血の滲む訴え ―対面―
意を決して、数少ない共通話題を持ちかける。
「私、調べました。シャーウッドのこと」
暗闇の向こうから僅かな呼吸の乱れを感じ、注意を引けたことを察する。
「でも私がもらった情報は多分、偏見も入ってるような、紙の上の情報で……だから、良ければ聞かせて欲しいんです」
「俺に、話す義理はないよ」
「言っておきますけど、私もペリノア王は大嫌いです。第一印象でカチンと来ました。なので、警戒しなくても大丈夫です。ジョンさん、貴方から聞いたことを伝えたりしませんから」
「ははっ、本っ当におめでたいね、あんた。そんな薄っぺらい言葉で動くと思う? これ以上ふざけたこと抜かすなら……」
がしっと、腕が掴まれ引っ張られる感触に、アリスは体を強張らせた。否、強張ってしまった。腕を掴まれた感触だけでなく、もっと別の衝撃が駆け巡ったのである。
ランプの明かりの中に現れたのは、ガヴェインをも超える、大きな図体。ハンマー投げが特技っぽいレベルではない。アリスが長らく暗闇越しに会話していたリトル・ジョンという人物は、その口調からは到底想像できないような(恐らく)軽く2メートルを超える「大熊」――正確には、上半身が人間、下半身が熊となっている半獣――だった。こんな体格を持つクセに、名前に「リトル」なんて付いてるのは反則だ、というささやかな抗議も脳裏を過る。
「……冗談抜きで、この腕食いちぎるよ」
息を呑んだ状態のまますっかり硬直したアリスを、リトル・ジョンは嘲笑った。
「大口叩いてたのに、もう震えてる。残念だったね、ペリノアの雌犬」
鋭く伸ばされた彼の爪がアリスの腕に食い込み、アリスは痛みに表情を歪める。
本気で食いちぎるつもりなのか、そんなことができるのか、混乱のあまり木彫りの熊(北海道のお土産として有名な、鮭をくわえている例のアレ)を思い出す。そうだ、熊は凶暴な生き物だった……となると、ハッタリではない。爪が少し食い込んだだけでこんなに痛いのだから、食いちぎられでもしたら、出血も相まってそれこそ気絶する……。
「こ、困ります!」
咄嗟に出た言葉は、それだった。
「食べるのは、パンだけにしてくださいっ……」
体が強張ったままだったので、アリスは真直ぐにリトル・ジョンを見て、訴えた。依然、震えは止まらない。その状態でアリスに今できるのは、全てを伝えることだけだった。
「貴方に信じてもらえないのも、シャーウッドのこと聞けないのも、利き手を食べられるのも、困ります! 私は、約束したんです。女王様と、アーサー王様……助けてくれた人たち皆に……」
訴えるうちに、脳だけは冷静になってきた。震えは止まらないが、泣いてはいけないと自分に言い聞かせる。もう、この世界では泣かないと決めたのだから。
「血を流す方法以外で、どうすれば貴方に信じてもらえますか?」
「信じる? あんた、バカすぎるよ」
「じゃあ、バカな私を利用するのはどうですか? ここから出て、シャーウッドに帰るために」
「その甘言で俺から色々聞き出して、用済みになったら処分するんだろ! 誰があんたらなんか……」
「私は誰の命も処分したくないの!!」
冷静さを取り戻しつつあるからだろうか。今度は、自分の意図がなかなか伝わらないもどかしさに苛立ってきた。
リトル・ジョンが度重なる拷問のせいで疑心暗鬼になってしまったことには同情する。しかし、アリスを「ペリノアの雌犬」と呼び続けることと、最初から疑って何一つ聞き入れようとしないその態度は、どう捉えても「改善の余地あり」だと思った。
依然掴まれたままの腕には、彼の爪が食い込んでいてズキズキとした痛みがやまない。それでもアリスは真直ぐ前を見据え、(自分でもわかるほどひどく)震える声で続けた。
「もう一度お話しします。私が持っている魔法石はとても強くて、この世界に大きな争いを生みます。正直私は戦争がどれほど哀しくて惨くて痛ましいのか、分かりません。だけど……もう、操られた味方と戦って苦しんだり、庇い庇われて大切な人が血を流したり……そんなのは、嫌なんです」
これまでの旅路でアリスが経験したことは、「戦争」が与える痛みのほんの一部、一握りでしかないのだろう。その「ほんの一部」でさえ、あんなにも胸の奥に冷たく突き刺さってくるのだから、この世界中が「涙」を奪い合う争いを始めたりすれば……――
「お願いです。私は、魔法石を捨てるまでモルガンに討ち取られるワケにも、魔法石を奪われるワケにもいかないの。この世界のことを任されてしまったの。もし貴方がシャーウッドのことだけ守りたいなら、それでもいい。目的が部分的にしか一致してなくても、構わない。どうか……力を貸してください」
沈黙。右腕に痛みを伴いながらの、目も逸らせずに泣き出してしまいそうな沈黙だった。
言えることも、言いたいことも、全部言った。質疑応答形式ではなかったから、面接練習とは少し違う感覚だった。
たとえるなら、小学校でよくある、グループごとの調べものの発表――とても面倒くさいクセに正解がないため、評価の予測ができないアレ――だった。
「……シャーウッドのこと、どのくらい知ってる」
「えっ?」
「よく知りもしないで、何で必死になってんの」
腕は依然、掴まれたままだった。しかしそこには新たに力を加えられる気配もなく、むしろこれからの受け答えによってそれが決まる気がした。
何故だろう……アリスは考える。今まで知らなった世界に住む、見たこともない人たち――しかも「獣人」と呼ばれるヒトではない存在も含め――のために、どうして必死になれるのか。「戦争はよくない」と学校で習ったからなのか……いや、多分違う。それもあるけれどそれだけじゃない。とすると、アリスが必死になる理由は、この旅の先にある目的は……
目の前にいるリトル・ジョンに、綺麗事など通じないことは重々分かっている。
「……帰りたいんです、私も」
そう、頑張れる(というより頑張らなければならない)理由は、そこにあった。アリスにも、取り戻したい生活がある。中途半端に置いてきた世界がある。受かりたい高校がある。
「勇者になったのも半強制的で……怖くて、面倒で、逃げたいです。けど……この世界はそれを許してくれなくて……それどころか、この世界の人たちも結構良い人多くて、手伝わなきゃって思っちゃって……つまり頼まれたら断れないんですよ、日本人は」
「ニホンジン?」
「私のいた国の国民は、そう呼ばれてるんです。主な特徴は……えっと、例えば、ご飯はお箸で食べます。20センチくらいの、2本の細い棒のことです。新年にはお餅を飾ったり……2月には厄除けで豆まきをして……3月は雛祭りがあるから人形を飾って……」
「そこに、帰れないんだ」
「……はい。この魔法石を捨てない限り」
改めて口にすると、何とも理不尽な背負わされ方だと思った。目を開けたらよく分からない世界にいて、しかもボソッと名乗ってしまったせいで勇者だとか言われて、帰るためのミッションはなかなか難度の高いモノ。
両親と恵太は何をしているんだろうか、そもそも元いた世界の時間はどうなっているんだろうか……少し思いを馳せるだけで、アリスの視線は下に落ちていく。
ジャララ……
「本当だ、毒はないね」
鎖の音が聞こえて顔を上げた先に、アリスが待ち望んでいた光景があった。リトル・ジョンの口に含まれているのは、アリスがちぎって差し出したパン。
「と、当然です! 貴方には、元気になって欲しいから」
「久々に動いたらお腹が空いた。他のもくれる?」
「あ、はい! もちろん!」
爪を食い込ませるように掴んでいたアリスの腕を放し、鉄格子の傍の壁に寄りかかって座るリトル・ジョン。アリスは急いでスクランブルエッグの皿を格子の隙間に通す。受け取ったスプーンで食べ始めた彼に、アリスは恐る恐る尋ねた。
「あの、シャーウッドって、村だって聞いたんですけど……独立は?」
「気分的にはしてるけど、地図上でも法律上でもまだ。あの腐れ領主が自分トコの領地を減らすような調印をすると思う?」
「確かに……」
「風習も道楽も何もかも違うのにさ……ここら辺では、クリスマスにはハンドベルだよね? けどシャーウッドではクリスマスって言ったら、教会にマリンバベースの音楽が流れて、飲めや歌えやの大騒ぎ」
「何だか、陽気な音楽で楽しそうですね」
ようやく少しシャーウッドのことを聞けて、思わず表情を緩めながら再びパンを差し出すアリス。と、リトル・ジョンはその手を一瞥し、パンを受け取りながら言った。
「……ごめん」
「え?」
「痛むよね、腕」
言われたアリスも自分の腕を見る。リトル・ジョンが掴んだ際に爪を食い込ませていたため、血の滲む傷口が複数あった。
「もう大丈夫ですよ、気にしないでください」
「そんなすぐ治るの?」
「いえ、治すのにかかる時間は人並みですけど……でも貴方と、ジョンさんとまともに話せるようになるって目標をクリアしたから、チャラです」
純粋に嬉しかった。猜疑心と警戒心丸出しで刺々しい言葉しか吐き出さなかったリトル・ジョンと、普通に話せることが。勿論これはゴールじゃない。リトル・ジョン解放のためペリノア王から出された条件は、シャーウッドの盗賊による盗難を防ぐこと。
「あんた、能天気って言われない?」
「い、言われません!」
リトル・ジョンの不意を突く悪態についムキになって言い返したが、チェシャ猫やランスロットあたりに言われていたような気もする。この世界では期待と希望をもって行動しようとするとみんな「能天気」扱いされてしまうのだろうか。
「まぁいいけど。それで、どうやって俺を解放させるつもり?」
「えっと……まだ、言えません。確実じゃないので」
「……ふーん。じゃ、期待しないでおくよ」




