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冬来りなば、恋遠からじ  作者: 当麻月菜
横浜の日常と、雄斗の非日常

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4

 カラカラと軽快に車輪を回し続けて馬車は、あっという間に銀杏堂に到着した。


「瑠華降りるぞ──……おぁぁっ!さっ、佐野さん!?」


 馬車の扉が開いたと同時に、佐野が眼前に飛び込んできた。佐野が出迎えるなど、銀杏堂始まって以来の珍事である。


「おはようございます。雄斗さん、瑠華さん」


 昨日ひょんなことから匿うことになった振袖新造を連れてきても、佐野の目にはまったく詮索の色がなかった。まるでこうなることを知っていたかのように。


 驚愕する雄斗を笑顔でかわした佐野は、事務所の扉を開けて「どうぞ」と促す。


(……なるほど)


 事務所の扉と佐野が衝立代わりになり、加えて反対側に雄斗が立てば、瑠華を通行人から隠すことができる。


(さすがだな、佐野さん。でも、なんで俺が瑠華を連れてくるってわかったんだ?)


 二年も共に仕事をしていれば、雄斗が瑠華を事務所に連れてくるなんて有り得ないと思うだろう。


 違和感を感じる雄斗だが、優秀な佐野が可能性の一つとして取った行動だと結論を下し、瑠華の手を引いて、事務所へと足を向けた。


 雄斗の職場である銀杏堂は、かつて異国人が小間物屋として使っていた建物をそのまま使用している。


 こじんまりとした二階建てであるが、赤い三角屋根と緑の扉は、大通りからでも目立つ建物だ。


 一階は、主に佐野の仕事場と、来客の受付ができるようカウンターと、奥には、お茶出し用の小さな水場もある。


 二階は雄斗の仕事場。込み入った案件や人の目を気にする案件の場合は、二階でも応対できるよう、応接が用意されている。


 雄斗の仕事場である二階へと階段をのぼりながら、香ばしい珈琲の香りが雄斗の鼻腔をくすぐる。


 毎日のことではあるが、香りを嗅いだ瞬間、雄斗は軽く眉を寄せた。珈琲の香りは嫌いではないが、雄斗は紅茶派だ。


「佐野さん、紅茶を頼む」


 雄斗が事務所に到着したら、出来立てを飲めるように豆を轢いているのはわかっているが、それでも雄斗は横暴ともいえる口調で言い放つ。


「お断り致します」


 温厚=佐野、と言われるぐらい、佐野栄吉はこの辺りでは穏かな人柄で知られているが、これだけは譲れないらしく、佐野は決して事務所で紅茶を出すことはない。


 佐野曰く、甘い茶など茶ではない、というのが持論らしい。緑茶もほうじ茶も望めばいつでも最高級の茶葉で淹れてくれるが、紅茶だけは決して首を縦に振らないのだ。


「お待たせしました。どうぞ、雄斗さん」


 佐野は雄斗の希望を無視して、飄々とした顔で珈琲を机の上に置く。佐野の入れる珈琲は紅茶党の雄斗ですら、おいしいと思えるほど上手に淹れる。そしてそれがまた腹が立つ。


「はい、瑠華さんにはミルクをいれておきましたよ」


 佐野は、来客用の小花柄のカップに、たっぷり入ったミルク珈琲を瑠華に差し出した。


「いただきます」


 どうやら瑠華は初めて口にする飲み物らしく、なかなか口をつけようとしない。しばらく眺めていた瑠華だが、えいっと気合を入れて一口飲み込んだ。


「おいしいです……でも、不思議です。見た目は増水した川水のようなのに、苦味があるのに仄かに甘くて、一度口にしてしまうと、癖になりそうな飲み物なんて初めてです」


 斬新な珈琲についての解釈だ。今後の参考にしよう。


「そうか……それが珈琲ってやつだ」


 それしか返す言葉が見つからず、雄斗は苦笑する。


「佐野さん、悪いが瑠華にもう一杯、同じヤツを淹れてやってくれ。それから……瑠華、お前はそこら辺にある本でも読んでとりあえず大人しくしてろ。俺は仕事を始める」


 雄斗はカップを机の端に避けると、上着を脱ぎ、溜まった書類を手に取る。


 事務所に人が一人増えたところで、銀杏堂の一日は何も変わらず始まった。


 雄斗が経営する”銀杏堂”は平たく言えば、何でも屋である。


 依頼は多種多様にあるが、もっぱら多いのは、異国人とまほろば国の人達との些細ないざこざの仲介だ。


 商売のやり方から労働基準まで、まったく異なる文化をもっている国同士が、衝突することは避けては通れない。


 しかし些細ないざこざでも、事を荒立てれば、国家問題に発展してしまう恐れがある。


 雄斗の仕事は、そのいざこざを芽のうちに刈り取ることなのである。


「ったく、今度は口利きがとんずらしたってか。最悪だな。オイ」


 雄斗は書類に目を通しながら、独り言をブツブツと呟く。


「見つけ次第、即座に殺せってか。確かに、金五百両を持ち逃げされたならな。まあ、その気持ちはわからなくもねえが……。それより俺なら生きて地獄を味あわせるほうが、よっぽど効果的だと思うがなあ。こいつ、かなり短期だな」


 独り言にしては、かなり物騒な内容である。


 応接椅子に腰かけたままの瑠華は、ぎょっと雄斗の方を見つめる。もちろん、雄斗は仕事に没頭していて、瑠華の視線に気付いていない。


 良くも悪くも雄斗は集中し始めると、周りのことが一切見えなくなってしまうのだ。


 珈琲を飲み終えた途端、雄斗の表情は一変した。仕事をする雄斗の表情は、険しく真剣である。そして、無駄が一切ない。


 書類を一枚一枚丁寧に読んだかと思えば、書棚から資料を持ち出し、何か真剣に書き物をする。


 ときどき独り言を言いながら事務所を徘徊したかと思うと、腕を組み悲痛な表情で窓の景色をじっと見つめている。


 ある程度、書類をさばき終えると、雄斗は階下の佐野を呼び、短く指示を出す。その指示の中には『逃がしてやれ』という単語もちらほら。


 金儲けより、人の心配ばかりする雄斗は、商いには向いていないが、それでいい。


 雄斗の仕事は、依頼者からの任務遂行ではなく、事件解決が重要なのだ。これは銀杏堂が設立してから、ずっと変わらない信念でもある。

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