王女と少年 ―魔女と狐―
もしや魔物の存在は本当で、誰かが閉じ込められているのかも知れない……そう考えたロビンは、声を殺して壁伝いに進む。徐々にハッキリ聞こえるようになってきた女の声。暗闇ではあるが、他には声どころか気配すら感じられない。ロビンは思い切って呼びかけた。
「誰か、閉じ込められてんのか?」
すすり泣く声が止まる。やはり、女以外は誰も何もいないようだ。すすり泣いていた声が、少し間をおいてロビンに尋ねる。
「……何者だ」
声の響き方から、彼女との距離はそう遠くない。洞窟の最奥部付近まで来ているとふんだロビンは、ゆっくりと歩みを進めながら、目を凝らしながら、答えた。
「俺はロビン・フッド、この辺に魔物が出るって聞いて、確かめに来た」
「……帰れ」
「閉じ込められて泣いてんなら、一緒に外へ……」
「聞こえなかったか? 帰れ、と言った」
女は頑なに動こうとしなかった。暗闇に目が慣れてきたロビンは、幽かに見えた女の手を取り、引っ張る。
「こんなトコに長居してたら、気分だってしぼんじまうだろ」
動こうとしない意志こそ固かったが、女の身体能力――引っ張り出そうとするロビンへの抵抗力――は、かなり低下していたらしい。つられるように立ち上がり、ロビンが導くままに歩行する。が、陽光溢れる洞窟の入口まで来た途端、ぐっと足を止めた。
「どーしたんだ?」と振り返ったロビンは、初めて彼女の姿を視認する。自分よりも背が高い、明らかに年上――十代前半だろうか。育ちの良さを示すような、白く細い腕と足。そしてその体躯を包み込むように真直ぐ長く伸びた、臙脂色の髪。紅い瞳とその周りは、長い間涙に暮れていたせいかひどく腫れていたが、覚悟に似た強さを宿らせ、彼女は凛として宣言する。
「これ以上は、行かない」
「な、何でだよっ! そんなに目ぇ腫れるまで、1人で泣いてんのに……」
言葉は遮られた。正確には、彼女が突如ロビンの頬に掌を添えたことで、ロビンは思わず息を呑み、言葉を詰まらせたのだ。間近で見ると、紅い瞳にはブラウンが混ざっているのが分かる。綺麗だ、と、純粋にそう思った。
ところがその感想を最後に、ロビンの意識は朦朧としてしまう。
「家へ帰れ、ロビン・フッド。これは命令だ」
「…………はい」
真直ぐに見つめられた状態で「命令」を受けたロビンの瞳は、すっと光を失い、彼女に一言だけ返した。
彼はとうとう、付近でおろおろしながら待っていたリトル・ジョンに再会するまで、自我を取り戻すことはなかった。不思議なことに記憶の一切がぼやけた状態。涙ぐみながら「無事で良かった! 何もいなかった!?」と尋ねる幼馴染みに、何も答えることができなかった。
その日の夜、自宅のベッドの上で、今日あったことを順に思い返した。生き物みたいに動く木々、洞窟に入ろうとした自分は追い詰められた。背中の擦り傷はあの時作ったのだ。壁伝いに歩いた暗闇の中、泣いている女の声が聞こえて……――
「……そっか」
そこまで記憶を辿って初めて、ロビンは自覚した。あの瞬間、自分は彼女にマインドコントロールを受けて帰らされたのだ、と。
「アーサー……一体どうすれば……どうすれば、許してくれる……」
「そいつがお前をいじめんのか?」
翌日。ロビンは再び伸びて動く枝のバリケードを突破し、洞窟の最奥部にやって来た。彼女の様子は昨日と少し違い、今日はすすり泣くというより、記憶の中の誰かに問いかけているようだった。
ロビンが呼びかけると、彼女は昨日の別れ際と同じく威圧的な口調で返した。
「……お前、何故また此処へ?」
「言っただろ、魔物を探しに来た。けど、いねぇみてーだからさ、今日はお前と一緒にメシ食いに来た。ちゃんと2人分持って来たぜ」
「帰れ。二度と来るな」
「嫌だ。泣いてる女は放っておくな、って村の神父に言われてんだ。だから、名前教えてくれよ」
ロビンが生まれる前から、シャーウッドの住民たちはリスティスから弾圧を受けていた。どんな類の理不尽なのかはきちんと教えられていなかったが、村の大人たちが偉そうな兵士と口論しているのはよく見ていた。この頃から芽生えていたリスティスに対する反抗心。それは、ロビンの正義感と世話焼きの気質から来ていたのかも知れない。
同様に、洞窟の中で泣いている彼女にも、ロビンの世話焼き気質は働いた。彼の訴えに、彼女が何を思ったのかは量れない。が、彼女は溜め息混じりに自らの名を零した。
「……モルガン」
「シャレた名前じゃねーか。ほらモルガン、真っ暗じゃ不便だし、外で食べよーぜ。シスターが作ってくれたんだ、無駄にしたらバチ当たっちまう」
「バチか……当たってもいい。どの道、私は存在すべきでなかったようだからな……お父様やアーサー、世界に忌み嫌われた存在だ……」
「だからこんなトコで、1人で籠って泣いてんのか? 意地悪されたらやり返すとかさ、何か抵抗しねーのかよ」
「無知の分際で、中途半端に構うな」
「モルガンが泣いてるからだろ。無知だってバカにすんなら、理由くらい教えろよ。メシ食いながらでいーからさ。気分も軽くなるだろーし」
昨日と同じく、ロビンはモルガンの手を引いた。彼女は何も言わずに立ち上がり、ロビンの後に続く。だがやはり、入口付近で立ち止まってしまった。
「モルガン?」
「日光は苦手だ」
「そうなのか……じゃあ木陰に、」
辺りを見回して大きめの木陰を探そうとしたロビンの横で、モルガンはスッと右手を伸ばした。目を閉じて深呼吸した彼女は、木々に向かって「命令」する。
「織り成せ、編み込め、創り出せ。私を守る、屋根となれ」
すると、ただ風の吹くままに揺らされていた無数の枝が、自らぐんぐんと伸び始め、縒れて捻れて互いを編み込んで、日よけのドーム型アーチとなっていく。
「すげぇ……」
目玉を落としそうなほど見開くロビン。洞窟の入口前には、ところどころ木漏れ日がこぼれる、絵本の中のような幻想的な空間が出来上がっていた。
直射日光が注がなくなったことで、モルガンはゆったりと洞窟の外へ足を進める。ハッとして駆け寄ったロビンの方を向き、彼女は言った。
「この通り、洞窟の魔物は私だ。有り余る魔力を駆使すれば、木々を使ってお前を絞め殺すことも、岩石でお前の頭を砕くことも、土砂で生き埋めにすることも、精神を侵してマリオネットにすることも出来る。それでもお前は、私とランチを共にする、と?」
紅い瞳は、挑戦的であると同時に、悲哀と疑念に満ちていた。長らく1人でいたことで宿してしまった、魅力的ながらも不要な光。それを吹き飛ばさんと、ロビンは笑う。
「ああ。泣き虫のモルガンに、そんなことは出来ねぇだろーしな」
有り余る魔力とやらが彼女を孤独にしたのだと、直感した。彼女は魔物などではない。ただ、1人で孤独と戦っていただけなのだと。
「俺はちっとも怖くねぇぜ? モルガン、お前が誰に嫌われてよーが、世界がお前を否定しよーが、俺は絶対、お前に味方する。アーサーってヤツも、ぶっ飛ばしてやるよ」
何も知らずに明るく言い切るロビンに、モルガンは目を見開く。
大きな魔力を持つせいでペンドラゴン王家を追放された身であることも、アーサーというのが異母弟であり次期キャメロット国王であることも、始祖ロットバルトから孤独は運命だと宣告されていることも。自分のことを何も知らないにも関わらず笑顔を向ける少年に、圧倒された。
追放されてから人と関わることなく密やかに生きてきたモルガンには、ロビンの言葉も、サンドウィッチを分け与える手も、寒空の下で差し出されたポタージュのようで。
「……バカな狐」
1人で大丈夫だと思っていたのに、視界が滲む。孤独に耐え抜くことへの覚悟が、溶けてゆく。震える手でサンドウィッチを受け取ったモルガンは、久方ぶりに柔らかく優美な微笑みを見せた。
「ありがとう……ロビン」




