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『転生者観察官ノルンの苦労は終わらない 〜神様達がまたやらかしたので、今日も異世界を見回ります〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第六十六話 十三年ぶりに応答が戻ったあとも、第一接続者は次の約束を求めていなかったようでした

 第一接続者の最古層記録について続きを調べると決めた翌朝、ノルンは中央管理室へ入る前に一度だけスマートフォンを確認した。


 美咲から新しいメッセージは来ていない。


 昨日、美咲自身が「都合が分かったらまた送る」と言っている。その言葉を受け取った以上、今日の自分にやることはないと分かっていたので、画面を閉じるまでにかかった時間は前日よりずっと短かった。


「おはようございます、主様」


「おはよう、ノルン。今日は入口でスマホ見てた?」


「なぜ見ていたことが分かるのですか」


「歩いてくるのが少し遅かったから」


「観察しすぎです!」


 朝の管理領域は、外の世界のような風も気温の変化もない。それでも時間に合わせて調整された光は少し青みを含み、中央管理卓の表面には夜間記録の淡い表示が静かに流れていた。


 主様はいつもの席に座りながら、先に自分の睡眠記録を開く。


「七時間五十一分。途中覚醒なし。朝食済み。体調問題なし」


「三十一日連続ですね」


「一か月越えた」


「はい。ここから先は、連続日数を伸ばすこと自体を目標にしすぎないでくださいね」


「三十日達成した翌日にもうそういうこと言う?」


「睡眠が目的で、記録更新が目的ではありません」


「ノルン、最近なんでもそう言うね」


「何でもではありません」


「接続も、調査も、待つのも」


 少し考えてから、ノルンは否定しきれずに口を閉じた。


「……共通する部分はあります」


「ノルンは?」


「七時間四十六分。朝食済み、体調問題なしです」


「美咲の返信なし」


「それは健康記録に入れません!」


 主様が笑う。


 ノルンもわずかに肩の力を抜き、朝の通常観察へ移った。


          ◇◇◇


 ミレイアの朝報告は、今日も簡潔だった。


『睡眠良好』

『朝食通常量』

『身体症状なし』

『午前は衣装棚整理を希望』

『ルーク関連の自発発言なし』


 エリスは、昨日ミレイアが口にしかけた「忘れたくないのかも」という未整理の感情について、当然ながら正式記録には残していない。


 本人が記録しないよう求めた。


 ならば、その言葉は管理資料上存在しないものとして扱う。


 エリス個人の記憶から消えるわけではないが、それを後日の判断材料として勝手に使うこともしない。


「衣装棚整理」


 主様が報告を見ながら言った。


「普通ですね」


「うん」


「今日はそれで十分です」


「ルークのこと聞かない?」


「聞きません」


 ノルンははっきり答えた。


「昨日『今日はこれ以上考えたくない』と言っています。その翌朝に、こちらから続きを取りに行く理由はありません」


「うん」


「それに、ルーク関連の話をしなかった日が続いたとしても、何かを失ったとは判断しません」


「前なら?」


「空白を埋めたくなっていたかもしれません」


 自分で口にして、少しだけ苦笑する。


 観察官は観察する。


 だが、観察することと、毎日新しい感情を回収することは違う。


 保留者一名も通常生活を継続している。


 担当観察官の報告には、


『面会意思:保留』

『ルーク関連質問なし』

『本人より追加説明希望なし』


 とあるだけだった。


 ルーク側も夜間接続要求なし。


 名称側異常なし。


 怖さは前日終盤で二。


 世界側への近接感覚も発生していない。


「誰も動いてないね」


 主様が言う。


「生活は動いています」


 ノルンは自然に返した。


 主様が少し目を細める。


「いい言い方」


「褒めなくて結構です」


「ルークならもっとって言う」


「私は言いません!」


          ◇◇◇


 午前の通常業務を終えると、ノルンは予定表に入れていた一刻の最古層調査時間へ移った。


 今日は前日までの続き。


 第一接続者が十三年にわたって再接続希望を保持しながら、それを外在個体へ伝えず、応答義務も置かなかったこと。


 十三年目に外在個体側から弱い自発反応があり、第一接続者側は最初「受信のみ」を維持したこと。


 二度目の反応を確認してから、ようやく短文一回だけ返したこと。


 そして、後世資料で「おかえり」とされた外在個体側応答が、最古層では「戻った」「帰った」「いた」等の複数解釈を残していること。


 今日確認したいのは、そのあとだった。


 十三年ぶりに反応が戻った。


 もし後世資料だけを読めば、ここから関係が再開し、次の接続へ自然に進んだように感じる。


 だが、本当にそうだったのか。


 ノルンは低照度の閲覧区画へ入ると、昨夜保存した位置から記録を開いた。


 光板には、欠損の多い古い記録が幾つも並ぶ。


 第一接続者側の短文。


 外在個体側の応答。


 その直後の観察報告。


『第二応答終了後、接続継続要求なし』


 ノルンの指が止まった。


「……早いですね」


 まだ調査を始めて数分しか経っていない。


 すぐ隣で別資料を開いていた主様が顔を上げた。


「見つけた?」


「一行だけですが」


 共有する。


『第二応答終了後、接続継続要求なし』


「第一接続者から?」


「文脈上、そう見えます」


「十三年待って、やっと反応来て」


「それでも、その場で続きを求めていない」


 ノルンは前後を読む。


『外在個体側反応、安定性不明』

『接続者側情動上昇あり』

『再接続時期相談を管理側より提案』

『第一接続者、不要と回答』


 今度は主様も少し身を乗り出した。


「管理側から聞いたんだ」


「はい」


「次いつにするって」


「それに対して、不要」


 さらに続きがある。


『第一接続者発言記録』

『「今日返ったことと、明日も返ることは別である」』

『「次を決めれば、向こうが来る理由をこちらが作ることになる」』


 ノルンはしばらく黙った。


 十三年間、応答がなかった。


 そしてようやく相手側から反応が届いた。


 普通なら、次に繋ぎたいと思う。


 いつなら再び接続できるか。


 次回も同じ方法でよいか。


 もっと長く話せるか。


 聞きたいことはいくらでもあったはずだ。


 それでも第一接続者は、「今日返った」と「次も返る」を分けている。


「主様」


「うん」


「これ、今の私達にもかなり近いです」


「初回一言接続?」


「はい」


 ミレイアがルークの「こんにちは」を聞いた。


 接続は安全に終わった。


 それだけで、次の接続を予定してよいわけではない。


 第一接続者は十三年前――いや、この記録自体がはるか昔のものだから、正確には「十三年間の待機後」に同じような区別をしていた。


「でも、同じだと決めない」


「もちろんです」


 ノルンはすぐに付け加える。


「状況は違います。第一接続者の相手は外在個体ですし、当時の制度も今とは異なります」


「でも考え方として残ってる」


「はい」


 次の記録。


『管理補助者より、外在個体側の自発反応が再発する可能性を考慮し、定期観測頻度増加案』

『第一接続者、反対』

『理由:反応があったことで観察密度を上げれば、待機中と扱いが変わる』

『外在個体側が変化したのか、接続側が期待によって変化したのか区別困難となる』


 ノルンは思わず息を吐いた。


「……ここまで考えていたのですか」


「かなり慎重だね」


「反応が来たあとに観察を増やすことすら、期待による偏りを警戒している」


「今のノルンみたい」


「私はここまでではありません」


「近いけど」


「……否定しづらいです」


 ただ、この記録には別の危うさもある。


 第一接続者が慎重すぎて、必要な支援まで抑えていた可能性。


 外在個体側が助けを求めていたのに、「こちらから進めない」を優先しすぎた可能性。


 古い記録は正解集ではない。


 だからノルンは、肯定的な部分だけを拾わないよう次も確認する。


 すると、三日後の記録が出てきた。


『外在個体側、自発反応なし』

『第一接続者、再接続希望を保持』

『管理側より情動状態確認』

『寂寥感あり。接続要求なし』


 さらに第一接続者本人の短い記録。


『「返ってきたから、また来ると思ってしまう」』

『「その期待は私の側に置く」』


 ノルンは光板へ手を触れたまま、動かなかった。


「期待してたんだ」


 主様が小さく言う。


「はい」


「平気じゃなかった」


「はい」


 ここは大事だった。


 第一接続者は、淡々と十三年待てる特別な人ではなかった。


 反応が返ってきたら、次も来ると期待した。


 来なければ寂しい。


 それでも、その期待を相手へ渡さないと決めていた。


 感情がなかったから待てたのではない。


 感情があるまま、要求へ変換しなかった。


「これ、ルークにそのまま教える?」


 主様が尋ねる。


 ノルンは少し考えた。


「今日はまだ」


「なんで?」


「ルークが第一接続者との類似を強く意識しすぎる可能性があります」


「自分も同じだって?」


「はい。それに、第七外在個体との関係も未確定です」


 ルークは以前から第一接続者記録に関心を示している。


 そこへ「昔の人も期待して寂しかった」と伝えれば、安心材料にはなるかもしれない。


 しかし、「自分と同じ存在だった」という誤認へ寄る可能性もある。


「必要な部分だけ?」


「今後、本人の感情整理に役立つ場面があれば」


「今じゃない」


「はい」


 ノルンは調査を続ける。


 待機十三年目、四日後。


『外在個体側弱反応あり』

『前回と異なり意味照合不能』

『第一接続者、応答希望なし』

『受信記録のみ』


 ノルンは少し驚いた。


「今度は返していません」


「なんで?」


「理由を探します」


 関連補助記録。


『第一接続者発言』

『「返せる反応と、返したい反応は同じではない」』

『「向こうがこちらへ話しかけたか、ただ存在を示しただけか、まだ分からない」』


 主様が感心したように息を吐く。


「応答しないことも選んでる」


「はい」


「相手から来たのに」


「来たから必ず返す、にもしていない」


 ここでも一方通行の義務を作っていない。


 相手が反応した。


 だからこちらも応答しなければならない。


 そういう交換条件にしない。


 ノルンは記録メモへ一行追加する。


『相手から自発反応があっても、毎回応答義務を発生させない』


 だが、すぐに「原則」とは書かない。


 あくまで第一接続者事例。


 さらに五日後。


『外在個体側、短い意味反応』

『現行語近似:「いる?」』

『第一接続者、短文応答』

『発話復元:「ここにいる」』


 ノルンの呼吸がわずかに止まった。


「……今度はかなり明確ですね」


「『いる?』」


「近似ですが」


「それに『ここにいる』」


「はい」


 これまでの「戻った」「帰った」「いた」より、意味対応が分かりやすい。


 ただし、名前は使っていない。


 次回接続の約束もない。


 相手がいるか確認し、第一接続者が「ここにいる」と返す。


 その場で終わる。


「ルークが昨日、ノルンいるかなって来たの思い出すね」


 主様が言う。


「私もです」


「似てる」


「似ていますが、だからこそ慎重に扱います」


 ノルンは声を少し低くする。


「ルークがこの記録を知れば、『昔も同じだったから自分の確認接続も正しい』と受け取る可能性があります」


「でもノルンは毎回確認する形にはしないって言った」


「はい」


「第一接続者の事例は?」


「この外在個体側からの『いる?』に対し、一度だけ『ここにいる』と返しています。その後の反復頻度が重要です」


 すぐ次へ。


 そこから数週間分。


『同様確認反応、二度』

『第一接続者、初回のみ応答』

『第二回、受信のみ』

『第三回、管理側判断で短文応答』


 理由欄。


『反復応答が相互確認儀礼として固定化することを避ける』

『存在確認が接続維持条件となることを避ける』


 ノルンは思わず目を閉じた。


「……ありますね」


「昨日ノルンがルークに言ったこと」


「ほとんど同じ問題です」


 毎回「いる?」と聞く。


 毎回「いる」と返す。


 それが安心になる。


 でも、やがて返事がないこと自体が不安になる。


 確認行為が関係維持の条件へ変わる。


 古い管理側もそれを警戒していた。


「これは制度に残ってないの?」


 主様が尋ねる。


「現行の基本規則には、ここまで具体的な記載はありません」


「消えた?」


「簡略化された可能性があります」


「また後世要約?」


「あり得ます」


 古い制度は複雑だった。


 現場ごとに細かな判断が必要だった。


 その後、何代もの管理者が使いやすい形に整えた。


 整理そのものは悪くない。


 だが、短くした結果、「なぜそうするのか」が抜け落ちれば、別の場面へ応用できなくなる。


「セレナさんの三層資料」


 ノルンが小さく言う。


「基本規則、理由、実践例」


「うん」


「やはり必要ですね」


 基本だけなら速い。


 でも、今回のような例外や似ているけれど違う状況では、理由へ戻る必要がある。


 第一接続者の記録は、その理由層の原型なのかもしれない。


 ただし、そこへ結論をつける前に、今日の調査時間の終わりが近づいていた。


「あと十分」


 主様が言う。


「見ています」


「次の資料開く?」


 ノルンは迷った。


 まだ先がある。


 「ここにいる」という応答のあと、第一接続者と外在個体の接触がどのように変わったのか。


 名称接続に進んだのか。


 位置参照が起きたのか。


 それとも長くこの短いやり取りだけだったのか。


「今日はまとめに使います」


 ノルンは新しい記録を開かなかった。


「珍しい」


「昨日より学びました」


「褒める?」


「いりません!」


 残り時間で確認内容を整理する。


『第十三年自発応答後、第一接続者は次回接続約束を求めず』

『「今日返ったことと、明日も返ることは別」』

『「次を決めれば、向こうが来る理由をこちらが作る」』

『反応後も観察密度を上げず、期待による観察偏りを警戒』

『第一接続者本人、再応答を期待し寂寥感あり。ただし「その期待は私の側に置く」と記録』

『外在個体側反応すべてに応答せず。反応意味が不明な場合は受信のみ』

『外在個体側「いる?」近似に対し「ここにいる」近似の短文応答あり』

『同種存在確認が反復した際は毎回答えず、「相互確認儀礼」「接続維持条件」化を警戒』

『後世制度で理由部分が簡略化・脱落した可能性あり』


 最後に、


『第一接続者事例は現行ルーク案件と類似点あり。ただし同一視禁止。第七外在個体との関係未確定』


 と明記する。


 時間終了の通知が鳴った。


 ノルンは光板を閉じた。


 今日は予定どおり止められた。


          ◇◇◇


 昼食後、ミレイアは自室の衣装棚を本当に整理していた。


 春から使っていなかった薄手の外套。


 色の合わなくなった飾り布。


 礼装用の手袋。


 侍女と二人で一つずつ出しては、残すものと別の保管室へ移すものを分けていく。


「こちらはどうなさいますか?」


 侍女が淡い灰色の肩掛けを広げる。


 ミレイアは少し考え、手触りを確かめる。


「残します。冬前ならまだ使えそう」


「ではこちらへ」


 衣装棚の奥では、防虫用の香草袋が微かに甘い匂いを出していた。窓を少し開けているため空気が動き、積み上げた布の端が時折揺れる。


 何度か作業を進めたところで、一枚の淡い青の布が出てきた。


 ミレイアの手が止まる。


 色だけで、あの日の接続室を少し思い出した。


 青い光。


 静かな空気。


 そして、短い声。


「……こんにちは」


 頭の中に浮かぶ。


 以前なら、そこからルークがなぜその言葉を選んだのか、次に何を言うのか、もう一度聞くならどうなるのかまで考えが広がっていた。


 今日は違った。


 声を思い出した。


 胸の奥が少しだけ揺れた。


 でも、それ以上は広がらなかった。


「ミレイア様?」


 侍女の声で、視線を戻す。


「ごめんなさい。これも残します」


「はい」


 侍女は何も聞かなかった。


 作業が続く。


 布を畳み、棚を拭き、入れ替える。


 その普通の手順の中で、ミレイアは自分が今どう感じたのかを無理に言葉にしなかった。


 忘れたわけではない。


 忘れたくないのかどうかも、まだ分からない。


 ただ、思い出しても生活が止まらなかった。


 それだけでよかった。


          ◇◇◇


 午後の中頃、ルークから名称接続要求が入った。


 緊急ではない。


 ノルンは別世界の短い観察報告を終えてから接続を開く。


「ルーク」


『いる』


「こんにちは」


『こんにちは』


 ノルンはほんの少しだけ表情を緩めた。


 以前は「おはよう」が多かった。


 今は時間帯に合わせて自然に挨拶を変えている。


「今の怖さは?」


『二』


「苦しさ、近い感覚、名称側の違和感は?」


『ない』


「今日は何かありましたか?」


 淡い光がゆっくり揺れる。


『昨日の続き』


「『ごめん』についてですか?」


『少し』


「はい」


『僕』


 文字が出て、止まる。


『謝ったら』


『返事ほしい』


 ノルンは黙って待った。


『許すとか』


『大丈夫とか』


『そういうの』


「そう言ってもらえたら嬉しい?」


『うん』


『たぶん』


 光が弱くなる。


『でも』


 少し長い間。


『それも僕のため?』


 ノルンはすぐ答えなかった。


 ルークは前日、「ごめんを言えば自分が少し楽になる気がする」と気づいた。


 今日はさらに、その先を考えている。


 謝ったあと、相手から「大丈夫」「許す」と返してほしい。


 謝罪が受け入れられた証明。


 自分がまだ拒絶されていない確認。


「ルークは、ミレイア様に返事をしてほしいのですか?」


『今は』


 文字が遅い。


『分からない』


「以前なら?」


『ほしかった』


「どんな返事を?」


『怒ってない』


『大丈夫』


『会える』


 ノルンは一つずつ受け取る。


「今は、その全部をもらわなくてもいいと思いますか?」


『……』


 光が揺れる。


『ごめん言うだけなら』


『返事なくても』


『前より怖くない』


「どうしてですか?」


『こんにちは』


「はい」


『返事なかった』


 実際にはミレイアは接続終了後に「こんにちは」と呟いている。


 しかし、その声はルークへ届いていない。


 ルークにとっては、返答なしで終わった接続だ。


『でも届いた』


「はい」


『それで終わった』


「はい」


『僕壊れなかった』


 ノルンは少し息を吐いた。


「前は、返事がないことが怖かった」


『うん』


『ごめん言って』


『何も返らないの』


『怖かった』


「今も怖さはありますか?」


『ある』


「どのくらい?」


『四くらい』


 今の全体怖さは二。


 謝罪場面を想像すると四まで上がる。


 それでも以前ほどではない。


『でも』


 ルークが続ける。


『返事ないと失敗』


『じゃない』


「そう思えるようになった?」


『うん』


 ノルンはその変化を急いで「次の接続準備が整った」とは扱わない。


 むしろ逆だった。


 ルークが返事を必須としなくなったからといって、ミレイアへ謝罪を届ける必要が生まれるわけではない。


「ルーク」


『何』


「返事を求めないことと、相手へ謝罪を渡してよいことは別です」


『うん』


 返事が早い。


「ミレイア様が謝罪を受け取りたいかどうかは、まだ確認していません」


『うん』


「次回接続を望むかも、確認していません」


『うん』


「だから今日分かったのは」


『僕が』


 ルークが先に出す。


『返事ほしい気持ちある』


「はい」


『でもなくても失敗じゃない』


「はい」


『それだけ』


 ノルンは少し笑った。


「その通りです」


 光が少し明るくなる。


『昔の人』


「第一接続者ですか?」


『うん』


『返事ほしかった?』


 ノルンは朝の記録を思い出す。


 第一接続者は再応答を期待していた。


 来なければ寂しさもあった。


 でも、その期待は自分側に置くと記録していた。


 これはルークへ共有してもよいだろうか。


 直接同一視させない説明をつければ、今の問いに必要な範囲かもしれない。


「最古層記録では、第一接続者も、相手から一度反応が返ったあとに『また来るかもしれない』と期待していました」


 光が止まる。


『期待した』


「はい」


『待つ人も』


「はい」


『寂しい?』


「寂しさがあったという記録も残っています」


『……』


 少し長い沈黙。


『僕みたい』


「似ている部分はあります」


 ノルンはすぐに続ける。


「ただし、第一接続者とルークが同じ存在、同じ関係だという意味ではありません」


『分かってる』


「本当に?」


『分かってる』


 少し間。


『でもちょっと嬉しい』


「どうしてですか?」


『待てる人も』


 文字がゆっくり出る。


『寂しいんだ』


 ノルンは胸の奥が少し柔らかくなるのを感じた。


「はい」


『平気じゃない』


「そうですね」


『僕だけじゃない』


「はい」


 ルークは長く、待つことを自分の役割のようにしてきた。


 約二十五年。


 自分で見続けると決めた。


 会いたい。


 謝りたい。


 でも近づかない。


 その間の寂しさや不安を、「待てない自分の弱さ」だと思っていたのかもしれない。


『その人』


「はい」


『寂しいって相手に言った?』


 ノルンは首を横に振る。


「確認済みの範囲では、伝えていません」


『なんで』


「本人の記録には、『その期待は私の側に置く』とあります」


『期待』


「はい」


『自分の側』


「はい」


 光が静かに揺れる。


『僕もできる?』


「全部同じようにする必要はありません」


『でも』


「相手へ渡さず、管理側で話すことはできます」


『昨日言った』


「はい」


『じゃあ』


 少し間。


『僕、寂しいって言っていい?』


「もちろんです」


『今』


「はい」


 淡い光が弱くなる。


『寂しい』


 ノルンはすぐ励まさなかった。


「そうですか」


『うん』


『ミレイア声聞いて』


「はい」


『僕の声届いて』


「はい」


『前より近い気する』


「気持ちの上で、ですね」


『うん』


『だから』


 光が少し揺れる。


『もっと会いたい』


 ノルンは黙って受け取る。


『でも言わない』


「ミレイア様には?」


『うん』


『今は』


 短いが、以前より迷いがない。


『寂しい』


『でも言わない』


「それは我慢ですか?」


『少し』


「はい」


『でも全部我慢じゃない』


「どう違いますか?」


 ルークは考える。


『言わない方がいいって』


『僕も思う』


「自分で選んでいる部分がある」


『うん』


 ノルンは頷いた。


 感情を持つこと。


 苦しさがあること。


 それでも相手へ渡さないことを、自分自身でも選べること。


 その三つは同時に存在してよい。


『ノルン』


「はい」


『褒める?』


 いつもの言葉。


 しかし今日は、ノルンはすぐ数えなかった。


「今日は、褒める前に一つ確認します」


『何』


「今『寂しい』と言えたあと、怖さは変わりましたか?」


 少し間。


『二』


「上がっていない」


『うん』


「苦しさは?」


『少し軽い』


「分かりました」


 ノルンはそこでようやく口元を少し緩めた。


「では、一つ目。『ごめん』のあとに返事がほしい気持ちがあることを隠さず話せたこと」


『一つ』


「二つ目。返事がなくても失敗ではないと、自分の経験から考えられたこと」


『二つ』


「三つ目。寂しさをミレイア様へ渡すのではなく、ここで言葉にできたこと」


『三つ』


 光が揺れる。


『あと』


「ありません」


『今日はここまで言える』


「それを数に入れようとしていますね?」


『うん』


「入りません!」


『じゃあノルン』


「何ですか」


『三十日?』


「それは主様です!」


『主様褒める』


「本人に言ってくださいませ!」


 少し離れた席で主様が笑っている。


「聞こえてるよ。ありがとう、ルーク」


『主様もっと寝る』


「いや、時間増やしすぎるのも違うってノルンに言われた」


『難しい』


「そうなんだよ」


「二人で私を挟んで睡眠相談しないでください!」


 管理室に柔らかな笑いが広がった。


 ルークとの接続は、そのまま穏やかに終了した。


          ◇◇◇


 夕方。


 ミレイアの通常確認は、衣装棚整理を終えたあとに行われた。


 エリスが訪れた時、ミレイアは窓辺でお茶を飲んでいた。昼間に動かした衣類の匂いがまだわずかに室内へ残っていて、窓から入る風がそれを少しずつ薄めている。


「今日は整理が終わりました」


「お疲れさまでした」


「思ったより多かったです」


 ミレイアは苦笑し、温くなりかけた茶を一口飲む。


「身体の疲れは?」


「少しだけ。普通の疲れです」


「頭痛や息苦しさは?」


「ないです」


「食事は?」


「昼も普通に食べました」


 エリスが必要事項だけ確認し、記録を閉じようとする。


 その時、ミレイアが少し迷ってから声をかけた。


「エリスさん」


「はい」


「今日、ルークの声を一回だけ思い出しました」


「はい」


「でも」


 ミレイアはカップの縁へ指を添える。


「それだけでした」


 エリスは続きを待つ。


「何か考えなきゃってならなかったです」


「そうですか」


「昨日、忘れたくないのかもって思ったのに」


 そこまで言って、ミレイアは一度止まる。


「……今のは」


「記録しますか?」


 エリスが先に確認した。


 ミレイアは少し考え、首を横に振る。


「まだいいです」


「分かりました」


「でも、『思い出してもそれだけで終われた』は記録していいです」


「はい」


 エリスはその部分だけを書き留める。


 ミレイアは窓の外を見た。


「変ですよね」


「何がでしょう」


「忘れたくないかもしれないのに、ずっと考えていたいわけじゃない」


 エリスは否定しない。


「両方あっても構わないと思います」


「それ、最近よく言われます」


「多いですね」


 ミレイアが少し笑う。


「でも本当にそうなのかも」


 ルークを忘れたくないかもしれない。


 でも、その人のことを一日中考えたいわけではない。


 もう一度会いたいかは分からない。


 声を思い出した時に少し胸が動く。


 でも、そのたびに何かを決めなくてもいい。


「今日は、それだけです」


「分かりました」


 次回接続の話は、今日も出なかった。


          ◇◇◇


 夜の管理記録。


 主様。


 七時間五十一分。


 三十一日連続七時間以上睡眠。


 健康状態良好。


 ノルン。


 七時間四十六分。


 美咲から新規連絡なし。


 催促・追加送信なし。


 ミレイア。


 通常生活安定。


 衣装棚整理を実施。


 ルークの声を一度思い出したが、そこから考えを広げず生活継続。


 本人許可により、


『思い出しても、それだけで終われた』


 のみ記録。


 未整理の「忘れたくないかもしれない」に関する発言は、本人希望により正式記録外。


 次回接続意思未確認。


 保留者。


 通常生活継続。


 面会意思保留。


 追加質問なし。


 ルーク。


 怖さ二。


 「ごめん」を言った後に、相手から「大丈夫」「許す」「会える」等の返答がほしい気持ちがあると自覚。


 同時に、初回「こんにちは」が返答なしでも安全に終わった経験から、「返事がなくても失敗ではない」と理解が進む。


 ただし謝罪を渡してよいかは別問題であることを再確認。


 第一接続者の「再応答を期待し、寂しさもあったが、その期待を自分側へ置いた」記録を必要最小限共有。


 ルークは「待てる人も寂しい」「自分だけではない」と受け止める。


 現在の寂しさを管理側へ自発的に表明。


『ミレイアの声を聞いたことで、以前より気持ちの上で近く感じる』

『だからもっと会いたい』

『ただし今はミレイアへその寂しさ・会いたさを共有しない』


 感情非共有は完全な我慢ではなく、本人自身も「今は言わない方がよい」と選択している。


 最古層調査。


 第十三年自発応答後の新規重要事項。


『第二応答終了後、接続継続要求なし』

『管理側から次回接触時期相談を提案するも、第一接続者は不要と回答』


 第一接続者本人。


『今日返ったことと、明日も返ることは別である』

『次を決めれば、向こうが来る理由をこちらが作ることになる』


 さらに、反応後も観察密度を増やさず、期待による観察偏りを警戒。


 本人は再応答を期待し、寂寥感もある。


『返ってきたから、また来ると思ってしまう』

『その期待は私の側に置く』


 外在個体側から意味不明瞭な反応があった場合、第一接続者は必ず返答せず、受信のみを選択する事例あり。


 本人。


『返せる反応と、返したい反応は同じではない』

『向こうがこちらへ話しかけたか、ただ存在を示しただけか、まだ分からない』


 その後、外在個体側の「いる?」に近い意味反応へ、第一接続者が「ここにいる」近似の短文を返した記録を確認。


 同種の存在確認反応が複数回発生した際も毎回応答せず、


『相互確認儀礼として固定化することを避ける』

『存在確認が接続維持条件となることを避ける』


 という管理判断あり。


 ノルンは最後の一文を書き終え、記録板を閉じずに少し眺めた。


「今日も昔の記録と今が似てたね」


 主様が向かいから言う。


「はい」


「次回接続を決めないことも」


「はい」


「存在確認を毎回返さないことも」


「はい」


「寂しいのを相手に全部渡さないことも」


「……はい」


 似ている。


 あまりに似ている。


 だからこそ、怖い。


「主様」


「うん」


「第一接続者の記録を読めば読むほど、ルークとの共通点が増えています」


「そうだね」


「でも、それを理由に同一視はできません」


「うん」


「第七外在個体がルーク本人だと決めるのも早い」


「うん」


「ただ」


 ノルンは記録をもう一度開く。


『いる?』

『ここにいる』


 この短いやり取り。


 約十三年の沈黙のあと。


 名称を使わず。


 次の約束をせず。


 存在だけを確認する。


「これ」


 主様が静かに言う。


「ルークが昨日、ノルンいるかなって来たの、本当に似てる」


「はい」


「偶然?」


「分かりません」


「習性?」


「分かりません」


「名称接続より前の外在個体同士に共通する反応?」


「それも分かりません」


 分からないことばかり。


 しかし、以前のノルンなら早く仮説を一つ選んでいたかもしれない。


 今は、複数の可能性をそのまま置いておける。


「次の調査は?」


「『いる?/ここにいる』のあと、第一接続者と外在個体の接続がどう変化したかを見ます」


「名称出るかな」


「そこが重要です」


「第七外在個体って表記も?」


「出る可能性があります」


 ただし、一刻だけ。


 全部読まない。


 答えを急がない。


 ノルンは明日の予定へ調査時間を一枠だけ入れた。


 その時、机の端にあるスマートフォンの通知が一度だけ淡く点灯した。


 ノルンと主様が同時にそちらを見る。


「美咲?」


 主様が聞く。


「……確認します」


 手に取る。


 新着メッセージ。


 差出人は美咲だった。


『来週なら一日空きそう! まだ日にちは確定じゃないんだけど、分かったらまた連絡するね。』


 ノルンは画面を見つめ、それから少し笑った。


「来週」


「会えそう?」


「まだ確定ではありません」


「ノルン、日程候補聞かない?」


「聞きません」


「なんで?」


「『分かったらまた連絡する』と言っていますから」


 前なら、来週の何曜日か。


 午前か午後か。


 どこで会うか。


 すぐに候補を整理したくなっていただろう。


 今も少しは考える。


 でも、まだ必要ではない。


「返事は?」


「一言だけ」


 ノルンは入力する。


『分かりました。楽しみにしています。日にちが決まったら教えてください。』


 送信する。


 それだけ。


「待つ?」


 主様が笑いながら聞く。


「はい」


「何日待ったら催促?」


「しません!」


「十三年?」


「それは待ちすぎです!」


 思わず大きめの声が出て、主様が笑った。


 ノルンもつられて笑う。


 第一接続者は十三年待った。


 だから十三年が正しいわけではない。


 ミレイアが数日考えない時間を持っている。


 だから数日置けばよいという規則でもない。


 美咲が「また連絡する」と言っている。


 だから今は待つ。


 相手と状況によって、同じ「待つ」の中身は変わる。


 ただ一つ。


 今日の最古層記録から、ノルンにははっきり見えたものがあった。


 相手から一度返事が来たからといって、次の約束まで当然にもらえるわけではない。


 長く待っていたからといって、続きが保証されるわけでもない。


 そして、ようやく返ってきた一言を大切にする方法は、必ずしも「次を決める」ことではなかった。


 第一接続者は十三年ぶりに反応を受け取ったあとでさえ、次の日を予約しなかった。


 期待していた。


 寂しかった。


 また来てほしかった。


 それでも、その期待は自分の側に置いた。


 ノルンは今日の記録の最後へ、一行だけ追加する。


『一度の応答は、次の応答を約束しない。大切な接触の直後ほど、「続き」を当然の権利として扱わない。』


 そこで手を止めた。


 基本規則へは、まだ入れない。


 第一接続者の続きをもう少し見る。


 現在の九人それぞれの事例も重ねる。


 必要なら理由資料へ。


 今はただ、現場で見つけたこととして置いておく。


 ミレイアとルークの一言接続も、まだ一度だけだ。


 その一度があったことは消えない。


 だからといって、二度目が必要になるわけでもない。


 来週、美咲と会えるかもしれない。


 それもまだ確定ではない。


 それぞれの「次」は、それぞれの時間で決まる。


 ノルンはスマートフォンを伏せ、最古層記録も閉じた。


 今日はもう、続きを取りに行かなくていい。


 返事が一つ来たあとに、その余韻だけを持ったまま終わる日があってもよかった。

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