4話 銀の鈴
青い空と眩しい日差し、そして美しい緑と木陰。
その日、ハダサは、アリアとフロースを木陰のテラスの昼食へと招待した。
テーブルの上には、色とりどりの野菜と果物、チーズやパン、薄く塩漬けされた黒と緑のオリーブの実が盛られ、切り分けられたキッシュの黄色が鮮やかに、ふんわりと白い皿を飾っている。
それらを堪能し、オレンジやミントのたっぷり入ったサングリアが、口に残った後味を楽しませてくれる。
二人が楽しんでいるのは、ランチだけではない。
ハダサの、優雅で、どことなくはかなげで優しい雰囲気に、心を和まされている。
しかも、彼女はユーモラスなのだ。
アリアは、彼女がアクィラの母親とは信じられないと思った。
それで、
「アクィラ殿下は、これから王様になるのですね。
それでもハダサ様にとっては、いつまでもご子息なのでしょう」
と、回りくどい言い方をした。
ハダサは、彼女の思っていることを察して、笑いながら答える。
「そうですね。確かに、わたしの息子です。
実はわたしも、若い時に無茶をしたのですよ。
拝金主義で、全てを値踏みするような高慢ちきな人たちから逃げて来たのです」
その思いがけない表現に、アリアとフロースは目を大きく開けてハダサを見る。
「では、帝国には、そのような人が多いとおっしゃるのですか?」
アリアは、空かさず質問した。
するとハダサは、まるで、秘密の話でもするかのように顔を近づけて、
「多いかどうかは別として、わたしの周りには、お金や地位のために、へつらいながらお互いの足を引っ張り合う人々がいて、
危うく、その一人と結婚させられそうになったのです」と言ったので、アリアは笑ってしまった。
「とにかく、わたしは病気になりました。
それを理由に、帝国から遥かかなた、このウィリディスの療養所へ逃げたのです」
アリアは、こんな話は大好きなので、身を乗り出してハダサの話を聞いている。
「当時、帝国とウィリディス王国の間には問題があり、皇帝は誰かをここへ送ろうとしていました。
前の皇帝陛下の時代、あなたのお祖父様が生きてらした頃です」
「では、ハダサ様は、シャルム王のお后になるためにいらしたのですか?」
「いいえ、療養のためだけで、わたしに付けられた側近が王国を探っていたようです。
陛下と親しくお話したのは、イベリスの叔母、いえ、彼の母親の叔母だと言う人に会った後でした。
とにかく、国のことは、公文書館に記録として残されているはずですよ」
前の皇帝は、帝国主義政策を推し進めたことで知られていた。
そしてアリアの父の代になると、穏健派が優位を占めるようになり、非戦論が主流となる。
そのことに、シャルム王が大きく係わっていることぐらいは、アリアも知っている。
とはいえ、アリアは、そんなことよりハダサの「愛の話」の方に興味がある。
「ハダサ様、国王との思い出を話していただけますか? 出来れば面白いものを!」
アリアのその質問に、フロースは慌てて言った。
「姫様、それは・・・」
ハダサは微笑しながら答える。
「いいのですよ。
かえって、そんな話をした方が、気が晴れると言うものです」
そしてハダサは、自分の首にかけてある小さな鈴を外して二人に見せた。
それは銀の鈴で、古く柔らかくなった皮の紐に付いていた。
「これは、陛下が私に下さったものなのです」
「鈴ですか?」
驚くアリアに、ハダサは笑った。
「ええ、私は庭が好きなので、散歩することが多いのですが、
木々や植物に隠れて見えなくなるそうです。
侍女たちも付いているのに、わたしを見つけられないと言うのですよ」
と、呆れたように言ったハダサは、その鈴を手のひらに乗せ、懐かしそうに見つめる。
「これを、足首に結び付けて散歩するようにと言われました。
そうすれば、私がどこにいるのか分かるのだそうです」
「それでは、まるで猫ではありませんか!?」
アリアがそう言うと、フロースは目を丸くするが、何も言わない。
ハダサは、また笑う。
「私もそう申し上げました」
そして、鈴を耳元に寄せ、揺らした。
銀の鈴の音は澄んでいて心地よく、
アリアは、ハダサのために造ったという「王妃の庭」から聞こえてくるその音を想像する。
ゆっくりと歩く王妃の長いガウンが草の上を撫で、この木、あの木とその根元を触り、
草花を愛で、橋を渡って小川のきらめきを越え、池を周り、風の音を聞いては止まる。
そして、途切れ途切れに、どこからともなく聞こえる鈴の音。
「その音は、素敵だったでしょうね」
アリアがそう言うと、ハダサは、
「もしかしたら、陛下は、庭から聞こえる鈴の音を楽しむために、わたしに付けさせたのかもしれませんよ」と笑いながら言った。
「そう、今は、懐かしい思い出です」
「ハダサ様は、王様を愛しておられたのですね。ずいぶん年上でいらしたのに」
「ええ、ですから、わたしより早く亡くなられるのを覚悟していたのですが、やはり悲しいものですね。
私は、陛下を深く尊敬し、夫として愛しておりました」
フロースはその会話を聞きながら、ハダサの結婚が、自分と似ているようで全く違うと思った。
自分は、婚約者のオーデン伯爵をそのように感じたことはない。
ハダサの夫を失った悲しみ、穏やかさ、王妃の庭、そして銀の鈴の音、そのすべてがフロースを苦しめる。
「イベリスは、良い先生でしょう?」
ハダサが聞いた。
「ええ、とても良い先生です」と答えるアリアに、ハダサは微笑む。
「私が妊娠した時、陛下は、もしこの子が男の子であれば、イベリスと兄弟のように育て、
女の子であれば、イベリスの妻にしたいと言ったのです」
「まあ、そうでしたか」アリアがクスッと笑った。
「結婚は、本人の意思ですから、親が思うようにはいきませんのよ、と申し上げたのですけれどね」
そして、遠くを思い出すように続ける。
「陛下は、イベリスの特質を、早くから見抜いておられました。
イベリスは、子供のころは、とてもやんちゃで皆を困らせたのですけれどね。
それでも、王大使を良く世話してくれました」
「イベリスは今、ウィリディスを出て行こうとしていますね」
「そう、それも陛下は考えておいででした」
「そうなのですか?」
「イベリスが王宮へ上がったのは、かなり幼い時で、特別なことだったのです。
それから早くに両親を亡くし、生まれたばかりの妹に会うこともありませんでした」
「そんなことがあったのですか?」
するとハダサは、はっと気が付いたように言った。
「あら、わたしは余計なことまでしゃべってしまったようです。
もしイベリスが望めば、あなた方に話すでしょう。
彼は、あなた方を気に入っているようですよ」
「それは光栄ですわ」とアリアも微笑む。
そして、ハダサはずっと黙っているフロースの方を向くと言った。
「あなたは、近々、結婚なさるそうですね」
フロースは、それに震えるように小さな声で答える。
「はい・・・そうでございます」
ハダサは、フロースにも微笑むと言った。
「それでは、あなたの人生が、幸福なものでありますように」




