6
6
白から薄桃色へのグラデーションが美しいロトュスプルの花が、一斉に花開く。
肉厚の花弁の中心にある花粉は空気に反応して発光し、装飾照明器具のように宴の席を明るく飾った。
ヒカリゴケとはまた違った光源の中、丸焼きにされた氷床毛長鳥から滴る脂が、てらてらと輝いている。香ばしいにおいは、嗅いでいるだけで涎が溢れてくる。
旅の話をせがむ子供達をようやっとの思いで満足させ、宴の主賓としての役目を務めたオレは、ジャッドとリュビがいる円卓へそそくさと移動する。
「お疲れ様です、ウルブスキィさん。涸れたた喉は、この葡萄酒で癒すと良いでしょう。水で薄めてあるので、飲みやすいですよ」
「子供が飲む奴じゃないか」
嫌ですか? と首を傾げるジャッドに、空の杯をつきだす。言ってはみたが、酒はあまり得意でもないので、嬉しい申し出だった。本当に、空気の読める男だ。
旅人の歓迎会にしては盛大すぎる賑わいは、ジャッドとリュビの結婚式の前祝いも兼ねているんだろう。飲めや歌えやの馬鹿騒ぎが、洞窟を反響し、洪水のように天井から降り注いでくる。
灯りの代わりにと、瓶いっぱいに詰め込まれたロトュスプルの花粉があちこちに置かれ、民族衣装を着込んだ若い男女が楽しげに踊っている。
文化を持つのは、一つの場所に定着する民族の特権だ。
あちこちをうろつき回る旅人じゃ、着るモノも使うモノも全て、利便性が第一にきてしまいがちだった。
「……いいな、こういうのも」
「気に入った娘でもおりましたか?」
幸い、葡萄酒は全て胃に収めていたので吹き出すことはなかった。まったく、困った冗談を言ってくれる。
もし隣にビャクダンがいれば、問答無用で叩き伏せられていたに違いない。ジャッドではなく、オレがだ。
「綺麗な衣装だと、そう思っただけだよ」
「服が綺麗なんて感想は、女の子のモノですよウルブスキィ様。服で着飾った、美しい人を見てみたい。そう思ったのではなくて?」
「リュビ。あんたまで、茶化さないでくれよ」
刺繍が織り込まれた衣装に合わせ、少し色味の強い化粧を施したリュビは、ロトュスプルの淡い光の中で女らしさをいっそう増していた。
エカイユより地味だと思ったのは、オレの目が腐っていたんだろう。十分に魅力的な女性だ。
「あいつ、後悔していたりするのかな、ってさ。丈の長い服なんて、もう何年も着せてやれてないよ」
光に照らされて踊る、若者達。
特別な日に、特別な格好で着飾り、華やかに微笑む少女達は、誰もかれも綺麗で眩かった。
「凍土を渉る旅は、常に死と隣り合わせだ。良いもんじゃない。おまけに泥まみれで、化粧もすぐに落ちちまう。女らしい生活なんて、まともに送れやしない」
水で薄めていても、酒は酒か。それとも、オレが相当の下戸なのか。
ビャクダンの前ではあえて言わない弱音が、口をついて出る。いや、この場にいないからこそ、言葉にできるんだろう。
「ウルブスキィ様、女の幸せは何か。ご存じですか?」
空になった杯に、酒が注がれる。
「着飾ること、化粧をすること、暖かく包まれること、愛されること。女は我が儘で、望みは尽きません。ですが、言えることはただ一つ。幸せの全ては、身を任せられる人があって初めて得られる幸せなのだということです」
リュビの視線が、腰にぶら下げているオベレグを指した。
「会ったことはありませんが、断言できます。ビャクダン様は、十分に幸せ者ですよ。ねえ、ジャッド」
「そうだな。だが、愛する人にもっと何かできないかと、底なく望んでしまうのが、男というものですね」
ジャッドは白い頬を僅かに赤く染め、リュビの肩を抱き寄せた。寄り添い合う二人は、悔しいほどにお似合いだ。
あまりの清々しいノロケっぷりだが、さすがにあてられてきた。
注がれた酒を飲み干して、円卓に杯を置き、踊りの輪から離れる。
宴は、楽しい。
だが、すこし後ろめたく感じるのは、恨めしくぶら下がる土人形のせいだろう。
酔いを醒ますため、冷気を求めて宴から離れようとして、視界を横切る光に立ち止まる。
丘へと向かう人影、銀色の髪に、琥珀色の鉱角。ずっと、姿をみなかったエカイユだ。
◇◆◇◆
「まったく、足が速いな」
牧草の葉先がぼんやりと輝き、足元は無数の光でできた雪原のようになっている。
「……我が儘を、許してください」
その、幻想的な原野の中で、エカイユは大樹をみあげて言った。
「デューケ鄕の皆を率いる者として、潔く婚礼の話を快く引き受けるべきだとは分かっております。世継ぎを作ることに異存はありません。ですが、まだ猶予が欲しいのです」
オーロラに似た牧草の光の中に溶けてしまいそうなほど、エカイユは肩を落して、言葉を吐き出す。
「この思いに終止符を打つには、未練が多すぎる」
「どうしても、騎士になりたい、か?」
呆然とした顔が、振りむく。
「う、ウルブスキィ殿!」
話していたのがまったく関係のない旅人だったと気づくと、エカイユは涙に腫れた目尻を真っ赤に染めて、慌てて俯いた。泣き顔を見るのは、これで二度目か。
「悪いな、ジャッドじゃなくて」
「いいや、構わない」
涙を拭い、顔を上げたエカイユは薄く微笑む。弓を手に持ち、戦場を駆けていたとは思えないほど、弱々しく肩を落としている。
「なあ。ジャッドのこと、好きなのか?」
上司としてではなく、男として。
「い、いきなり何を!」
「わかってる、わかってる。ジャッドはかっこいい、何にもしてなくたってころっとひっかかる。仕方ないさ」
エカイユは「好きだ」と小さな声で頷いた。うつむいた顔は、面白いほどに真っ赤だ。
「だが、兄としてだっ! 父が早くに死に、幼い私の守り役をしてくれていた時から、ジャッド団長の背中をずっと追いかけていた」
大きな目に、涙が滲む。
しばらく黙り込み、服の袖で目元をぬぐいながら、エカイユは「ずっと、好きだった」と呟いた。
「でも、この思いは決して叶わないだろうことも、分かっていたよ。ジャッド団長の運命のヒトは、リュビ姉様だ。……憎かったときもあるが、今は受け入れているつもりだ。二人とも大切な人だし、二人を愛するのなら、引き止めてはだめだと。そう、分かっている。なのに、できないんだ。素直になれない。ずっと、今のままであってほしいと願ってしまう。ただの、兄妹であってほしかった」
真っ赤に腫らした目が、オレを見つめてくる。
「ずっと、側にいてくれた二人が、私から離れて行くのが恐い。一人で凍土に取り残されたように、心細いんだ。乳飲み子でもあるまいし、みっともないだろう? 騎士として中途半端なわたしには、団長と姉様以外になにもなかったんだ。あるとしたら、デューケの名を存続させる血脈を持っていることだけ。わたしには、それくらいの価値しかない」
「明日にはいなくなっているような、行きずりの旅人相手に我慢する必要なんてないんだよ」
「わたしは、対等になりたい。胸をはって、自分らしい自分になりたい」
大きな目から、涙がこぼれる。
嗚咽と一緒に流れるのは、哀れな自分を癒すための涙だ。
オレはそっとエカイユに歩み寄り、震える肩を抱いてやる。かつて、オレもかつてビャクダンにされたように、背中を優しく撫でてやる。
「お祖父様には、もうやめろと言われてしまった。雷鳴鳥に乗れないのなら、騎士になれる見込みはない。遠からず婿を取る身なのだから、危険を冒してはいけないと。言われなくたって、分かっている。分かっている……なのに……諦めきれない」
「婿相手、むかつく奴だったりするのか?」
縋り付いてくるエカイユは、頭を振った。
「悪い人じゃない、むしろいい人だ。騎士になりたいと言って聞かない私を、待っていてくれている。それに、お祖父様が反対するのだって、私の身を案じてのことだ。みんな優しい、だから、余計に辛い。私が我が儘なだけなんだ。どうしようもない、我が儘ばかり言って、皆を困らせる!」
「良いんじゃないか、我が儘で」
ロトュスプルの花粉が、ふわりふわりと空中をただよう。
「あれこれと悩むのは、キミがしっかり生きようとしている証拠なんだ」
視線が重なれば、逃げようとするエカイユの顔を押さえ、揺れる銀色の目をのぞき込んで、続ける。
「顔を上げて、前を向けよ。いろいろな言葉に背中を押されても、足を動かすのはキミだ。キミ自身の意思が無けりゃ、意味がない」
強ばった顔が、僅かにゆるむ。涙が止まったのを確認して、ぽん、と肩を叩いて体を離す。
「キミは、賢い。たった一人で凍土に出るのが、どんなに危険か分からないわけがない。そこまで命をかけて、終れるのか? 中途半端なままで、綺麗さっぱりに」
「終れるわけが、ない。惨めな思いを抱えて生き続けて行くのは、嫌だ!」
突き飛ばされ、踏鞴を踏む。
駆けて行くエカイユの後ろ姿を見送り、人の気も知らないで、盛り上がり続ける宴の席をみつめる。
「……聞いていただろ、ジャッド」
草を踏みしめる足音、振り返れば「気配を、読まれていましたか」と、苦笑を滲ませるジャッドが立っていた。
「なぜ、たきつけるような真似をしたのです?」
「頑張って飛ぼうとしてた雛鳥が、自分で風切り羽を折ろうとしてたんだ。潔いって言う奴もいるだろうが、オレはそんなの嫌だね。アンタだって、何にもいわないで、見ていたじゃないか」
ジャッドは、小さく息を吐いた。
「兄としてなら、止めたい気持ちでいっぱいですけどね。エカイユが望む限り、信じて見守るしかないでしょう。雷鳴鳥に認められるか否か、どちらにせよ、志し半ばで諦めるなどあの子には似合わない。でしょう?」
「そうだ、しゃんと背筋を伸ばして前を見てる時が、一番かわいい。あの子らしいんだよ。だから、諦めて欲しくないんだ」
銀色の綺麗な目が見つめるのは、輝いた未来であってほしかった。