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泣きはらした顔を慌てて擦るエカイユに、視線をそらす。
「き、貴殿が、私を助けてくれた旅人だな! 礼を言う」
「随分とまた、綺麗な言葉をつかうもんだ。かしこまらなくて構わない。ウルブスキィだ、よろしくエカイユ」
当人にその気はなくとも、意志の強そうな視線はヒトによっては睨まれていると勘違いされそうだ。
泣きはらした頬をそのままに、エカイユは勢いよく立ち上がった。
「き、気に触ったなら謝る。クセのようなもので、どうにも抜けぬのだ。里長一族の直系といえども、風習は廃れつつあるというのに、お祖父様がこうしろといって――」
俯く顔が、わずかだが赤く染まっている。
「べつに、おかしくて笑ったんじゃないんだけどな。こっちこそ、気に障ったようなら謝る。で、エカイユ。体の調子はどうだい? 頬の銃創以外は、凍傷もそれほどじゃなかったし、心配なさそうだったんだが。どこか、痛いところはないか?」
エカイユは、銀色の巻き毛を掻き上げて、頬の傷に触れた。亜人達の回復力はすさまじいものがあるが、傷口が熱で爛れるので、完治するまで時間が掛かる。
「大丈夫そうだ。肌に傷跡が残るようには思えないが、ちゃんと手当は続けるんだぞ」
「子供扱いは、無用だ。見習いとはいえ、私は騎士だ。これくらいの怪我などたいしたことはない」
全然、平気そうな顔じゃないが、「そうだったな」と流す。
唇を噛みしめながらの、精一杯の強がりを笑うような酷い男になりたくない。
「その石、何だ? 墓のようにも見えるが?」
「墓に、見えるか? なら、よかった」
目尻に溜まる涙を拭い、服が汚れるのも構わずにエカイユは膝を着いた。
「凍土馬は、雷鳴鳥よりも人慣れしている生き物だ。騎士だけでなく、女も子供も乗る。言ってしまえば、雷鳴鳥以上に、私たちの生活に重要な存在なのだ。それを、私は死なせてしまった」
石を持つ手が震え、「姉様の育てた馬だったんだ」と、視線は背後の馬房を指した。
「騎士として、私は失格なのだ。ただでさえ、雷鳴鳥に乗ることができない、半端者であるというのに。死ななくて良い馬を、己の我が儘で殺してしまった」
泣きながらのせいか、元が不器用なのか。積み上げるつど、石がバランスを崩して転がり落ちてゆく。
「選ぶ石が悪いんだよ、こっちの方が良い」
エカイユの隣に腰を下ろし、見繕った石を差し出す。手助け無用。と言いたいのか、ひそめられる眉に、返事を待たず、石を積み重ねた。
「適当に選んで乗せるだけじゃ、だめだ。ちゃんと見て、選ばなきゃな」
驚いているエカイユに、間髪入れず、次段の石を選んで差し出す。今度は、拒まれなかった。
エカイユは「ありがとう」と率直に呟いて、石を積み重ねる。
全部で、五段。おそらくは、死なせてしまった凍土馬の年齢ぶんの石を積み上げ、エカイユは立ち上がり、敬礼をする。彼女なりの、精一杯の誠意だろう。
オレの胸の位置までしかない、小柄な体格。
華奢な肩を痛々しいほどにぴんと張って、息を殺し、じっと墓を見つめる視線は痛々しい。
声を掛ける雰囲気でもなければ、ジロジロと見ているのも気が引ける。かといって立ち去ることもできず、オレは足元から聞こえてくる歓声へと首を巡らせた。
「私が所属している、デューケ鄕の騎士団だ」
「随分と着飾っているみたいだが、いつもあんな格好をして動き回っているのか?」
足音、エカイユがオレの隣に並んで立ち、広場に群がる群衆を見下ろす。
「特別な儀式の時に踊られる、剣舞の練習をしているのだ。雷鳴鳥乗りにだけ許された、名誉ある儀式で、ジャッド団長の華燭の儀で披露される予定になっている。そう……父の弔いの席のジャッド団長の舞いを見て、私は騎士を志したのだったな」
大きく取られた広場を、所狭しと走り回る雷鳴鳥。
騎士達は不安定な上下運動を繰り返す鞍の上で、手に持つ剣を掲げた。すれ違う度に広がる、精密な刺繍で飾られた外套が翻る様は、蝶の羽ばたきのよう眩しく煌めいた。
優雅な舞の中、弧を描いて振り切られる剣撃は、ヒカリゴケの瞬きを反射し、虚空に緑色の月を浮かび上がらせた。綺麗だった。
巧みに雷鳴鳥を操り、流れるように柔らかく、感覚に突刺さってくるような鋭い動き。舞う騎士達の周りには、たくさんの子供達が群がっている。
男の子も女の子も、騎士達の剣が閃く度に、大きな歓声を上げていた。
「剣には、自信があったのだがな」
舞う男達の動きを追う気配は時折、押しつぶした呼吸と共に止まる。溢れる感情を無理矢理押しとどめる体は、小さく震えていた。
「分かっているんだ。私には、他にやるべきことがあるのだと……分かっている」
手を伸ばすことさえ躊躇ってしまいそうなほど、遠くにある望み。なまじ聡くて気丈なエカイユは、すべて諦めれば、楽になることなどとっくに知っているんだろう。
諦めた瞬間に大切なものを失う予感も、嗅ぎ取ってるはずだ。
「お祖父様に、馬を殺してしまった報告しなければならない。大した礼もできずに済まないが、行かせてもらう。ちゃんとした礼は、今夜にでも」
地面に打ち付けそうな勢いで頭を垂れたエカイユは、逃げるように走り去った。
手を振る間もなかった。一人取り残され、オレは視界にこぼれ落ちてきた、赤く染めた髪を掻き上げる。
生きていれば必ず直面する選択肢は、どちらも最善のもので、最悪のものでもある。同等であるからこそ、迷うんだ。
嫌な既視感に、溜息が漏れる。
でも、これだけは確かだ。
暗闇の中、どんなに手を伸ばしても導いてくれる手は現れやしない。あったとしても、それは偽物だ。
「本当に迷った時こそ、自分の足で進むべきだ。自分から、運命の傀儡になっちゃいけない」
彷徨う手を握り返してくれる体温は、闇を抜けた光の先にしかない。




