3話 滝
スピル・ファシェは、朗らかで気さくな人だった。
イベリスの一族の一人で、エルナト付近のサイシア村に住んでいるという。
朝霧の中、スピルの車と随行員たちの乗った車はエルナトへと出発し、狭いでこぼこ道を行く。
もし他の車と鉢合わせすれば、どちらかがバックし、すれ違える所まで戻らねばならないのだけれど、対向車などめったに現れないとスピルは言う。
しばらくすると、朝霧は消えていった。
車が川沿いの道を登り始めると、川は、どんどん下がっていく。
車は左右に揺れ、時には前方の道さえ見えない。ガードレールのような贅沢なものはなく、断崖絶壁の、ちょっと外せば真っ逆さまに落ちてしまうような道を上って行く。
「これで三時間もかかるってすごいわね」と、このドライブを楽しんでいるアリアが言った。
助手席に座っていたイベリスも笑いながらそれに答える。
「それでもいい方ですよ。ほとんどの道は、車も通れません」
「えーっ!? じゃあ、ここの人たちは、どんな生活をしているの?」
「とても素朴でゆっくりしています。偏狭の地は大抵そうですよ。ウィリディスが特別なのです。
それに、このラーウスも恵まれている方です。他の惑星はとても貧しいですから」
アリアは、辺境の地についてほとんど知らなかった。
そして、エスペビオスからこんなに遠く離れた土地にも、こうして人々が住んでいるのに驚き、不思議に思えてならない。
アリアは、ルスカが言っていたエルナトの話を思い出すと言った。
「エルナトって、角で突くものって意味があるんでしょう? そのように敵を滅ぼしたからその名が付いたって聞いたのだけれど」
イベリスは、アリアを振り向くと答えた。
「大きな一枚岩が角のように見えるので、その名が付いたそうです。今は、湖を望む岩盤の上に残された廃墟があるだけですよ。
スピルは、そこの管理をしています」
「管理って、どんなことをしているの?」
そのアリアの言葉に、スピルはイベリスをちらっと見る。
イベリスは、「廃墟は高台にあって見晴らしがいい所で、主に気象観測をしていて、その情報を無線通信で各地に伝えています」と答える。
スピルも、「とても美しいところですよ」と付け加えた。
このドライブを楽しんでいる三人とは反対に、フロースは何も言わない。気分が悪くなっていたのだ。
スピルが、「フロースさん、大丈夫ですか?」と心配そうに言った。
フロースは、なるべく気付かれないようにしていたのだけれど、もうほとんど限界だった。
彼は、「もう少し先に車を止められる所がありますから、そこまで我慢してください」と彼女を励ます。
しばらくすると、数台の車を止められそうな平らな場所に出た。そこでフロースは、木陰の草の上に横になる。そこはひんやりとしていた。
イベリスが、「高所恐怖症なのですか?」と聞く。
「フロースは、スリルライドが苦手なのよね」とアリアが言った。
フロースは、自分が皆に迷惑をかけていると思うといたたまれず、「もう大丈夫です」と言って起き上がろうとする。それをイベリスが止めた。
「まだ横になっていた方がいい」
彼女は、再び横になる。まだ動ける状態ではなかったのだ。
そこは、崖の上から落ちてくる滝が見える景色の良い所だった。
スピルが、アリアと随行員たちに景色を説明していて、
「この滝の上に湖があります。堰止湖になっていて・・・」と言う声が、滝の音に紛れながら聞こえてくる。
滝の水は、岩をたたき、白い流星のようなしぶきを上げて落ちていくと、その底で虹を作る。
それから川となり、川沿いには集落があり、小さな家々が建っていて、その風景を、「箱庭のように美しい」とアリアが言っている。
フロースは、彼らの会話を聞きながら、気持ちを落ち着かせるような匂いがするので、少し顔を横に向けた。薬草が生えている。
「スパイスだ」と思った。
そこにイベリスが座っている。
「わたしは、高所恐怖症ではありません」とフロースが言った。
イベリスは何かを考えているようで、彼女を見ることなく上を向いたまま、「そうですか」とだけ答える。
それから何も言わない。
フロースはイベリスの横顔を見上げながら、この人はいったい何を考えているのだろうと思った。
そしてハダサが、「彼は話したければ話すでしょう」と言ったのを思い出す。
「話してくれたらいいのに」とフロースは思いながら滝の音を聞き、それが眠気を誘ったらしく、そのまま眠ってしまった。
ふと、フロースは振動を感じる。それが彼女を眠りから呼び起こしていくのだけれど、その振動は心地よく、起きてしまうのがもったいないような気もする。遠くからの音も近付いてくるようで、それが合わさると、自分は動いている車の中にいるのだと分かった。
「フロース、目が覚めた? もうすぐエルナトに着くわよ」
アリアの声に、頭が少しずつはっきりしてくる。
「わたしは眠っていたのですね?」
フロースは頭を上げながら言った。
「イベリスが、眠らせたまま連れて行こうって言ったのよ」
そうだったのかとフロースは思う。
「フロース、あなたは軽すぎますよ」
そのイベリスの言葉に、フロースは、彼が自分を抱き上げて車に乗せたのだと気付く。すると急に恥ずかしくなってしまった。
「フロース、残念だったわね。眠ってしまってて」とアリアがフロースに耳打ちする。
フロースは、その耳まで熱く赤くなるのを感じた。
スピルが、「この岩山を回るとエルナトです」と言った。
すでに滝の音はなく、川もなくなり、緑に囲まれた山の中に道が続いている。木々が道をトンネルのように覆っている所を通ると、涼しい空気が車全体を包んだ。
「この先に、滝の上の湖があるのね」とアリアが言った。
フロースも思わず、「それが、あなたの言っていた湖なのですね」とイベリスに言う。
「そうです。とても美しい湖です」とイベリスが微笑みながら答えた。




