エピローグ ―断片的独白を添えて―
俺は、誰だろう。いつ、どこから来たんだろう。自分じゃ何も分からなかった。
だけどたった一つ、なぜ俺が今、この場所にいるのか……それだけは、知っていた。
俺はチェシャ猫。「勇者」の「案内役」で、「勇者」は俺の「存在する理由」。俺はひたすら、その時その場所で、「その人」の訪れを待っていた。
―「おや、奇妙な猫がいたものだ。どうじゃ? 私の森を守ってみぬか。待ち人は、いずれこの森に来るぞ」
―「『勇者』が、この森に?」
―「授けられた天命があるのだろう? 森番となり、今は備えよ」
ハートキングダム先代女王・オリビア様に拾われて、俺はそこで5年を過ごした。その間に先代オリビア女王は病で亡くなり、現ロゼ女王が後を継いだ。
女王サマに不満を言う気はないけど、登用する側近は皆、クセのあるメンバーばかりだった。軍司サマとか初対面の瞬間から相容れないなと思ったし。正直一緒に旅をするなんて……――
「おい、森番。何故そんな所でまどろんでいる」
「……ほんっと軍司サマってタイミング悪いよね。空気ぶち壊し選手権があったら間違いなく優勝だよ」
「仮に開催されたとして、そんな下らない催し物になど出場しない」
「ほら、そーゆートコだよ。頭固いなぁ」
くぁ、と小さな欠伸をして大木の枝から飛び降りるチェシャ猫。背伸びをしてから首を回し、だるそうに歩き出す。
リスティス城にて。彼らは「戦争の後片付け」に奔走していた。ペリノア王の遺体の処理、アーサーとモルガン、ロビン・フッドにはそれぞれの病室を用意し、またその他大勢の戦士たちの帰還誘導や手当て、倒壊した家屋の復旧、避難した住民の誘導などなど。
「大体俺は、軍司サマと違って柔軟で手際もいいから、課せられた分は手早く終わらせたんだよ。なのにまだ手伝えって?」
「キャメロットは同盟国だ」
「だからって際限なく援助し合ってたらお互い潰れるよ。そもそも、宰相サマ呼べば早い話じゃないかい?」
「じきに到着する。が、僕らで出来ることは一つでも多く消化しておくべきだ」
「俺だって今回は走り回ったから休息が要るんだよねぇ」
「それを言うなら休むべきは僕だ。出血量は君よりも多かった。よって普段に比べ体力が落ちている」
「軍司サマは心身ともにすごーく丈夫な軍人だろ」
「最も負傷が少ないのが君だという事実を言ったまでだ」
「相変わらず仲がいいね。ウサギ君、チェシャ猫君」
「「仲良くない」」
突如割り込んできた声に反論したチェシャ猫とマーチ・ヘア。声の主――マッド・ハッターは、その台詞がシンクロしたことに笑いを堪えきれず、「すまないね、あまりに滑稽で」と遠慮なく肩を震わせた。
「両王とロビンの容体はだいぶ落ち着いている。王都にいる円卓の騎士も、こちらに向かっているそうだ」
「だったらますます俺が追加労働する必要ないじゃないか」
「森番、負傷者は両国合わせてまだ大勢いる。目の前を見ろ」
マーチ・ヘアの視線を辿った先には、並ぶ負傷者を誘導するトー卿とパーシヴァル卿の姿。マッド・ハッターは眉を下げ、小さく口を開く。
「……皮肉なものだね。洗脳が解けようやく再会した兄弟だというのに、最初の共同作業が戦争の後処理とは」
「失われたものもあるが、取り戻せたものもあるんだ。充分だろう」
そう返したマーチ・ヘアに、少し目を丸くするチェシャ猫とマッド・ハッター。と、その時。
「てめぇら何サボってんだよ。ぶった斬られてぇのか?」
向こうからズカズカと歩いてやって来たのは、薬湯のポットを持ったランスロットだった。
「元気そうだね、騎士サマ。看護スタイルもなかなか様になってるじゃないか」
「このクソ猫……ソッコーで持ち場離れやがって」
「え? 俺はちゃーんとポット20個分の薬湯運んだし、50人の手当てもしたけど?」
「追加でどんどん来てんだよ! だから割り振り直しだ、もっかい働け」
ランスロットの通告に「うわぁ」とげんなりするチェシャ猫。逃がすまいとその襟首を掴んで、ランスロットは付け足した。
「つーかてめぇが勝手に小娘帰しやがったんだろーが。あんなのでも一人いれば少しは」
「それはムリ。アリスちゃんの世界と繋がるゲート、あそこに一時的にしか出てなかったから」
遮ったチェシャ猫の主張を聞き、「だったら尚更てめぇが働け」と返すランスロット。マーチ・ヘアも大きく頷いて同意する。
「ランス殿の言う通りだ。それに、アリス殿がここにいたとすればきっと、誰より休まず動くだろう」
「それで走り回って転んで怪我するオチまでセットだろ」
襟首を掴むランスロットに抵抗しながらチェシャ猫がそう付け足すと、再びマッド・ハッターが肩を震わせ始めた。
「どうしたんだ、ハッター」
「いや……諸君があまりにもアリス君贔屓なのでね。共に旅した仲間意識と称するには、いささか強すぎる情が窺える……というのは、私の勘ぐり過ぎかな」
小首を傾げるマッド・ハッターに対して、3人が3人とも言葉を詰まらせる。唐突にやってきた微妙な沈黙の中、口火を切ったのはランスロットだった。
「…………はっ、下らねぇ。行くぜ、クソ猫」
「その呼び方、全力で異議を唱えたいんだけど?」
「うるせぇ」
ランスロットと、彼に引きずられていくチェシャ猫を見送りながら、マッド・ハッターが言う。
「アリス君は、大層な力を持っていたのだろうね」
「ああ」
「古い友人としては、非情なことで有名なウサギ君から希望に満ちる発言が出たことに涙しそうだよ。今すぐ茶会を開きたいくらいだ」
口元を緩ませるマッド・ハッターに目を向けるマーチ・ヘア。どうやら彼は「そんな発言をしただろうか」と疑問を抱いているらしい。それを汲み取ったハッターは、堪えきれずに微笑をこぼす。
「つまりは、だ。君が失ったものと取り戻したもの、是非お聞かせ願いたいのだよ」
「……断る」
スタスタと歩き始めるマーチ・ヘアを軽い足取りで追うハッター。
「寂しいのであればチェシャ猫君に文句の一つでも言えばいいものを」
「無意味だ。それに、必要な別れならば受け入れる」
あくまで鉄仮面を貫かんとするマーチ・ヘアを前に、マッド・ハッターは「難儀なことだ」と呟いた。
***
――……ハートキングダムの森番となって、俺の毎日に差し色が入った。まるまる退屈な24時間ではなくなった。けれど、俺の中に渦巻く根本的な疑問に答えが与えられることはなかった。
俺は、何者なんだろう。チェシャ猫という名前さえ、本物だという確信がない。
それに、俺が本当に「チェシャ猫」だったとして、手足が狼仕様に変化可能なのはどういうカラクリなのか。「猫」ですらないなら、いよいよ正体不明のキメラってことになる。
それに、いつの間にか耳に備わってた魔力探知の機能……俺って、誰かに運命を操られてんのかな。だとしたらこんな退屈でいいんだろうか。
考えるのをやめようとした頃、待ちに待った「勇者」は現れた。右も左も分かってない、年の近い女の子だった。
俺の運命が操られてるんなら、それでもいい。すぐ怒ったり泣いたりする彼女をからかうのは思いのほか面白くて、気ままな同行が始まった。
―「私はもう、この世界で泣かない」
キャメロット王宮近くの森で、その宣言があった。何でそんな可愛げない自分ルールを作ったのか、俺には未だによく分からない。
「騎士サマー、」
「あ?」
「人間が泣くの我慢する理由って、何だろうねぇ」
「はぁ? 何だ急に」
「だってほら、騎士サマだって、愛弟子の洗脳が解けた時とか感極まっても男泣きしなかっただろ? ……おわっ、と! 危ないじゃないか、急に剣振り回すのやめてくれるかなぁ」
「悪ぃな、ムカつく訂正箇所があったからよ」
眉間にシワを寄せる騎士サマの剣を避けて、適当に謝る。よくもまぁ、こんな喧嘩っ早い荒くれ者を従わせてるよね、アーサー王サマって。
「つーかソレ、俺に聞くのは正しくねぇだろ、多分」
「どうしてだい?」
「涙ってのは感情表現だろーが。俺が長らく持ち合わせてこなかったモンだ」
再び怪我人に包帯を巻き始めた騎士サマの返答に、俺は「ああそうか」と納得した。
アリスちゃんには、感情表現よりも優先したいことがあったんだ。昂る感情にリンクして込み上げる涙を堪えてでも、務めを果たすために頭を働かせようとしていた……。
あとは単純に「泣き顔見られたくない」ってのもあったんだろうけど。その割には、俺の前では結構泣いてたなぁ。
思い返しながら、ふと空を見上げる。
俺は、これから何をして生きていくんだろう。耳の魔力探知機能は生きてる。手足もまだ、やろうと思えば狼仕様に変化させられる。俺の運命はまだ、誰かの掌の上に乗っけられているんだろうか。
もしそうだとすれば、再びその誰かの気紛れによって、転がされて、踊らされる日が来るんだろうか。
そう考えて初めて、アリスちゃんを元の世界に帰したことを少し……ほんの少し、惜しく感じた。
「おい猫、勝手に休憩すんじゃねぇ」
「はいはい」
だってそうだろ? どうせ誰かに転がされるなら、どうせ踊らなきゃならないんなら、パートナーがいた方がいいに決まってるからさ。




