人狼の悪だくみ ―2人の軍司―
「大丈夫、大丈夫だよ、ユフィ」
安心させるように撫でてやり、アリスは意を決してその背から降りた。
辺り一面の白い霧、残念ながら今のアリスには敵・味方の位置はおろか、これから目指す方角も分からない。大きな声でマーチ・ヘアを呼ぼうとして、躊躇う。ロビン・フッドにしろ人狼サーヴにしろ、最優先でアリスの持つ「マレフィセントの涙」を狙ってきているはずだ。ここで大声をあげるということは、自分の位置を味方だけでなく敵にも知らせてしまうということになる。
ユフィ以外とはぐれてしまった状況で、アリスは自分でも驚くほど冷静だった。このブナ林には爆竹と閃光弾のコンビネーショントラップが何箇所か張られているようだ。とすれば、ここから無闇に動くべきでもない。未だおさまらない砂煙に少しだけ咽る。と、その時。霧の中から人影が1つ、接近してきた。やや警戒して一歩ユフィに寄ったアリスだが、やって来たのは味方だった。
「あっ、マーチさん!」
「無事だったか、怪我は?」
「大丈夫です。マーチさんの方こそ……」
「僕は何ともない。だが、この辺りは危険だ。僕らの視界が利きづらい今、人狼サーヴの嗅覚から逃れなければ……」
「そいつから離れろ!!!」
もう1つの声が聞こえたのと同時に、アリスとマーチ・ヘアの間を割くように短剣が飛んできて、その先のブナの木に刺さる。後ろによろめきながら短剣が飛んできた方向を見て、アリスは自分の目を疑った。
「マーチ、さん……?」
正面を見直し、もう一度横を向く。どちらも同じ服装、どちらも同じ顔と背丈。そして……
「間に合って良かった……それは僕じゃない、離れろ」
「気をつけてくれ。あれは人狼サーヴ、他者の姿と声をそっくり写すことができるようだ」
声も口調も全く同じ、まさにマーチ・ヘアが2人いるという表現が最適だった。どちらかが本物であるようだが、さっぱり分からない。2人のマーチ・ヘアを交互に見ながら、ユフィと共に後退りするアリス。どちらが本物かハッキリしない以上、両方と距離を取らざるを得なかった。
「人狼サーヴって……伯爵が追ってるはずじゃ……」
「ああ。僕らと合流するのに時間はかからないはずだ」
「だが、どうやらこの森には先ほどのようなトラップが多い。伯爵も恐らく足止めされている」
「その罠に僕らを誘い込んだのは、お前だろう。香でユフィを刺激し、暴走させた」
「なるほど、リトル・ジョンと合流させまいとしたあのタイミングは、ロビン・フッドのトラップを見破らせないためか」
2人のマーチ・ヘアのうち、一方は推論を展開していて、一方はさも推論であるかのようにネタばらしをしているのだろう。そこまでは分かっても、アリスはまだ判別できない。表情に違いがあれば見分けがついたかも知れないが、ご丁寧に人狼サーヴはマーチ・ヘアの鉄仮面っぷりまで完コピしている。まるで双子、どころか、まるでクローンだ。
「マーチさん、ごめんなさい……私、どちらが本物のマーチさんなのか、分かりません……」
自分が情けなくて、肩が震えた。女王様なら、瞬時に判別できただろうか。ほんの僅かな変化すら読み取って、マーチ・ヘアの信頼を得ているロゼ女王なら。正面と右手側にいる2人のマーチ・ヘアをもう一度見比べても、やはり分からない。
「問題ない。僕が自分でこの偽者を退ければいいだけの話だ」
正面のマーチ・ヘアが腰にあった短剣を構えて言う。
「君に戦闘を要求するつもりはない。女王様から与えられた僕の使命は、君を守ることだからだ。さがっていてくれ、アリス殿」
呼び方も思考もそっくりそのまま、今までアリスが接してきたマーチ・ヘアである。直後、戦闘が始まった。正面にいたマーチ・ヘアは右手側から来たマーチ・ヘアに剣を振るう。普段の攻撃のクセなど知っていれば見抜けるのだろうが、生憎アリスはその点においてド素人だった。どちらに加勢すべきかも、どう加勢すべきかも分からず、狼狽える。
「アリス殿! 判断は任せる!」
右手側にいたマーチ・ヘアが、攻撃をいなしながら叫んだ。
「この場は僕だけで何とでもなる! 安否確認に行くも、先に進むも、君が決めていい」
「惑わされるな! 君が単独行動に走れば、向こうの思うつぼだ」
「必ず追いつく、君がハッターに遭遇するまでに」
「トラップが張り巡らされている限り、君を1人にはできない。僕の傍を離れないでくれ」
「マーチさん……」
短剣がぶつかる光景を前に、アリスは困惑した。片方は「離れるな」、もう片方は「離れてもいい」と言う。双方合理的な主張であり、真偽の判断に結びつかない。だがふと、キャメロット王宮内をマーチ・ヘアと散歩した時の会話がアリスの頭を過った。
―「全身全霊をかけて君を守ると誓おう。だから、片時も僕の傍を離れないで欲しい」
確かにそう言われた。マーチ・ヘアは常に勤勉実直で、「勇者としてのアリス」を正当に評価してくれて……
「……少しだけ、時間をください」
アリスはユフィに跨り、2人のマーチ・ヘアが戦う場から離れた。あのどちらかが人狼サーヴであるならば、伯爵は今、誰とも対峙していないはずだ。安否を確認し、相談しよう……そう考えたのである。
***
片方のマーチ・ヘアが鼻をクンと利かせ、舌打ちをした。
「てめぇの姿マジ使えねぇなぁ、傷の1つでも作っときゃ良かったか」
「お前……あの時も僕の姿をしていたな」
「知らねーよ、あの時ってどの時だ?」
「僕がカトゥタカから帰還させられたあの日……ハートキングダム各所で火が上がった日だ」
いつもより眼光を鋭くさせ、マーチ・ヘアは短剣を振るう。その攻撃をバック転でかわしたマーチ・ヘアは、もう一つバック転をして木の上に飛び乗った。
「ああ! 思い出したぜ、ハッター捕まえた日だろ? そーいやあん時も、あんま効果なかったなぁ、モルガン様に保存しとけって言われなかったら、てめぇの姿なんざとっくに捨ててんぜ」
鼻で笑いながらマーチ・ヘアを見下ろし、木の上のマーチ・ヘア――もとい、人狼サーヴ――は続けた。
「ま、今回は攪乱としちゃ上出来だろ。ロビンの助けもあったしな。あとはここでてめぇをかっ食らえば、俺が本物のマーチ・ヘアだ」
「アリス殿には通じない」
「くっははは! あのガキに見破れっかよ! 現に混乱して逃げちまった!」
姿こそマーチ・ヘアのままだったが、サーヴは腰にある短剣を鞘ごと投げ捨てる。愉悦たっぷりに舌なめずりをして、枝を蹴った。
「そっくりコピーした俺の言葉が響かねぇってこたぁ……てめぇの言葉が響かねぇのと同義なんだよ!!」
「ぐっ……!」
サーヴ本来の武器である自身の頑強な爪がマーチ・ヘアを襲う。かろうじて短剣で防ぎ、いなすマーチ・ヘアに、サーヴは笑いながら攻撃の手を緩めない。
「あん時も! 今も! てめぇの言葉は届いてねぇ!!」
脚の筋力を最大限に発揮し、サーヴは一瞬にしてマーチ・ヘアの背後を取る。そして狙ったかのように、以前洗脳下にあったランスロットに斬られた部分を、爪で裂いた。
「くぅっ……!」
咄嗟に距離を取るマーチ・ヘアに、サーヴは急いた追撃をせず、自分の爪に付着した血を舐める。
「分かるぜぇ……プンプン匂うからなぁ。塞がりたての傷口だ」
「随分、鼻が利くんだな」
「てめぇの耳と似たようなもんだぜ。つーかそんな仏頂面で褒められても嬉しくも何ともねぇな。そーやって感情押し込めて剥製みてぇに生きてっから伝わんねぇんだよ」
「余計なお世話だ」
「まぁ聞けや、三月ウサギ。教えてやるよ、あの日ハッターが俺に何て言ったか」




