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勇者アリスの異世界奮闘記  作者: 壱宮 なごみ
第1章:Road of the Drop
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無謀な帽子屋 ―マッド・ハッター―

 あの日の後悔を、忘れた日はない。どれほど悔やんだところで、戻りはしない。だから、頭に、心に、焼きつけた。


―「ウサギ君……君でなくて、良かった……」


 彼の言葉の意図、安堵の理由は、未だマーチ・ヘアには量れない。「自分が代わりに捕えられて良かった」という意味なのだろうが、何故その結論に達したのか。突きつけたい大きな疑問は、拭えない後悔と共にしまいこんだ。


 マッド・ハッターのいない日常を過ごすうち、マーチ・ヘアは対人関係を成す上で必要な「ある作業」を省略するようになった。もとよりさほど表情の動かない人物だったため、周囲の者は(女王ロゼを除き)彼の変化に気付かなかった。それは、マーチ・ヘア|自身も例外ではなく。

 いつの間にか、怠っていた。もしかすると無意識に、不要な「作業」だと切り捨てていたのかも知れない。軍人だから軍人らしく、時として非情な行動を取るのだ……周りの人間がそう思ってくれることが、マーチ・ヘアの中で「前提」として巣食っていた。すなわち、「対話」という作業がなくとも、「軍人」という肩書があれば、行動理念も判断基準も、ある程度は認知されるだろう、と。

 ゆえに、旅の中で「勇者(アリス)」という「一般人」の考えに触れ、衝撃を受けたのだった。


―「私と涙のためなら怪我していいんですか?」


 軍司として貫いてきた最も効率的な対応を批判され、初めて理解した。どんなに論理的だったとしても、所詮は個人の判断。納得を得るためには、価値観を表明しなければならないということ。


―「わかんないけど! やろうと思えばちゃんと判断できるんでしょ!」


 リスティスへ向かう道中、アリスがランスロットに対して放った言葉に、マーチ・ヘアも考えさせられた。やろうと思えば、自らの基準をきちんと説明できた。やろうと思えば、アリスの基準を加味した判断をすることもできた。怠っていたのは、「対話」という作業工程を長らく閉じ込めてしまっていたから。

 譲れない信念がある。ただしそれは、行動によって示せるものだと思っていた。むしろ、行動によってのみ(・・)示すべきだと。

 しかしアリスは、信念が伴ったマーチ・ヘアの行動を見てもなお、ストップをかけた。


―「一人で戦うなんて、ダメです! 許可できませんっ!」

―「マーチさんが無茶するの、止める人がいないと、ダメなんですっ……」


 戦いにおいて軍司の判断にケチをつけるとは、とんだ勇者だ。しかし裏を返せば、彼女にも彼女の譲れない信念があるということ。


「楽しそうじゃないか。思い出し笑いかな?」

「……ああ、そんなところだ」


 対峙するマッド・ハッターの手は、異様に黒い光沢を持つ剣が一振り。どうにも嫌な予感がする。なぜなら、こと戦闘センスにおいて、お世辞にも好評価しかねるのがハッターという男だからである。その彼が握っているのだ。魔女モルガンの「加護」がある特別な剣とみて間違いない。


「この状況で考え事とは、君は相当な自信家らしい」

「一対多と呼ぶほどの状況ではないだけだ」


 もちろん、ハッターの部下十数名が持っているのも、同じ黒光りの武器だった。が、研究室(ラボ)への突入前と現在の手合わせで、マーチ・ヘアは彼らの体術レベルを把握した。そして、彼らではモルガンが武器に施した「加護」を使いこなせていないのであろうことも。


「では、試そうか」


 ハッターがパチンと指を鳴らし、十数名の部下が一斉にマーチ・ヘアに襲いかかる。だがその突入は、マーチ・ヘアにダメージを与えるに至らなかった。最小限の動きをもって複数人を退ける術など、軍師である彼にとっては基礎知識も同然。峰打ちを食らいその場に倒れる部下たちに、ハッターは「やれやれ」と肩をすくめた。


「この(てい)たらく……モルガン様もさぞお悲しみであろう」

「降伏しろハッター、僕は無益な争いなど……」


 マーチ・ヘアの言葉は途切れ、金属音が響く。黒光りする剣を、ハッターが振るったのだ。防ぎながら、マーチ・ヘアの中で違和感が生じていた。この攻防は何かがおかしい……と。


「悩みがあるのかね?」


 皮肉なことに、アリスにさえ見抜かれないマーチ・ヘアの微妙な表情の変化を、マッド・ハッターは洗脳されてなお、見分けることができていた。無論、見抜かれようとマーチ・ヘアに動揺はないのだが。


 戦闘を不得手とするハッターが、一切の無駄な動きなく攻撃と防御を繰り返している。たとえ優れた知能をもって分析・予測ができたとして、シミュレーション通りに身体を動かすには相応の筋力と鍛錬が必要だ。モルガンの魔力で身体能力を上昇させられているのか。とすれば、その反射速度を上回る攻撃は有効のはず。


「ふむ、いいだろう」


 まるでマーチ・ヘアの表情から思考を全て読み取っているかのように、相槌を打つハッター。直後、マーチ・ヘアは自身最大の瞬発力を発揮し、ハッターとの距離を詰める。右手に握った短剣を外から内に大きく振るのと同時に、腰のベルトからもう一本の短剣を抜く。相手の視界にその動作が映らないように計算された緻密な動きだった。

 大振りした右手の短剣を、のけぞるようにかわしたハッター。その死角から突然別の短剣が現れれば回避は不可能……の、はずだった。


 キィンッ!


 死角から飛び出してきた追撃が終始見えていたかのように、ハッターは右足で短剣を蹴り上げた。のけぞる姿勢からそのまま後ろに一回転は、思わず息を呑むほどの流麗な動き。


「まったく、油断も隙もない」


 曲芸師さながらの身のこなしに、マーチ・ヘアは弾かれた短剣を拾うことすら忘れてしまう。


「どういうことだ……君に」

「私には回避できまいとふんで仕掛けてきた、そうだろう? 君と私に大きな戦力差が生じている最大の要因は、私の身体能力の低さであった(・・・)からだ。裏を返せば、私は追いつけないだけだったのだよ。どこからどのようにどの程度の攻撃が繰り出されるか、分かってはいたのだがね」

「……まさか、その剣が」

「正解だ。実に素晴らしい力だろう」


 マーチ・ヘアの予想は、またしても超えられた。モルガンがハッターに施したのは、単なるドーピングの魔法ではない。黒光りする剣の効果を、常人が活用しきれていない理由もはっきりした。


「私はついに、真の意味で、私の身体を自在に操れるようになったのだ!」


 まるで、マッド・ハッターの戦闘力を飛躍的に上昇させるための魔力補助――すなわち、脳内で計算しイメージした動きを、身体能力を無視してでも実現させる効果。

 だが、一般兵がこの魔法具を持ったところで、戦闘力の上昇はそこまで見込めない。なぜなら、戦闘訓練を積んできた彼らは、己の力量を知っているからである。イメージが自身の能力の限界を超えることはまずない。

 しかし、自分の限界どころか常識にすらとらわれないハッターに限っては、全く異なる結果をもたらす。情報処理能力と判断力に()けている彼がその恩恵を受ければ、あらゆる攻撃を「どんな手を使ってでも」防ぎ、「常識離れした」意表の付き方で攻めることが可能となってしまう。


 危険だ――。マーチ・ヘアは直感した。どんなに脳内でシミュレーションが出来ても、自身の筋力が伴わないまま実行に移せば、肉体が悲鳴をあげるはずだ。ハッターが無理な動きをしないうちに、黒光りの剣を捨てさせなければ……。


 マーチ・ヘアがハッターの右手を狙い始めると、彼は即座に意図を理解した。


「モルガン様の圧倒的力の前では無理もないが……あまり驚愕を(あら)わにしない方がいい」


 剣同士をぶつけさせたかと思うと、そのままグッと力をこめ、跳躍する。頭部への蹴りを予感したマーチ・ヘアは咄嗟に腕で防御するが、蹴り飛ばされてしまう。


「……めろ、」

「それはそのまま隙となり()る」


 口内が切れたのか、唾液に血が絡む。蹴りを防いだ腕も痛むが、それ以上に胸の奥底が痛む。まともに武術を学んだことのないハッターは、今の強烈な蹴りを無理矢理くり出したことで、足の甲にヒビを作ったに違いなかった。


「もう、やめろ……」

「君の理性の強さには敬意すら抱く。鋼という形容も生温い」


 剣同士の攻防で弾き落とさせるのは不可能に近い。とにかく一刻も早く、剣の魔力からハッターの肉体を解放しなければ。腕さえ押さえてしまえば、とマーチ・ヘアが関節技を決めようとした、その時。


「なっ……!」


 マッド・ハッターは躊躇なく肩の関節を外し、剣を左に持ち替えて振るった。距離を取るマーチ・ヘアに対して向けられるのは、恐ろしいほどの余裕を持った瞳。


「常に己を律し、誇りをもって行動する……そのような人間の(ほころ)びを知っているかな?」


 あくまで冷静に、彼はゴキンと関節を戻し、何事もなかったかのように右手で剣を構えた。

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