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その刑務所の地下には、時間が積もっているような独房があった。
窓はなく、換気口から漏れてくる空気だけが、辛うじてそこが地上と繋がっていることを示していた。
鉄格子の向こうには、18歳と思しき青年が、壁に背をもたせかけて座っていた。膝を軽く立て、視線は床のどこか一点に落ちている。彼の髪は雪のように白く、瞳はコバルトブルーというよりも、深い海の底に沈んだ氷の色をしていた。整いすぎた顔立ちは、およそこの場所には似つかわしくない静けさをたたえていた。
彼はこれまでに2人の男を殺していた。被害者は成人男性で、犯行には奇妙なほど一貫した儀式性があったと、裁判記録には記されている。だが、その動機について、彼は一度も口を開かなかった。
金属製の扉が開き、一人の男が現れた。
広瀬秋人、三十四歳。オカルト専門誌の編集者で、着ているコートには、地上の秋の匂いがまだかすかに残っていた。
「はじめまして。『月刊ミステリウム』の広瀬といいます」
青年は視線を上げなかった。広瀬は構わず、鉄格子の前に置かれたパイプ椅子に腰を下ろした。
「あなたに関する記事を書きたい。裁判では語られなかったことを、話していただけませんか?」
「僕のことを、雑誌に?」
青年はようやく口を開いた。
声は思いのほか低く、乾いた井戸の底から響いてくるようだった。
「みんな、僕を怪物として書きたがる。骨の髄まで悪意に満ちた何かとして」
「僕は、そうは思っていません」
広瀬はノートを膝の上で開く。
「怪物には人を襲う理由がない。でも、あなたにはちゃんとした理由がある、そう思ってここに来たんです」
青年は初めて顔を上げ、広瀬をまっすぐに見た。そのコバルトの瞳には、怒りも、悲しみも、憐れみを乞う色すらもなかった。ただ、深い湖の底を覗き込んだときのような、静謐な無関心があるだけだった。
「あなたが殺した男たちには、共通点があった」広瀬は静かに切り出した。「二人共、教会と隣接した児童養護施設の職員で、孤児だったあなたはその施設で育ったそうですね」
「……」
青年が沈黙する。換気口の奥で、何かの機械が低く唸る音だけが響いていた。
青年はしばらく黙って、広瀬の顔を眺めていた。値踏みするようでも、憐れむようでもない、ただ静かに観察するような視線だった。それから彼は、ふっと息を吐くように言った。
「先に自己紹介させてください。僕は矢吹夢人です」
夢人という名前を、広瀬は心の中で一度繰り返してみた。矢吹夢人。それは、彼がこれまで記事で書いてきたどんな殺人者の名前よりも、静かで、どこか儚い響きを持っていた。
「あなたは僕より年上だから、敬語ではなくタメ口でいいです」
そう言って夢人は膝を伸ばし、鉄格子ににじり寄った。獄衣の袖から覗く手首は、驚くほど細く白かった。彼はその手を、格子の隙間からゆっくりと差し出した。まるで、初めて会う友人に挨拶をするような、あまりに自然な仕草だった。
「握手を、秋人さん」
広瀬は反射的に腰を浮かしかけたが、すぐに思いとどまった。入室前、刑務官から念を押されていたことを思い出したからだ。――被収容者には、いかなる理由があっても接触しないこと。
「すまない」広瀬は静かに言った。「触れないように言われているんだ」
夢人の手は、しばらく宙に浮いたままだった。それは奇妙な光景だった。差し出された手のひらと、それを拒む沈黙との間に、地下の空気だけがゆっくりと流れていた。
夢人はやがて、その手を静かに引っ込めた。表情は変わらなかった。落胆も、怒りも、そこにはなかった。ただ、コバルト色の瞳が、一瞬だけ、蛍光灯の光を映して奇妙な角度で揺れたように、広瀬には見えた。
「そうですよね」夢人は呟くように言った。「みんな、僕に触れない」
その言葉には、恨みがましさよりも、むしろ既に何度も確かめてきた事実を、また一つ確認するときのような、乾いた諦めがあった。
「被害者たちも」と夢人は続けた。「最初は、僕に触れることを恐れていた。でも最後には、二人とも、自分から手を伸ばしてきたんですよ。不思議でしょう」
広瀬の背筋を、冷たいものが伝った。だが同時に、それこそが自分がここに来た理由なのだと、彼は思い出していた。
夢人の視線が、ゆっくりと広瀬の顔から、その少し上――ちょうど頭のあたりに移った。まるでそこに何か、文字でも書かれているのを読むような、静かな集中の仕方だった。
広瀬は、わけもなく喉が渇くのを感じた。
夢人には、見えていた。それは幻覚でも、比喩でもなかった。広瀬の頭上には、歪んだ赤い文字が、まるで誰かが乱暴な筆致で書きなぐったかのように浮かんでいた。「不倫」「家庭内暴力」「いじめ黙認」「万引き」――四つの罪状が、蛍光灯の光の中で、ゆらゆらと熱を持つように揺れていた。
「先に、質問させてください」
夢人の声には、それまでの穏やかさとは違う、何か硬質なものが混じっていた。
「質問って?」
「どうして、不倫したんですか」
広瀬は息を呑んだ。喉の奥で、何かが小さく詰まったような音がした。
「ど……どうして、それを……」
「答えてください」
夢人の口調は変わらなかった。責めるでも、面白がるでもない。ただ、天気について尋ねるときのような平坦さで、彼はもう一度、同じ質問を繰り返そうとしていた。広瀬はその静けさに、かえって追い詰められていくのを感じた。
「……年下の同僚と、勢いで、しただけだ」
言ってしまってから、その言葉の軽さに、広瀬自身が驚いていた。まるで別の誰かが、自分の口を借りて話しているようだった。
「最低ですね」
夢人は、感情のこもらない声でそう言った。それは断罪ではなく、ただの観察の結果を告げるような響きだった。
「こっちのことは、どうでもいい」
広瀬は視線を逸らしながら、辛うじてそう返した。
「君の、話を……」
「どうぞ」
夢人は静かに促した。
広瀬はノートを握りしめ、ようやく本題の質問を口にした。
「二人の男性を殺した理由は?」
地下室に、束の間の沈黙が落ちた。換気口の奥で、機械が低く唸る音だけが、相変わらず一定のリズムを刻んでいた。
夢人は少しの間、天井を――正確には、天井のさらに向こう、地上のどこか遠い場所を見るような目をして、それからゆっくりと口を開いた。
「理由なんてわかりません。何も覚えていないんです」
その声には、嘘をついている響きはなかった。むしろ、自分自身の中にある空白を、そのまま正直に差し出しているような、奇妙な誠実さがあった。広瀬はペンを持つ手を止めたまま、その言葉の重さを量りかねていた。




