4話 恋
広大な庭に囲まれたロセウスの宮殿は、「緑の王宮」と言われている。
宮殿の門を入ると、石畳の広い道路が真っ直ぐに奥へと伸び、道の両側には緑の木々が生い茂り、影を作り、空気を変え、訪れる人を別の世界へと誘い込んでいく。
美しかったはずのロセウスの街並みは遠くへ追いやられ、王宮車の静かなエンジンの音を聞きながら、爽やかな緑の雰囲気に浸っていると、その奥にある白地に金の装飾がなされた王宮が見えてきた。
車が宮殿の前に止まると、アリアとフロースは外に出た。
その時、木々の枝がゆれ、さわさわと葉のすれる音と共に、風がフロースの髪を通る。
その風を感じたフロースは、不思議な気持ちになった。
ここは初めて来る場所なのに、なぜか懐かしく、誰かの腕に抱かれているような穏やかさがある。
開かれた宮殿のドアから入ると、会堂のような広間があり、そこでフロースは、自分も会見の間に招待されていることを知った。
アリアの後に続いて奥へと進み、淡く霞んだような空が描かれた高い天井の絵を見上げながら、階段を上る。
その先の長い回廊も広く、荘厳な装飾がなされ、ウィリディス王国の豊かさが伺えた。
そこは二階だったはずなのに、窓の外を見ると、すぐ外には王宮の庭が広がっている。
初めは、誰しもその宮殿の美しさにも圧倒されるのだが、圧力をかけられていると言う気がしない。
回廊に従って大きな窓とガラスドアが続いており、
そこからの光と眺めることのできる庭、
さらに開いた窓から入ってくる花々の香りに心を落ち着かせ、
訪問者が会見の間に付く頃には、すっかりと心を和ませてしまうのだ。
そう言う意味でも、この宮殿は、外交上の問題を首尾良く処理する助けになっている。
ロセウスの、王宮への訪問者は、闘争心を持ち続けるのは難しい。
この日アクィラは、帝国要人たちに会うのを一番初めに予定しており、すでに会見の間で待っていた。
アリアは、特命全権大使と外務大臣の後で、アクィラに挨拶する。
「アクィラ王太子殿下、この度は、シャルム王を亡くされて、さぞや哀痛を感じておられることでしょう・・・」
アクィラは、何度となく繰り返される同じような挨拶に、すでに退屈しており、それを聞き流しながらアリアを眺めた。
そして、「アリアと自分のどこが似ているのだ」と思った。
この二人は覚えていないのだが、幼い頃に一度だけ会っている。
それは、アリアの祖父、前皇帝が亡くなった時に、ハダサがアクィラを連れて里帰りした時だった。
当時、四歳だったアクィラは、頭が爆発した人形みたいな二歳のアリアの髪を引っ張り、アリアはアクィラの腕を噛んで騒動になったのだ。
ところが、それからすぐ、二人は仲良く遊んでいた。
その時から、この二人は気性が似ていると言われ始めたのだった。
小柄のアリアは、ふわりと肩にかかる、赤毛に近いティシャンブロンドのゆるい巻き毛の髪と、色白の顔に大きな目が印象的だ。
アクィラは骨格はしっかりしているし、ダークブラウンの髪に肌の色も小麦色で、見た目は全く違う。
強いて言えばヘーゼル色の大きな目は同じで、目の表情も似ている。
次にアクィラは、アリアの後ろにいるフロースに目をやった。
フロースも色白で、すらりとした、長くて真っ直ぐな髪の美人だと思った。
その時、回廊から風が流れてきて、彼女の長くて柔らかい髪が、光に透けながら揺れ始める。
それは、蜻蛉の羽のように開いたかと思うと、閉じていった。
アクィラは、アリアが明るい陽の光だとすると、
フロースは、淡い光りの差す木陰のような人だと思った。
アリアは、アクィラに挨拶しながら、すぐにその悪戯好きの性格を見て取った。
そして、近くに住んでいれば、一緒に悪戯が出来て面白かっただろうにと思う。
それはアクィラも同意見なのだけれど、今までのように振舞うわけにはいかなくなってしまった。
それでも若輩者であるのは否めず、引き続き、周りを悩ますだろうと予想は付く。
フロースは、アクィラの横に立っているイベリスを見て、
シャルム王はこんな方だったのだろうと思っていた。
彼の長い髪と荘厳なローブが、その年齢を隠し、背が高く、端正な顔立ちが、より威厳のようなものをかもし出している。
それで、彼が王太子だろうと思ってしまったのだ。
そのすぐ後で、王大子は自分より一つ年下だった事を思い出す。
フロースの目が、先にイベリスへ行ったのは、その様相だけでなく、
何か引きつけるようなものを感じたからで、
彼の方ばかりを見てはいけないと、ゆっくりと目を伏せ、それからアクイラの方を向いた。
イベリスの長い髪も、フロースと同じように明るい色だった。
イベリスは、この二人の娘を見ながら、表情を変えることなくアクィラの横に立っていた。
いや、イベリスが見ていたのはフロースの方だった。
その時イベリスは、まるで絵画から抜け出してきたような清らかで美しいフロースに釘付けになっていたのだ。
そして、水面に揺れる光と影の様な、つかみどころのない儚さの中に、なにか神秘的なものを感じ、それが彼を捕らえて離さない。
彼を見つめていたはずの彼女の瞳は、その長いまつげで閉じられ、アクィラの方に向けられると再び開いた。
この時イベリスは、自分の胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。
尊敬していたシャルム王が亡くなり、打ちひしがれていたのに、
その葬儀の前日に、帝国の貴族の娘に心を奪われてしまったのだ。
イベリスは、彼女がどんなに魅力的であっても、どうなるわけでもないと思う。
彼女に会うのは、これが初めてで、最後なのだ。
もちろんアクィラは、そんなイベリスの葛藤には気付かない。
アクィラは、イベリスの横で、全く別のことを考えていた。
彼は、以前にイベリスが「教えるのは面白い」と言ったのを思い出していたのだ。
それで、看護学校へ通っているアリアとフロースをここに留めて、
イベリスに彼女らの家庭教師をさせてみてはと思い付く。
アクィラがそんなことを考えたのは、イベリスの迷い、
「王宮に残りたくても故郷のラーウスは捨てられない」というのがあったからだ。
アクィラは、イベリスに助言者として自分に仕えて欲しいのだけれど、それは彼次第で、どうしようもない。
それにアクィラは、「このままでは、イベリスは、どちらも選ばないのでは」とも思っていた。
このように、二つの国の間で悩んでいるイベリスに、二国とは全く関係のない帝国の生徒たちの教師をさせる。
そのことが、イベリスの何かを変えるかもしれない。
このアクィラの考えは、慎重に考慮したものではなく、
単なる思い付きで、他愛も無い悪戯でしかなかった。
アクィラは、自分に対して口数が少なくなっていたイベリスを、慌てさせるだけでも良いと思っていた。
そして欲を言えば、突然に看護学校へ行くなどと周りを騒がせたアリアに、自分勝手な行動を取らせ、
あたふたする帝国人たちを見れるかもしれないとも思ったのだ。
ところが、この単なる思いつきは、その後、多くの人々に影響することとなり、
アクィラは、自分の国だけでなく、周辺諸国の経済破綻を来たすかもしれない問題へと発展していくことになる。
そんなこととは露知らず、アクィラは、これをどのように切り出そうかと思案し始めた。




