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勇者アリスの異世界奮闘記  作者: 壱宮 なごみ
第1章:Road of the Drop
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夜更けの思惟 ―女王の胸騒ぎ―

「聞こえるかい、伯爵サマ」


 礼拝堂に横たわるアリスを前に、チェシャ猫は静かに口を開いた。その横には、伯爵のコウモリが2匹。取り乱したランスロットの声で、異常事態が起きたことは伯爵およびマーチ・ヘアにも伝わっているようだった。


―「策があるのかな」


「リトル・ジョンだけが解毒方法を知ってるらしいんだ」

―「繋ごう」


 チェシャ猫にしては珍しい、簡潔な物言いでの提案だった。意図を理解した伯爵も、迅速に眷属(けんぞく)へ指示を出す。意識のないアリスに呼びかけていたランスロットも、落ち着きを取り戻し、右拳を握りしめる。その手には、アリスの胸部から抜き取られた吹き矢があった。


「あの狐野郎……」

「かつての仲間が自分を『助け出そうと』アヴァロンに攻め入る可能性を(さと)って、俺たちを足止めにかかった。勇者であるアリスちゃんが倒れれば、少なからず俺たちの行動は制限されるだろうしね」


 なかなかの名案だよ、とロビンを褒めるチェシャ猫に、ランスロットは疑念のこもった視線を送る。と、コウモリから伯爵でない声が発せられた。


―「ロビン! いるのか!?」

「リトル・ジョンで間違いないかな? 期待させといて悪いけど、ロビン・フッドはアヴァロンに戻ったところでね。アリスちゃんが彼から毒矢をプレゼントされたんだ、解毒できるかい?」

―「毒矢……って、そ、それ、放っといたらまずいよ!! 何分経った!? アリス、呼吸は!?」


 焦燥(しょうそう)(あら)わにするリトル・ジョンの声に対し、気絶したアリスの傍にいるランスロットが返答する。


「食らってそろそろ3分、呼吸はあるが弱ぇ」

「解毒には何が必要?」

―「……シャーウッドでしか採れない花の蜜。けど、その毒は全身の筋肉を徐々に麻痺させてくヤツで、タイムリミットは30分前後。それまでに解毒しないと……肺や心臓が動かなくなる」

「ざけんじゃねぇよ、30分じゃ往復は……」

―「俺を地下牢(ここ)から出してよ」


 リトル・ジョンは静かに告げる。


―「解毒剤、1つだけ持ってるんだ」



 ***



「……ず、……鈴、起きなさい」


 懐かしい声。目覚まし時計よりも強力な、目覚めさせるための声。この人のお腹から生まれたからなのか、この人の声は本当に、鈴の耳によく通る。


「鈴、まだ起きねぇの? だっせー」


 ムカつく声。どんな男子より鈴をイラつかせる、対抗心を燃やさせるための声。自分より後に生まれてきた存在だからか、こいつの声は、時として鈴に焦りすら与える。


「鈴はお寝坊さんだなぁ」


 不思議な声。一言で言い表せないのはきっと、鈴の心の状態によってこの人の声の聞こえ方が変わってくるからだと思う。威厳を感じる時もあるし、寂しさを感じる時もあるし、うざいと思う時だってあるけれど、今は特別温かく響く。

 いつの間に帰って来たのだだろう、本当に良かった。私、変な冒険をしたんだよ。猫耳男子とウサ耳男子、笑顔が怖いお医者さんに、童顔な王様、モデルみたいな女王様や、絵に描いたような魔法使い、怪力の巨漢とか天才児とか、三つ編みの魔女っ子とか、乱暴剣士とか天然タラシ吸血鬼とか、半人半熊とかメタボ領主とか。怖いことたくさんあって、ドキドキすることもたくさんあった。

 私、何だかやたら張り切っちゃってね、自分でもビックリしたんだ。平凡な私が、受験のことしか考えてなかった私が、戦争を止めたいとか、世界を救いたいとか、手に余ることばっかり考えて。おかしいでしょ? おかしいよね。私はずっと、私の人生を充実させなくちゃと思って勉強頑張ってて、いい暮らしのできる「勝ち組な」大人にならなきゃって思ってて、親孝行するにはそれなりのお金がいるなぁって、そんなことばっか考えながら生きてたのに。

 おとぎ話みたいな世界に連れて来られて、冒険しながら色んな人の話聞いてたら、どういうワケか……この人たちのためになることしたいなって、私にできることは何だろうって、そんな風に思ったの。おかしいね、私はただの受験生なのに。自分のことだけで手一杯な、普通の女子中学生なのに。まるで……勇者にでもなったみたい。


―「待ってるよ」


 あの時と同じ声。こっちの世界でもあっちの世界でも、聞いたことのない声。貴方は誰? 一体誰が、何が待ってると言うの?



 ***



 ハートキングダムの一室にて、女王ロゼはざわめく夜風に(まぶた)を開けた。カタカタと音を立てる窓の外、金色の月が雲間から静かな光を注ぐ。ベッドに横たえていた体を起こし、彼女は時計を見た。針が差すのは午前1時。何故このような深夜に眠りが途切れたのか、胸騒ぎを覚えずにはいられない。

 アリスは……自分が送り出したこの世界の勇者は、息災だろうか。何事もなく歩みを進められていれば何よりだが、そのようなことがあるはずもない。金色に輝く夜空の月ですら、満ち欠けをし、時として灰色の雲に覆われるのだ。まして、「勇者」であるとは言えまだ守られて然るべき年齢の少女が、常に明るく正しく振る舞い、喜びと安全に満たされることなど、残念ながらあり得ない。

 それゆえに彼女は、2人の青年をアリスに同伴させた。その旅路が少しでも安全であるように。その使命が少しでも軽くなるように。言い合いの絶えない彼らの存在は、時としてアリスの心労になり得る。それでも、チェシャ猫と2人きりで進むよりは良いはずだ。アリスの心を支える柱として、自分が認めたあの軍司ならば、役立ってくれるに違いない。

 ベッドから立ち上がり、窓辺に立つ女王。その(かたわ)らに、駒の整えられたチェス盤が1つ。黒と白の鉱石で作られた駒に触れ、女王は再び月を見上げた。夜風は依然、窓をカタカタと揺らす。まるで、アヴァロンの兵士が攻めてくる予兆であるかのうように。

 戦争など、起こしたくはない。それがロゼの、ハートキングダムの女王としての願望である。アーサー王の治めるキャメロットと同盟を組んだのは、「戦争の勃発」そのものを抑制する目的があった。宰相としてマーリンを派遣させたのは、キャメロットの戦力をそぐため。そしてアヴァロンに対しては、キャメロットへの侵攻はすなわち2つの大国を迎え撃たなければならなくなる、という事実を明示した。デメリットがあれば、敗北の危険があれば、火蓋は切って落とされずに済む。多くの者は「じきに戦争は始まる」と噂しているが、膠着(こうちゃく)状態が続き、その間にマレフィセントの涙が処分されれば、あるいは……


(わらわ)の考えは甘いか……白の(ホワイト)ビショップ」


 独り言のように零した女王の傍らで、チェス盤のビショップの駒が1つ、エメラルドの光を放つ。その光がやむと盤上から駒は消え、代わりに女王の後ろで頭をさげる聖職者が1人。白のアルバの上に紫のストールをまとう彼は、10代の顔立ちをしながら白銀の髪をもっていた。


「恐れながら、ご自身のお考えが楽観に過ぎぬことは、財務官失踪の折にご理解いただけたかと」

「……そちの核心を突く物言い、慣れぬの」


 眉を下げながら微笑み、女王は思い出す。



 マッド・ハッターが失踪した日、ハートキングダムは混乱の中にあった。

 ハートキングダムの最南端は、カトゥタカという国に隣接している。カトゥタカは古くから大陸南部のほぼ全域を領地としており、その南西部には広大な砂漠があるという。

 幸か不幸か、カトゥタカとハートキングダムの国境近辺には山脈と密林が広がっており、長い間交易はなされていなかった。しかし、モルガンによる侵攻が苛烈(かれつ)さを増していることもあり、1ヶ月ほど前にマーチ・ヘアを団長とした使節団を派遣していた。


 事の発端は、ある奇妙な知らせだった。先日届いた手紙では帰還まであと5~7日かかると言っていたマーチ・ヘアが、ハートキングダムの中心地・リデルの飲食店に姿を現したというのだ。長旅で余程の空腹におそわれたのだろうか。だとしても、誰より自分に厳しいマーチ・ヘアが、女王への報告前に別の場所へ立ち寄るなど考えにくい。

 その報告をしたのは、リデルを巡回していた黒のナイトポーンだった。普段マーチ・ヘアと接していない分、見間違いとも考えられたのだが……翌日、今度は森番であるチェシャ猫が報告をあげてきたのだった。キノコの森の外れに妙な魔力を感じたから行ってみれば、何故かマーチ・ヘアの姿があった、と。ただし、彼はチェシャ猫の接近に気付くやいなや、森の奥深くへ姿を消してしまったらしい。

 回りくどい言い回しをする皮肉屋のチェシャ猫にしても、冗談が過ぎる。女王は至急、マーチ・ヘアと使節団を呼び戻すように、マーリンに依頼した。使節団は8人編成だったため、大魔法使いマーリンの魔力をもってしても、転移魔法で帰還させるのは相当負荷のかかる所業だった。無理をさせたことを詫びた女王に対し、マーリンは「その胸騒ぎを払拭(ふっしょく)できるのであれば」と微笑む。一方のマーチ・ヘアは事態が把握できず、珍しく戸惑っていた。


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