4章 女王と騎士 1話 カーゴ・スペース
ヴァルハイ号のカーゴスペースは、大きく開いていた。
ミラと従者の男は、入り口に座っている男たちの間を通り、一番奥の床に座る。
中は広く、窓も椅子もなく、大きな箱のようでガランとしてる。
弾力性のあるマットが床に敷き詰められているのだけれど、柔らかくはないので、寝れば背中は痛くなりそうだ。
あまり明るそうでない灯りが高い天上と壁に付いている。
それも今は、外からの光が強いので用を成していない。
壁には頑丈な貨物フックが付いていて、太いベルトも一箇所に積み上げられている。
貨物があればそれを固定するものらしい。
トイレ用と思われるドアが横にあり、男がそこから出て来た。
しばらくして、大きな荷物を背負った夫婦が、小さな男の子と女の子を連れて入ってきた。
その後に、十五歳ぐらいの少年と母親らしい親子も続き、彼らは知り合いのようだった。
その身なりは質素で、辺境の地から来た労働者らしく、都会で金を稼いで故郷に帰るのか、それとも挫折して帰るかのどちらかだ。
それから、どやどやと入ってきた男たちがあちこちに散らばり、五十人ほどの乗客になった。
男たちの声は大きく騒々しいので、もっと大勢いるように思える。
ミラは初め、彼らの使っている言葉が聞き取れず、何を話しているのかさっぱり分からなかった。
それでも耳が慣れてくると、なんとなく意味が分かるような気がしてくる。
彼らは仕事の話をしているようで、その内、何の仕事かも分かるだろう。
彼女には、彼らを観察する時間は十分にあるのだ。
全員が乗り込んだのか、ドアは閉められ、急に暗くなって何も見えなくなった。
目が小さな灯りに慣れてくると、ここで数日過ごすのに支障なさそうな明るさになる。
船が出発したらしく、大きな音と共に、地震のようにがたがたと揺れはじめた。
あまり気持ちの良いものではない。
それでも乗客は、無事に出られたことを喜んでおり、安土感を匂わせている。
船が宇宙空間へ出ると、音は消え、人々の声や彼らの動く音が戻ってきた。
ミラと従者は壁に寄りかかり、もう一人が座れるくらいの間をあけ、並んで座っていた
彼女は、彼にも顔を見られないように、マントで体を包みフードを深々と被っている。
突然、「俺はマルクだ。これから三日間、あんたの警護をする」と、男の無愛想な声がした。
ミラは、うなずいただけで何も言わない。
自分に関する必要な情報は伝えてあるので、彼と話すことなどないと思ったのだ。
それに、男爵からも、しゃべらないように言われている。
カーゴスペスースの中は、貧民街とは違った雰囲気があった。
貧民街では、食べることと生きていくことへの葛藤があるのだけれど、お互いは助け合っていた。
ところがここは、似たような者たちが集まっているのに、どこかいびつで、うさんくさいものを感じる。
ミラは、労働者風の男たちだからなのだろうかと思ったりする。
彼らはしゃべり、笑いながら、目はお互いを観察し、隙を伺っている。
ここにいる男たちのほとんどは、知っているもの同士か仲間のようだ。
ミラは、入り口辺りにいる一人の男が、まとめ役らしいと思った。
彼が、あの貧民街のお頭のように振舞っていたからだ。
ミラが彼らを観察しやすかったのは、貧民街でお頭たちを見ていたからだった。
もしあの経験がなかったら、これらの男たちにひるんでいたに違いない。
ミラが、あの二家族はどうしているかと思って見ると、
案の定、誰かがちょっかいを出して、少年の母親が困っていた。
少年は男らをにらみ、母親がそれを止めようとしている。
ミラは助けたかったけれど、何も出来ないのは分かっているし、自分もそれどころではない。
しばらくすると、騒ぎも収まったようで静かになった。
長い間、ミラとマルクは黙っていた。
ミラは、乗客の名前を覚えるのに忙しく、マルクのことなど気にする暇もない。
このプリオベール男爵から与えられたゲームは、余計なことを考えなくてすむので助けになる。
彼女は、誰かが名前を呼ぶと、そっちを目で追う。
それを繰り返しているうちに、ほとんどの男たちの名前を覚えてしまった。
マルクが、「あんた、あいつらを見ているのか?」と聞く。
ミラは、自分がしていることを彼に言われ、思わず見上げてしまった。
慌てて前を向き直すと、どう答えようかと迷う。
そして、「暇だから」と言った。
「面白いもんかね」と彼は続ける。
「面白くなんかない。警戒している」
「俺があんたの警護をしているのに?」
ミラは、「暇なのに警戒している」という言い訳は変だし、
このまま彼との会話が続くのはまずいと思い、袋の中から果物を出し、男爵の短剣で切って食べ始める。
それから、また長い沈黙があった。
ミラは、男爵の言った「眠ってもいけない」とは、マルクにも当てはまるのだろうかと思っていた。
もちろん、彼を信用するべきでないのは分かっている。
とはいえ、マルクがいてくれるおかげで、男たちは彼女にちょっかいを出さないようなので助かっている。
ミラはトイレに行くことにし、立ち上がった。
すると何人かの男たちが彼女を見る。
ミラは、一瞬、体をすくめた。
それでも、平常心を保たねばと歩き出す。
「おい」とマルクが呼んだ。
ミラが振り返ると、マルクが彼女の布袋を差し出し、
「自分の持ち物は、自分で管理しろ」と言う。
ミラは、ばつが悪そうに袋を受け取ると、トイレへ向かった。
ところが彼女は、トイレのドアを開けたとたん、吐き気がした。
ものすごい悪臭と共に、その汚さに驚き、息を止めて用を足して早く外に出ようとする。
そして振り返った時に、掃除道具を見つけた。
この次にトイレに行くのは、かなりの勇気が要りそうなので、「それならば」と掃除を始める。
しばらくして、誰かがドアを叩いているようなので、彼女はドアを開けた。
そこにはマルクが立っていて、「あんた、何をしてるんだ?」と聞く。
彼女が掃除道具を持っていたので、その答えは明らかだった。
彼はため息をつくと、後ろを親指で差して言った。
「他の者に空けろ」
そこには、男たちが立っていたのだ。
ミラとマルクは自分たちの壁へ戻ってくると、前と同じように座った。
彼がぽつんと、「あんたが、あそこで襲われたのかと思った」と言ったので、彼女はくすっと笑う。
「何がおかしいんだ?」と彼は怒る。
ミラは、「あの汚いトイレで?」と思ったのだけれど、
どう答えていいのか分からないので、下を向いたままだ。
ミラは、笑って良かったのだろうかと心配していた。
彼女は、彼にどう警戒したらいいのか迷っている。
今まで、自分に従者が付けられたことは何度があったけれど、こんな状況で、しかも得体の知れない雇われ従者は初めてだったのだ。
それでもミラは、笑ったことで、いくらか楽になっていた。
初めは怖いと思ったマルクに、親しみを感じ始めている。
とはいえ油断するのは良くないと自分に言い聞かせ、ラーウスのことを考えるようにする。
「どんなことをしてでも、ラーウスにたどり着こう」と気を引き締める。
さて、一日目が終わろうとしていた。
ミラは、ふと誰かが、自分の袋を探っているのに気付く。
それは女の子の手で、急に、横からマルクの大きな手が伸び、小さな手を掴んだ。
小さな手には、ミラの果物が握られている。
マルクの迫力に驚いた女の子は、声も上げられずに硬直していた。
ミラは、「マルク、いいから。この子を放して」と言うと、
その子はマルクの手を離れ、果物を持ったまま逃げていった。
「侮られるぞ」とマルクが警告する。
ミラは、それには黙っていたが、うとうとしていた自分が悪いのだと思った。
次の朝、ミラは、いつのまにか、自分の袋が無くなっているのに気が付いた。
丁度、マルクが戻ってくるところで、彼の手にはミラの袋がある。
彼は、あの女の子の親から袋を取り返してきてくれたのだ。
ミラは、彼がトイレに行ったまでは覚えているのだけれど、寝たらしく、袋を取られてしまっていた。
「だから、侮られると言ったろ」とマルクは言う。
ミラは、「ありがとう」と言い、それを受け取って中を見る。
食べ物は半分に減っていて、スパイスの袋も無くなっていた。
スパイスはいい値で売れるのだ。
「あの子の親は、あんたが、あの袋を娘にやったと言ってたよ。
やつらは、一つやれば、他の物も自分のものだと考えるからな」
ミラは、仕方がないと諦め、本当に眠ってはいけないのだと思った。
マルクは、ミラがスパイスの袋を失っても、さほど気にしてないのに気付いている。
彼は、ミラが本当に、ラーウス人なのかどうかを確かめようとしていた。




