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イベリス (Iberis)    作者: Naoko
1部 フロース
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          4話 月の光

 アリアは、狼狽しているフロースに驚いていた。

いつも冷静で、静かな笑みを浮かべるフロースとは思えない。

それで、「フロース、あなたは疲れているみたいだから少し休んだら? わたしがイベリスを捜すから」

と言って、フロースをライブラリーの長いすに座らせ、部屋を出るとドアを閉めた。


 ざわめいていた音が遠くなり、フロースは、開いたテラスへのドアからこぼれ落ちる月の光を眺める。

そしてロセウスの月を思い出した。


 ロセウス、イベリスが育った場所、そして、王の助言者だった王宮のある月。

フロースは、突然、

「イベリスは、自分など愛していないのでは」と不安に駆られる。


 イベリスは、一度もそんなことを言ってくれなかった。

ああ、それでも、エルナトで、あの湖で、彼はわたしを抱きしめてくれた。

あの時、わたしはそれを感じたはず。

それは、わたしが泣いたからで・・・もし、彼は、ただわたしを慰めようとしただけなら・・・


 フロースはそう思うと、居ても立ってもいられなくなり、テラスへ出ると庭へ降り、そのまま歩き出した。


 頭の中は真っ白になり、涙が溢れてくる。

しばらく歩き続けると、涙は枯れ、少し落ち着いたような気がした。

立ち止まり、空に浮かぶ丸い月を見る。


 明るい月は、辺りを昼のように照らし、星は夜空にあるのに、その瞬きは地上には届かない。

するとその先に、誰かが立っているのを見つけた。

フロースには、それが誰なのか分かる。

イベリスだった。



 その時アリアは、フロースの様子を見に戻ったのだけれど、彼女がいないので庭を捜していた。

そして彼女を見つけると、声をかけようとして止める。

その先に、イベリスがいたからだ。


 フロースは、考え事をしているイベリスを少し離れた所から見ているだけで、何も言わずに立っている。


 イベリスは、そんなフロースに気が付くと、彼女に近付いて言った。

「外の空気を吸いにきたのですか?」

フロースは、その時初めて、空気がひんやりとして心地よいと思った。

「熱気に当てられたのです」と答える。


 イベリスは、フロースに微笑むと優しく言った。

「自分もそうです。ですから、ここで体を冷やしていました」


 フロースは、イベリスが、一人静かに月を見るためにここにいるのだと思った。

その月は、うっすらと青い影の模様がある月で、上から二人を照らしている。


 「ロセウスの月を思い出していたのですか?」

イベリスは、それを聞いて驚き、目を細め、少し声を低くして言った。

「あなたはずるい人だ。

わたしに思い出したくないことを思い出させ、それなのに自分のことは何も言わず、いつもするりと逃げてしまう」


 フロースは、自分が「ずるい」と言われ、驚いてしまった。

そして、「ああ、そうかもしれない」と思う。


 自分は、イベリスを気にしながら、気の無い振りをした。

それなのに、心の底で彼の視線を喜び、このままでいたいと思っていた。

自分には、婚約者がいるのにだ。


フロースは、自分を僭越だとも思った。

 

 オーデン伯爵の誘惑を知っていながら、父の役に立つと勝手に思い込み、両親に相談することなく求婚を受け入れてしまった。

エルナトの復興のことも口出しした。

それなのに、イベリスに、このエスペビオスにいて欲しいと願っている。


 フロースがそうしてしまったのは、彼女が若かったからで、周りがそうさせていたのもある。

そしてイベリスが、彼女を「ずるい」と言ったのは、自分の心の内にもどかしさがあったからだ。


 フロースは、まだ、本当の自分に気付いていない。

その、賢く、冷静で、穏やかな様子は、表面でしかない。

彼女は、不器用だったのだ。



 「わたしは、あなたに、思い出させてしまったのですね」とフロースは言った。

イベリスは、煩わしいとでも言うように答える。

「今、そのことを考えたくはありませんでした。いっそこのまま、考えずにすめばと思っていたのです。

あなたも本当はそう望んでいる、そうではないですか?」

フロースは、それには答えられなかった。

イベリスは正しいのだけれど、それは、彼が本当に望んでいることではなかったからだ。


 イベリスは月を見上げ、それからゆっくりとフロースの方を向いて、口を開いた。

「わたしは、ずっと、あのロセウスの月を振り切ろうとしていました。

なぜなら、わたしは、始めて会った時から、あなたに恋をしていたからです」


 イベリスの声の調子は、はっきりとしているのに悲しさが漂っている。

フロースには、その意味が良く分かっていた。

彼が、ロセウスを忘れることはない。


 「それは、私にも分かっていました」

フロースはそう言っただけで、「あなたを愛しています」と言いたいのに、言葉が出ない。

それを、言えなかった。


 イベリスは何も言わず、ただフロースを見つめ続けている。

フロースは、こうして今、彼は自分だけを見てくれていると思った。

あの視線だ。

それは、彼女の全身を震えさせる。

出来れば、この時が永遠に続けばよいのにと思う。

それなのにフロースにとって、こんなに近くにいるイベリスが、遥かかなたにいるように思えてならない。

フロースは、イベリスが、いつも彼女に感じていたことを感じていた。

二人は、遠くにいるのだ。



 アクィラの従者がイベリスに近付こうとしている。

フロースはそれを見ながら、この時が終わろうとしているのだと思った。

そして従者は彼に何かを告げる。

イベリスは、もう一度フロースを見たのだけれど、すぐに背を向け、そこを去っていった。


 一人残されたフロースは、月を見上げる。それは、さっきまでイベリスが見ていた月だ。

それは明るくて、悲しいほどに青く美しく、イベリスの余韻を感じるのに、フロースの心を暗い闇へと落としていく。



 その様子を一部始終見ていたアリアも、ただそこでフロースを見ていた。

アリアは、フロースがイベリスを気にしているのは知っていたけれど、それが真剣だったのを深く考えていなかったのだ。



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