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勇者アリスの異世界奮闘記  作者: 壱宮 なごみ
第1章:Road of the Drop
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(諦めた)指示と(消せない)信念

―「君の忠誠は些か危険だ」


 悪意に満ちたサーヴの笑みを前に、マーチ・ヘアの脳裏にある日の会話が蘇る。

 アヴァロンが建国されて間もない頃、まだ明確な戦争の兆しなどなかった昼下がり。ハートキングダムにて、財務官であるマッド・ハッターとチェスに(きょう)じていた。普段は紅茶の銘柄やそれに合う焼き菓子について語る彼が、珍しく突拍子もない話を振ってきたのだ。


―「唐突過ぎる。意味が分からないが」

―「これは失敬(しっけい)、ふと思い至ったものでね。例えば私はこの国の帳簿をつけているわけだが、仮に不正を働いていたら君はどうするかね?」

―「答えるまでもない」

―「うむ。それではもし……あり得ない想定ではあるのだが、不正な帳簿を付けさせられて(・・・・・・・)いたとしたら?」

―「ハッター、お前は女王様を……」

―「ウサギ君、私の注釈は聞こえなかったのかね。勿論、我らが女王様に限ってそのような指示は断じてなされない。仮にそのような事態が起きた時、君は間違いなく私を罰するだろうと思ったのだが、どうだろう」

―「……万に一つもあり得ないが、そのような悪事を働くよう命令された時点で、(あるじ)の間違いを正そうとせず安直に従った君の罪は大きい」


 ルークでチェックをかけながら、マーチ・ヘアは答える。マッド・ハッターはその回答を予測していたのか、「結構」と満足げに頷き、ビショップでルークを取った。


―「さて問題はその先だ。私が悪事を働かされた場合に君は私を罰する。ではもし君が、悪事を働くよう命令されてしまったら?」


 挑戦的なマッド・ハッターの瞳を一瞥(いちべつ)し、マーチ・ヘアは溜息を一つ。彼のナイトがマッド・ハッターのビショップを取る。


―「それこそ、答えるまでもないだろう。僕は可能な限り、指示された段階でお考えを正そうと努める。が、叶わないならば罰せられるほかない」

―「やはり危うい。我々は国家の両翼(りょうよく)を担ってはいるが、国家は『個人』ではない。両翼は必ずしも相反するものではないのだよ」

―「君のその価値観は、感情が伴う業務を担っている影響だ。だがどのような理由であれ、僕が間違いを犯した時は、真っ先に僕を罰するべきだ。ハッター、君は僕に対しては、非情でいてくれていい」


 軍司になるよりもっと前、軍人として戦って生きることを決めたその日から、マーチ・ヘアの行動理念は規律に基づいていた。

 一方マッド・ハッターは司法のトップとして国民の感情に触れることも多く、しばし感情的判断を求められる場面もあった。それが裁判官としての彼の役割と知りながら、マーチ・ヘアは「非情でいてくれていい」と告げておいたのだ。


「ハッターはてめぇとの約束を捨ててたぜ。『無理だ』っつってなぁ! どんな約束かは知らねぇが、破られちまったワケだ! んで、今も同じだろ? 傍を離れるなっつーお前の指示を、依頼を、勇者のガキは守らなかった! ざまぁねぇ!」

「……無理だ、と、言ったのか」

「あー?」

「まったく……ハッター(あの男)らしい」


 意図していなかったマーチ・ヘアの強い視線が(かん)に障ったようで、サーヴはやや眉間に皺を寄せる。首と肩をゴキッと鳴らし、体勢を低くした。


「ムカつくなぁ……そーゆー一発逆転狙ってる顔」

「そんなものは狙わない。お前の相手はあくまで、伯爵に務めてもらうつもりだ」

「ドラキュラ? ハッ、残念ながら今のヤツは雑兵(ぞうひょう)にも及ばねぇポンコツだ。さっき一目見て分かったぜ。アイツ最近、一番必要なもん食ってねぇだろ」



 ***



 ランスロットやマーチ・ヘアほどではないが、アリスはブナ林の中、ユフィをうまく操れていた。再びマーチ・ヘアの元に戻れるように、ほぼ一直線に駆けていく。と、アリスの前に2匹のコウモリが現れる。それらを追って林の奥へ進んだアリスは、伯爵とリトル・ジョンとの合流を果たした。


「伯爵! ジョンさん!」


 リトル・ジョンの方は左肩に怪我をしており、聞けば、白い霧の中でロビン・フッドの影を追ったところ、ボウガンの罠が張られている箇所に誘導されたとのこと。しかもそこから、肝心のロビン・フッドは気配ごと消えてしまったという。


「アリス嬢、無事で何より……おや、マーチ・ヘア君は?」

「それが……」


 人狼サーヴの変身能力のことを話す。伯爵は彼の力について知っていたようで、リトル・ジョンの傷の手当てをしながら言った。


「サーヴ・グレンドンとは腐れ縁でね……。条件はいくつかあるが、基本的に対象の毛髪が手に入ればその人物の姿に変身できる。マレフィセントの系統に属する魔力保持者なのさ」

「えっ、『涙』と同じ系統……?」

「じゃあ最初から、ロビンはココにいなかったってワケ?」

「恐らくそうだ。元々この辺りにはロビン・フッドが仕掛けた数々の罠があった。それらを使いながら我々を攪乱し、分断するのが目的だったのだろう」


 伯爵を昔から知っているというサーヴは、ヴァンパイアの特性――即ち反響音の解析が障害物の多い場所で機能しづらいこと――を熟知していたようだ。


「今、マーチさんが1人で戦ってるんです。私は判別できなくて……だから、早く行って、本物のマーチさんに加勢しないと……!」

「確かに、暴れ狼の相手は勤勉なウサギ君の手に余ってしまうね」


 手当てを終えた伯爵は、バサッと黒い翼を広げる。僅かだが数箇所に亀裂(きれつ)があり、彼も何らかの罠でダメージを受けたのだと想像できる。


「ジョンさん、一緒にユフィに乗って」

「は? こんぐらい何とも」

「本当にロビン・フッドが現れた時のために、ちょっとでも体力温存しておかなくちゃ」


 体の大きなリトル・ジョンが乗っても、ユフィは動じずこれまで通り進み始める。感心したアリスはそっと首筋あたりを撫でてあげた。



 ***



 開きかけた傷口を気にしつつ、マーチ・ヘアはサーヴの攻撃を防ぎ続けていた。尋常ではない脚力によって予測不能な動きをするサーヴに対し、霧で視界が利きづらい分だけ聴覚への意識を高め、その爪と牙を防ぐのが精一杯。背中の痛みもあって反撃する余裕が正直なかったのである。


「そんな守備、じき崩れるぜ? 勇者に見捨てられた時点で、てめぇは(しま)いだったんだよ」

「……勘違いも(はなはだ)だしいな」


 勝機があると疑わないマーチ・ヘアの姿勢に、サーヴは不快感を顕わにする。


「一つ訂正してやる。僕の言葉は届かなかったんじゃない。受け入れられなかっただけだ」

「くっははは! なおさらひでぇ! 負け惜しみにもなってねぇぞ!」

「なぜなら……ハッターもアリス殿も、僕の意思を()んだ上で、僕が諦めるべきとしたことを諦めまいとしたからだ」

「んだそりゃ? ワケわかんねぇんだよ堅物ウサギ!!」


 叫びながら振り下ろされたサーヴの右爪は、短剣を吹っ飛ばす。間髪入れずにマーチ・ヘアを切り裂こうとしたサーヴの左爪は、「別の人物」を切り裂いた。


「どうやら……間に合ったみたいだね」

「てめぇ……!」


 咄嗟に2ステップ下がったサーヴの視界には、白い霧の中でも目立つ、黒いマントがなびいていた。そして、たった今彼の爪がつけた傷は、じわじわと緩やかに消えていく。


「手間をかけた、すまない伯爵、礼を言う」

「大したことはない。私もそろそろヴァンパイアとして暴れたいと思っていたところさ」


 穏やかな笑みこそ見せていたものの、その姿は変化し始めていた。ブルーグレーの瞳は黒く染まり始め、牙も鋭く伸びていく。対するサーヴは極上の獲物を見つけたかのように、舌なめずりを一つして、口角をあげた。


「会えて嬉しいぜ、ドラキュラ……。カーミラの分まで、いたぶってやるよ」


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