているはずなのに、瑠華は全く動かない。震える唇を必死に動かしているが、声にならないようだ。


 瑠華と男の距離は一瞬で詰まる。あと数歩で瑠華に刃が届くと思ったけれど──


「おわぁ?……ひぇっ!」


 間抜けな声とともに、男は見事に転倒してしまった。

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