もう一つの(厄介な)壁
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空になった朝食プレートを持って地上に戻ったアリスを、トー卿が出迎えた。次男のラモラック卿から地下牢への入り口の施錠係を引き継いだらしい。
「あ、あの、昨日はすみませんでした。連れが手荒な真似を……」
「いえ、お気になさらず」
調理場までプレートを戻しに向かうアリスと同じ方向に、トー卿は足を進める。何かを言いたげな表情だが、イマイチ読めない。仕方なくアリスは自分が思っていることを口にした。
「ありがとうございます、トー卿」
「え?」
「貴方の『独り言』を聞いたおかげで、今朝は少し、リトル・ジョンと話せたんです。だから丁度良かった、すぐにお礼が言えたので」
「そんな、私は何も……」
再び口ごもったトー卿は、意を決したようにアリスの方を向く。
「あの、お加減がすぐれませんか?」
「えっ?」
「昨晩に比べてですが、今朝はあまり召し上がってなかったので……もしや、と」
トー卿の指摘は的確で、アリスは目を見開いて言葉を詰まらせる。
「それはえっと……別に食欲がないとか、ここのお料理が合わないとか、そういった感じじゃなくて、ですね……作戦です。リトル・ジョンに信頼してもらうための」
「作戦? しかし貴女がいくら食事を削ったとしても、彼にその姿を見ることは……」
「ええ、まぁ……」
正直なところ、詳細を言おうか言うまいか迷っていた。リトル・ジョンとの「毒見しろ騒動」をトー卿の耳に入れてしまえば、アリスがリスティスの人間を信用できていなかったことが明白になってしまう。躊躇うアリスの様子に、トー卿の方がゆっくりと口を開いた。
「……このような言葉だけでは信じていただけないかも知れませんが、私は……何を聞こうと、貴女の不利益に繋がる行動を取るつもりはございません」
どうして、という返答を、アリスは咄嗟に呑みこんだ。迷ったときは、「勇者として取るべき行動」について考える。
アーサー王と敵対している領主ペリノア王、その三男であるトー卿の言葉を信じるか、否か。場合によってはアリスとペリノア王の溝は更に深まってしまう。信じることは、勇気がいることだとアリスは思った。すなわち相手が裏切ったとき、その裏切りすら受け入れる器量を求められるのだ、と。しょうがないね、と納得して耐える覚悟が必要なのだ、と。
けれど、必要なのが「勇気」や「覚悟」であるとするならば、簡単な話でもある。勇者に求められるのは、まさしく勇気なのだから。
「私、ここの皆さんに謝らなければいけません」
疑問符を浮かべるトー卿に、アリスは話した。初めてリトル・ジョンに会いに行ったとき、何を言われ、どう返したのか。ペリノア王だけでなく、このリスティスの城に勤める料理人たちのことも疑ってしまったこと。よって、毒見ができなかったこと。そして、本日は無毒を確実に証明するため、マーチ・ヘアの案で、自分たちに出された朝食を取り分けてリトル・ジョンに持って行ったこと。
「……というわけで、私はいつも通り元気です。むしろその、気を悪くさせてしまって」
「アリスさん、今後はきちんと用意された食事を運んでください」
トー卿の言葉に、アリスは一瞬困惑し、やはり機嫌を損ねてしまったかと視線を落とす。
「その食事に毒など、私が決して入れさせません。貴女をこの世界の勇者とお認めになった……アーサー王陛下に誓って」
「トー卿……どうして、そこまで?」
アリスは単純に驚かされた。アーサー王と敵対する立場であるはずのトー卿が、「アーサー王に誓って」とまで口にするなんて。
「リトル・ジョンのために食事を用意することは、父上と貴女の間で取り決められた正式な契約です。然るべきときまで確実に遵守されるべきだ。それに私は……思ったのです。父上がおっしゃっていた勇者像から、認識を改めるべきだ、と」
「認識?」
「すなわち……貴女に対する認識です。昨日直接お話をして、私は貴女を、支援すべき……いや、その、力になりたいと、思いました」
強い眼差しを向けられ、反射的に足が止まる。朝食プレートを戻すべき厨房まで、あと10メートルなのに。彼の真意が掴めない。友好関係を結べると捉えていいのか、それとも、昨晩同様「ペリノア王による勇者一行を探るミッション」の一環なのか。ただ、ミッションの一環にしてはあまりに、強い感情の訴えだと思う。そうだ、まずお礼を言おう。
「あ、えっと……ありがとうございます。じゃあ私これからは、貴方の言葉を信じていいですか?」
躊躇いながら尋ねるアリスに、トー卿が答えようとした、その時だった。
「おい小娘、馴れ合うのも大概にしとけ」
「ランスロット、朝稽古してたんじゃ……」
「水分補給しに来たんだよ」
かったるそうに答えたランスロットは、トー卿をちらりと見てからアリスの持つ朝食プレートをひったくる。
「あっ、待って! いいです、私さげるから……」
「うるせぇ。つーか、さっきのは冗談抜きだからな」
「え?」
低く小さくなるランスロットの声を聞き取ろうと、アリスは彼に駆け寄り、その顔を覗き込んだ。そして、直感する。キャメロット王都とリスティスの間には、「先代派」「現国王派」の隔たり以外にも複雑な確執があるのだと。
***
朝食プレートを厨房にいた人間に押し付け、「水」と命令するランスロット。その高慢で威圧的な態度に城の者は怯え、即座に冷水入りの水筒が用意された。代わりにアリスが頭を下げれば、「何やってんだ、早く来い」と急かす始末。この言動の荒っぽさにはかなり問題があるな、と思いながら小走りで追いつく。と、不意に手首を掴まれた。
「ランスロット?」
「この城に、アーサーの後ろ盾があるお前を支援する野郎なんざいねぇと思え」
「どうして……」
「ハッ、知らねぇでリスティスに来たのか? 関係者の経歴ぐらい洗っとけ、基本だろ」
アリスに向けての言葉だったが、彼の視線は真直ぐ前を見たまま。不思議に思って辿ってみると、正面からペリノア王の長男・アグロヴァル卿が歩いて来ていた。
「これはこれは、円卓の騎士随一のランスロット殿。朝の日課が鍛錬でなく、女性との散歩に成り下がったご様子で」
「そう見えんのはてめぇが小娘見てやらしいこと考えてるからだろ。円卓の騎士にしてもらえなかった騎士見習いが、分を弁えろよ」
鼻で笑って通り過ぎようとするランスロット。手を引かれるアリスにはその瞬間、アグロヴァル卿の怒りに震える表情が見えた。
「貴様……撤回しろ!! 私の称号はとうに『見習い』から『騎士』になっている! それにその下賤な女になど……」
「撤回すんのはてめぇの方だろ」
振り向きざま、ランスロットが見せた冷たい瞳に、アリスは自らが対象ではないと分かっていても、戦慄した。アグロヴァル卿もその眼光に気圧されたようで、それ以上言葉を続けようとしない。
「薄汚ぇ思想とプライドに呑みこまれやがって……だから弟に負けんだよ」
「なっ……!」
「行くぞ」
意味はよく分からなかったが、恐らくアグロヴァル卿にとって最も言われたくないことを言ったのだろう。ランスロットがそういう人だということは、アリスもいい加減把握していた。
「弟って、ラモラック卿? トー卿?」
「違ぇよ」
そのまま朝稽古うってつけの中庭まで連れてこられたアリスは、木陰に座ってランスロットに問いかけた。そよ風に舞い落ちる木の葉を斬りながら、彼は答えた。
「ペリノアには4人の息子がいる。んで、一番下のソイツはアーサーの思想に惹かれてな、反対押し切って王都に移り住んだ。尚且つ、しつこく付きまとって俺の弟子になった最初で最後のバカ野郎だ」
「ランスロットの弟子!? じゃあ、すっごく強い人?」
「当たり前だろ、だから俺が決着つけに行くんじゃねーか」
「えっ?」
話しながら剣を休ませないランスロットを見つつ、アリスは行きついた「結論」に言葉を詰まらせる。
「そ、それって」
「ああ。ここの四男ってのは、『円卓の騎士』に任命されながら、俺と共にその身をアヴァロンに堕とした……パーシヴァル卿だ」