6話 外衣の秘密
記録では、イベリスは、ケフェルト村の娘と結婚した、ということになっている。
ベラがラーウス人でないのは知られているのだけれど、
元々ラーウスでは、村の長や議員たちによって管理されるだけで詳しい記録は残さない。
豊かな自然の中で、採取を主要な生活の活動としているラーウス人は、農耕民族とは言いがたく、曖昧にして自らを守っている。
またこれは、彼らを穏やかな性格へと導く助けになっていた。
ところが曖昧なラーウス人も、この結婚式には驚いてしまった。
アルを初め、皆が二人の結婚を望んでいたのだけれど、婚約発表もなく結婚式が行われてしまったのだ。
それでも、エルナトを復興しているライーニア家のイベリスの結婚式なので、
事前に知られ、問題が起こっても困る。
そう言う意味で、式がケフェルト村で急に行われるのも都合が良かったのだ。
出席者は、ケフェルト村がいっぱいになると、
早く来た者たちから先に去るという効率の良いものだった。
ウィリディス王国からの出席者も、エルナトの復興に来ていた者たちだけで、
しかも、ケフェルト村へ半日かかって歩いて行かねばならないという不便さだった。
とにかく、一番驚いたのはイベリスだと言える。
イベリスは、前日の朝、ベラにプロポーズし、彼女は受け入れるはずと思ってうかうかしていたら、その日の内に逃げられてしまった。
挙句の果て、彼女の部屋は、プリオベール男爵の贈り物でいっぱいなのを発見し愕然とする。
イベリスは、ベラが逃げたのはプリオベール男爵のせいだと思ったのだけれど、
たとえそうであっても、彼女を男爵に渡すまいとサイシア村へ行ったら、いなかったので、そのままケフェルト村へ向かった。
とにかくイベリスは、ベラを一歩もラーウスから出すつもりはなかった。
実際に、ベラの好きな徒歩ではラーウスを出られないのだし、最悪でも、サライで止められると思っていた。
イベリスは、ベラを捜しにサライまで行ったのに見つけることができず、
エルナトで十日も待たされたことを思い出す。
それは思い出しても腹立たしく、山道を急ぎながら、
「なんでラーウスは、こんなに不便なんだ!」と怒鳴ったりもした。
ここで育たなかったイベリスだからこそ、その不便さにうんざりしたのだ。
この時の怒りは、彼が始めていたラーウスの改革をさらに進める原動力となっていく。
こんなことでもなかったら、ラーウスの改革は、もっと遅れていたかもしれない。
「歴史の影に女あり」と言ったりするけれど、
ベラは、こうしてラーウスの歴史を変えるのに係わっていった。
ベラがいなくても、イベリスは、エルナトに戻ったかもしれない。
それでも、ベラにめぐり合ったイベリスにとって、彼女のいないエルナトなど考えられなかった。
イベリスにとって、ベラはエルナトそのものであり、彼がここで生きる意味にもなっていたのだ。
こうして駆られたようにケフェルト村へ急ぐイベリスは、
まさか自分の結婚式のためにケフェルト村へ向かっているなど思いもしなかった。
キラルはベラがケフェルト村にいると連絡したのだけれど、イベリスは出た後だった。
とにかくそのおかげで、イベリスは自分の結婚式に間に合うように到着できた。
そうでなければ、花嫁の準備は終わり、結婚式のための客も集まり、皆が待っている式場の広場に、何も知らない泥だらけの花婿が登場するという情け無い話となり、恥をさらしたかもしれない。
ケフェルト村に着いたイベリスは、
村の様子が慌しいなと思いながらもベラの家へ向かい、そこで彼女を見つける。
プリオベール男爵について聞かねばと思っていたのに、
それを切り出す前に、彼女に「結婚する」と言われてしまった。
ほっとしたのもつかの間「これから結婚式だ」と言われ、汚いからと洗えと追い出されてしまう。
一挙に結婚式とは驚いたが、手っ取り早く彼女を自分のものに出来るのは嬉しい。
欲を言えば、彼女との再会が、もう少しロマンティックだったら良かったのにとも思うのだけれど、
「泥だらけ」と言われてしまえば仕方が無い。
それで温泉にゆったりと浸かって、疲れた足を伸ばしていたら、
「じゃあ、プリオベール男爵は何だったのだ?」と思った。
とはいえ、今更そんな話をしてもしょうがない。
ベラはもう自分のものなのだし、彼女の過去の男の話なんか聞きたくもない。
結局イベリスは、男爵について聞かなかった。
結婚式は、広場の焚き火の光が跪いた二人を照らしながら行われた。
ベラは美しい花嫁衣裳を着ており、豪華な髪飾りで飾られた頭にはベールがかけられている。
イベリスは、うつむいて楚々としているベラを見ながら、こんなに幸せなことはないと思った。
それから披露宴が始まると、厳かで静かな雰囲気は一変して賑やかになる。
さて、イベリスとベラの披露宴もたけなわとなり、この騒ぎは数日間は続くので、
ベラは休むために自分の家へ戻った。
そして、外衣を衣桁にかける。
すると、彼女の着ているふわりとした真っ白な内衣が、灯りの光を反射して部屋を明るくする。
ベラが、外衣を良く見ようとして灯りを近づける。
彼女は、その施された細かい刺繍を指でなぞり、ひとつひとつ丁寧に見ていった。
それは、イベリスの母、カシアがデザインした模様だ。
もう三十年以上前のものなのに、糸は乱れることなく、出来上がったばかりのように鮮やかな色をしている。
布と布との縫い目も辿っていく。
家の外から、宴の楽器の奏でる音楽や人々の笑い騒ぐ音が聞こえてきて、
それを心地よく感じながら、しばらく時を過ごす。
ふとベラは、外衣の脇の裏布に折り目があるのに気が付く。
彼女がそれを良く見るために跪くと、彼女の内衣の裾がふわりと広がり床を覆った。
折り目をそっと開いていく。
すると、金の糸で刺繍された文字が現れた。
「プリンセス・・・グエノ・・・ラビ・・・」
そして繰り返す。
「プリンセス・グエノラビ・カシア」
それは、カシアが刺繍し、そこに秘めたのかもしれない。
ベラは、それに指を当て、撫でてみた。
今となっては、カシアの本当の名前はグエノラビだったのか、
そしてプリンセスだったのかさえ分からない。
彼女は、最後のダカンレギオン族であり、それは失われてしまった部族だ。
セルーナの妻、緑がかった銀色の目、そしてエルナトを愛した女。
ベラは、彼女こそバルナの騎士が跪くべきエルナトの女王だと思った。
夫を助け、息子を残し、攻撃されてもバルナに屈することのなかったエルナトの女王。
ベラは、キラルが見たいと言った、緑がかった銀色の目をした娘が再び現れ、
その娘が、この花嫁衣裳を着る日が来るのだろうかと思った。
すると、目から涙が止め処もなくあふれ出てくる。
泣けて泣けて仕方がない。
その時ドアが開き、イベリスが入ってきた。
ベラは、振り返る。
イベリスは、彼女の頬が涙で濡れているのを見て何が彼女を悲しませているのだろうと思う。
そして近付くと跪き、彼女を優しく抱きしめて言った。
「もう泣かないで」
ベラは、彼の肩に頭を乗せて目を瞑った。




