5話 平和
アリアとフロースが部屋に戻ってくると、書類の入った封筒が届けられていた。
発送者は、帝国公文書館とある。
アリアが、何事だと思って中を見ると、「宇宙帝国とウィリディス王国の・・・」と書かれた公文書のコピーが入っていた。
外務大臣のルスカが指示したらしい。
アリアは、これがハダサの言っていたことだろうかとも思うのだけれど、ちょっと読んでみて、呆れたと言わんばかりにそれをテーブルに投げ出した。
「ルスカは、いったい何を考えているのかしら。わたしに、これを読めって言っていうの?」
試験が終わり、勉強から開放されている彼女は、難しいものを読む気になれない。
フロースは、散らばった書類をまとめながら、
「外務大臣は、姫様に、特使としての自覚を持って頂きたいのだと思いますよ」と言った。
そこでアリアは、ルスカとの会話を思い出す。
彼は、この新しい王を迎えるウィリディス王国への特使として働いて欲しいと言っていた。
ところがアリアは、
「特使と言っても公式のものではないわ。わたしは留学生なのよ。それだけで精一杯なのに」
とそっぽを向いてしまった。
彼女は、自分の仕事は、帝国の姫として、礼儀を尽くして勉強することだけだと思っている。
「それは分かりますが、ご自分の滞在する国との事情ではありませんか」
とフロースが言うので、アリアは、諦めたように、
「じゃあ、フロースも助けてよ。
こんなのを読んでいたら、疲れて授業に戻るどころではなくなるわ」
と言って、フロースから書類を受け取る。
フロースも仕方が無いという風に、アリアと向かい合って読み始めるのだけれど、専門用語が多くてさっぱり分からない。
なにが要点なのかさえ読み取れないのだ。
二人は顔を見合わせる。
アリアが、「わたしはもう降参よ」と言った。
それはフロースも同じだった。
「読まなくてもすむ言い訳を見つけた方が得策だとは思わない?」
アリアはそう言いながら書類を掲げ、ひらひらと振る。
フロースは、少し考えて、
「速読してみましょう」と言った。
アリアは、速読術は知っているけれど、言葉さえ分からない公文書をどう速読するのかと思う。
するとフロースは、書類を床の上に並べ、まるで大きな一枚の紙のようにして、
「分かる言葉を拾いましょう」と言った。
ところがアリアは、すぐに集中できなくなり、読んだり書いたりするのが得意なフロースに任せることにする。
フロースは、この時、自分の結婚への不安をすっかり忘れていた。
さらに、イベリスへの想いも、アリアに仕えることに集中していると思い出さずにすむ。
それはフロースの心を楽にさせている。
とにかくフロースは、その公文書に何が書かれているのか理解しようとしていた。
古い記録から始まり、「バルナ」という国の名が何度も出てくる。
今は、存在しない国だ。
どうやら、その国に関する戦争の事らしいとまでは分かるのだけれど、それだけで精一杯だった。
フロースは、身を投げ出すかのように椅子に座り、額に手を当て、
「なんだか戦争の話らしいです」と言った。
アリアも、肩をすくめる。
アリアは、戦争のない平和な世界に生きていると思っている。
今の帝国は、抑止力を持っているので安定しており、戦争で負傷した人など見たこともない。
平和を脅かすのは、戦争などの人的災害だけではないし、自然災害もあると知っているのだけれど、自分に何が出来るかを考えたこともなかった。
そんな彼女が、戦争と聞いてもピンと来るわけがない。
その時、開いた窓から風が入ってきて、床の上の紙を吹き飛ばす。
二人は、慌ててそれを集めるのだけれど、何枚かは窓の外に飛ばされてしまった。
なんと、そこへ、イベリスがやってきて、部屋中に散らばった紙を見て驚いたのだ。
都合の悪いことは重なるものだとアリアは思った。
これほど散らばった公文書を隠すことなど出来ず、大体、隠すべきものなのかどうかも分からない。
それが何の情報かも分からないので、言い訳をしても通用するのかどうかも疑問だ。
とにかく、正直に話すしかないと思い、
「帝国から公文書が送られてきたのですが、何の事なのか分からないのです」と言った。
イベリスは、すでにそのことを知っていた。
そして、拾った紙の一枚を見て、どの文書なのかも分かった。
彼は、拾うのを手伝いながら、
「これは、王宮の公文書館にあるのと同じものですから、ご説明しましょう」と言って、説明を始める。
しばらくの間、アリアとフロースは、うんざりしながらそれを聞いていた。
全く、意味が分からないのだ。
アリアは、イベリスが暗記しているのだろうかと思ったほどだった。
それで、「この公文書を良く知っているのですね。全部読んだのですか?」と聞く。
イベリスは、「もちろん読みました」と答える。
イベリスも、この二人が公文書を理解できるとは思っていない。
それで、「要約して説明しているつもりですが、難し過ぎますか?」と聞いた。
「ええ、残念ですが全く分かりません」とアリアは答えながら最後の紙を拾い、それをテーブルの上に置く。
イベリスは、「詳しく知りたいのであれば、ご説明しますし、公文書も、こちらで準備できます」と言った。
それは、怒っているようにも思える言い方なのだけれど、二人は、イベリスの真意をつかめない。
アリアは、何でこんな訳の分からないことで自分が緊張するのかと思いつつ、帝国の一姫として毅然としなければと奮起して、
「そうですか。でしたら、お願いすれば良かったですね」と言った。
「では、全ての資料をお望みですか?」
そう聞くイベリスに、アリアは、もっとあるのかと驚き、
「全部で、どれくらいあるのですか?」と聞き返す。
「そうですね・・・」とイベリスは考える。
「箱に詰めれば五個以上はあると思いますが、それを全部読もうとすると、授業に差し障りが出るでしょう。
どうされますか?」
元々、自分のしている会話の意味が分かっていないアリアは、気力もうせ、
「いえ、結構です」と答え、
「この公文書は、窓の外に散らばったものと一緒に処分してください」と言った。