↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イベリス (Iberis)    作者: Naoko
2部 ミラ
PR
42/101

          2話 リスク

 朝霧の中、キラルは「ミラ・ラスクを見せてやる」と言った。

エルナトの、あの湖での光景は、フロースにとって忘れられるものではない。

とはいえ、それは二年も前のことだったので、フロースは、すぐには思い出せなかったのだ。


 「イベリス」と、フロースは自分の胸に手をあて、心の中でその名を呼ぶ。

そして、ふっと自分のことを笑う。

彼女の失恋は、いい思い出になっていた。


 それよりフロースは、プレオベール男爵がキラルを知っているのことの方が気になる。

彼は、エルナトについて何を知っているのだろうといぶかる。

その時、「スパイス!」と思った。


 男爵から届けられた医療品の中に、スパイスの香りが染みこんだ薬草の包み紙があった。

男爵は、ラーウスの薬草に関係しているのだ。

そして、自分がスカートのポケットに入れたあの紙切れは、どうなったのだろうと思う。

そのこともすっかり忘れていた。

自分の服は汚かったから、デルフェ婦人は服と共に捨てたかもしれない。



 「ミラ・ラスクは、誰だと思うかね?」

男爵の声が、彼女の頭の上から聞こえた。


 「え?」とフロースは我に帰り、男爵の顔を見上げる。

フロースは、あれは湖の不思議な光景だと思っていたので、「誰だ?」と聞かれても分からない。

男爵の顔を、目を大きく開けて見つめる。


 男爵は、一枚の紙をフロースに渡した。

「これは、キラルが送ってきたミラ・ラスクの情報だ。

ラーウス生まれとなっているが、生年月日、髪や目の色、背格好は、あんたと一致する」

フロースは、それを見て驚き、どうしてキラルが知っているのだろうと思う。


 「もし、あんたがキラルの言うミラだとしたら、あんたにラーウスへ行ってもらいたい」

「わたしがラーウスに!?」

「ああ、キラルは、ミラをよこすのであれば、交渉に応じても良いと言ってきた」

「交渉?」

「キラルに交渉を申し込んでいるのだが、なしのつぶてでね。半ば諦めていたんだ。

ところが、先週、返事が来た。

あんたを捜せと言っているが、すでに、あんたがわたしの所にいるのを知ってるのかもしれない」

「どんな交渉なのでしょう?」

「スパイスだ」


 ラーウスのスパイスは、ウィリディスで抽出される。

ウィリディス王国は、そのスパイスで高い利益を得ていた。


 スパイスが取れる薬草の栽培は、ウィリディスだけでなく他の同盟国にも広がっており、

他の企業でもスパイス抽出の研究は進められ、効果的て安価な技術も開発されている。

とはいえ、最高級品のスパイスはラーウスで取れたもので、

ラーウスは、それををウィリディスにしか売らない。

つまり、最高級品の薬草は、ウィリディスを通して買わねばならず、原価が高くなるのだ。

各企業は、直接買おうとして、しのぎを削ってラーウスの議会に働きかけるのだけれど、応じようとしない。

プリオベール男爵は、議会に発言権のあるキラルに焦点を合わせていた。

フロースはその話を聞きながら、企業とか交渉とか良く分からないので、また黙ってしまった。


 「あんたがラーウスに行きたくないのなら、無理にとは言わん」

男爵は、彼女が、この話に乗り気でないのかもしれないと思い、そう言った。

それもフロースは腑に落ちない。

この男爵が大金を前にして、そんなにあっさりと引き下がるのはおかしいと思ったのだ。

それに、キラルが自分をラーウスに呼んでいるのであれば、行ってみたい気もする。


 フロースは、自分への中傷や噂話が、家族に負担をかけることを心配していた。

ほとぼりが冷めるまで、ここにいさせてもらえないかとも思うのだけれど、男爵に頼むのも嫌だし、彼を信用していない。

というより、男爵に魅力を感じ始めている自分に信用できないのだ。


 どんなに恋焦がれ、彼の女になったとしても、用が無くなれば捨てられるのがおちだ。

失恋の痛手から立ち直ったばかりの自分が、また同じことを繰り返そうとしているのだから呆れてしまう。


 「わたしはあなたを信用していません」とフロースが言うと、

「それは分かっている」と彼は答える。


 男爵は、フロースが自分を信用しようがしまいが、彼女を手に入れるのは簡単だと思っていた。

所詮は貴族のお嬢様育ちで、誰かに頼らねば生きていけない人種だ。

貧民街の撤去は彼女のせいだと腹を立て、冷たくあしらったとしても、時が経てば自分を慕い求めるようになるのは分かっている。

ところが、キラルが交渉の窓口を開いたことで、状況が一変してしまったのだ。

しかも、この交渉には更なる難しさもあるので、躊躇している自分がいるのも否めない。


 男爵には、キラルの意図が分かっていた。

それは、彼の要求は一部しか通らないということだ。

彼が自分の目的を達成するには、フロースに、それ以上のことをしてもらわねばならない。

それなのに、彼女に準備させる時間はあまりない。

彼は、まさかキラルがフロースを要求するとは思わなかったので、

今更ながら、彼女の信用を失ってしまったのは失敗だったと悔いている。



 「あんたは、わたしが、このチャンスを簡単に引き下がるはずはないと思ってるね?」

フロースは、「そうです」と答える。

それからしばらく、男爵は黙っていた。


 フロースは、男爵が中々しゃべらないので、

「わたしは、あなたが『腹黒く何かを企んでいる』と言ったでしょう?」と言った。

それを聞いた男爵は、突然、水を得たように笑顔を取り戻し、

「そうかもしれない」と答えた。


 「実は、キラルの要求は、かなりのリスクがあるのだ。わたしは、それを躊躇している」

フロースは、彼を躊躇させるほどのキラルの要求とは何だろうと思う。


 プレオベール男爵は、深く息を吐くと言った。

「あんたをラーウスに送り届けるのは簡単ではない。

帝国政府は、あんたを捜している。

キラルはそれを知っているから、あんたをラーウス人として来させようとしているのだと思う。

何故そこまでして、あんたを呼んでいるのかは知らないがね。

とにかく、あんたが行きたいのであれば、準備をしよう。

かなり難しいのだが、それでもラーウスへ行きたいのかね?」

と言って、それからニヤリと笑って、

「あんたにとっては、わたしのものになった方が、簡単だと思うんだが」と続けた。


 それを聞いたフロースは、「やっぱり!」と思った。

彼は、自分と一緒に宮廷へ入ることを考えていた。

自分がラーウスに行っても行かなくても、この男は失うものはないのだと。


 フロースは即座に、「わたしは、ラーウスへ行きます」と答える。

それを聞いたプレオベール男爵は、「引っかかった!」と思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。