第百四十二話 索引は、答えではありません
翌朝、管理室の窓には細かな雨粒が残っていた。夜のうちに降った雨はすでに弱まり、外では屋根から落ちる雫が一定ではない間隔で石畳を叩いている。雲の切れ間はまだ見えないものの、東の空だけは少しずつ明るくなっており、室内の照明も昨日より柔らかく感じられた。
ノルンは濡れた外套を入口脇の掛け具へ預けてから自席へ向かい、業務端末を起動した。昨日はミサキと焼き菓子店で過ごした後、帰宅してから仕事用の資料を開かなかったため、頭の中には不思議なほど余白が残っている。
四軒の古書店。
湖の北側。
夕日。
そして、『いつか、じゃなくて』と言ったミサキの声。
思い出すと口元が緩みそうになり、ノルンは視線を端末へ戻した。
(仕事中ですから)
誰に注意されたわけでもないのに、自分の中でそう区切る。
最初に確認したのは、現在追跡中の低強度識別不能反応だった。
三件から変化はない。
新しい通知対象事象も、閾値未満の追加変動も確認されておらず、観測密度を増やす理由も生じていない。発生源、対象、同一源性、意味、意図、音声・言語性、既知分類との関係、特定人物との関係についても、新しい判断材料は増えていなかった。
ノルンは更新欄を確認し、必要な情報だけを開いてから画面を閉じた。
「今日は増えてない?」
主様が朝の飲み物を二つ持って近づいてきた。片方をノルンの机へ置き、自分は向かいの席へ腰を下ろす。
「はい。変更ありません」
「よかった。じゃあ昨日の夜は?」
「何の話ですか?」
「焼き菓子」
ノルンは飲み物へ伸ばしかけた手を止めた。
「おいしかったですよ」
「それだけ?」
「二種類を半分ずつ食べました」
「へえ」
「何ですか、その顔は」
「別に。湖の町の話はした?」
ノルンは数秒黙った。
主様の目が少しだけ楽しそうに細くなる。
「しました」
「行くの?」
「日程はまだ決めていません。ただ……一緒に行こうという話にはなりました」
口にすると、昨夜よりも約束が少し具体的になったように感じた。日付も時間もないのに、以前の『いつか行けたら』とは確かに違う。
主様は何か言いかけたが、ノルンが先に視線を向けると、口元を押さえた。
「何も言ってないよ」
「まだ、ですね」
「でもよかったね」
今度の声にはからかう調子がほとんどなかった。
ノルンは少しだけ視線を落とし、机の上の飲み物を両手で包んだ。温かさが指先へゆっくり移ってくる。
「はい。楽しみです」
それ以上は説明しなかった。
主様も追及せず、自分の席へ戻っていった。
◇
朝の生活記録では、ルークが昨日描き直したリンガの絵を自室へ持ち帰っていた。
鳥類図鑑と果物の本はどちらも借りたままだが、今朝は本を開かず、共有室の窓から庭を見ていたらしい。雨上がりのため外へ出るかどうか職員から尋ねられると、地面が乾いてからでいいと答えている。
『本人、「鳥いたら窓からでも見えるかも」と発言。その後、窓辺へ留まり続けることはなく、朝食後は別の遊びへ移行。』
ノルンはその一文に目を留めた。
鳥が現れるまで待ち続けたわけではない。
見えたら見る。
見えなければ別のことをする。
以前ルーク自身が口にした、『待ってる。でも普通に暮らしてる』という姿勢とも矛盾しないが、だからといって今回の鳥の話を接続の比喩として扱う必要はない。
単に、窓から鳥が見えたらうれしい。
それだけだ。
さらに記録形式にも小さな変更があった。
昨日まで定型的に入っていた、
『過去名・接続・外在反応に関する質問なし』
という一文が消えている。
代わりに、状態変化があった場合のみ関連項目を追加する運用へ変更するという担当側の注記が付いていた。
「直った?」
主様が自席から尋ねる。
「はい。毎日『尋ねなかった』ことを記録する方式ではなくなりました」
「聞いたら書く?」
「必要な状態変化があれば記録します」
「その方が普通だね」
ノルンもそう思った。
何も起きなかった一日を、何かが起きるまでの空白として扱わない。
生活は生活として進んでいる。
◇
ミレイアの記録には、昨日フィルネで購入した灰緑の紐が登場していた。
練習用より一段細い紐を袋へ通す作業を、朝からエリスと一緒に行っている。布が以前ほど強く寄らず、口を絞ったときの形も本人の想像に近かったらしい。
『本人、紐を左右へ数回動かして確認。「こっちにしてよかった」と発言。余った端の長さを調整するため、本日は結び位置のみ仮決定。』
予備として買った分は裁縫用品と一緒に保管されている。
接続状態には変化がない。
ノルンは袋の作業記録と接続管理欄を別々に確認し、そこへ共通する意味を探さなかった。
◇
フローラは自宅で焼き果物を作る際、蜂蜜の量を元へ戻していた。
『本人、「自分で食べるならこっち」と笑う。マリーと次回一緒に食べる場合については「そのとき聞く」と発言。次回外出予定なし。』
相手に合わせることと、自分の好みを消すことは違う。
その程度のことを、フローラ自身が日常の中で自然に扱えている。
アーノルドからの接触はない。
直接連絡も、贈り物も、第三者を介した働きかけも確認されておらず、『今は会わない』というフローラの意思は尊重されたままだった。
◇
午前の通常業務を終えると、ノルンは昨日の調査記録を開いた。
『接続検討資料群』という管理単位が作られ、CLG-7という七番目の資料群が存在したこと。
CLG-7はR-7だけを扱うものではなく、R-3、R-5、R-7その他複数の記録を用いた安全条件検討資料群だったこと。
それにもかかわらず、『第七関連記録』『七番候補』といった省略表現が現れ、実際に一人の職員が『七番目の接続候補』『向こう側の一つの相手候補』と理解していたこと。
制度が外在対象番号を作っていなくても、利用者の認知内で事実上の対象番号が生成され得る。
昨日確認した中では、それが最も重要な進展だった。
次の資料は、
『外在側関連記録・統合索引試行』
である。
「今日は索引?」
主様が椅子を運んでくる。
「はい」
「昨日より危なそうな名前じゃないね」
「題名だけで安全性を判断しないでください」
「もう何を言っても怒られる気がしてきた」
「怒ってはいません」
「そういうところが先生っぽいんだよなあ」
ノルンは反論せず、資料を開いた。
◇
統合索引を作る目的は、単純だった。
番号体系と管理単位が増えすぎたのである。
REF。
SET。
R。
分類補助番号。
発生源モデルS。
安全評価案件。
接続検討案件CON。
接続検討資料群CLG。
同じ反応記録が複数の体系へ含まれることもあり、担当者が過去資料を探すには、それぞれの体系を別々に検索しなければならなかった。
特に古い資料では正式名称が途中で変更されている。
『自己識別特徴』
『発生源識別特徴』
『名称様音列』
『音節様変動群』
『第七系列』
『R-7対象』
『七番関連』
正式名称ではないもの、廃止されたもの、検索互換のためだけに残っているもの、口頭で使われたものが混在していた。
「全部一緒に検索できるようにする?」
「それが目的のようです」
統合索引は、新しい分類を作るための制度ではない。
過去に使われた名称や識別子から、関連する正式記録へ到達するための検索補助だった。
冒頭には、
『索引上の近接配置・相互リンク・同一検索結果への表示は、対象同一性、発生源同一性、主体同一性、個体同一性、意味的関連性を保証しない。』
と明記されている。
「最初からかなり警戒してる」
「これまでの経緯がありますから」
◇
索引は、入力語を四種類へ分けていた。
一つ目は正式識別子。
REF-7、R-7、S1など。
二つ目は旧正式語・廃止語。
三つ目は検索互換用別名。
四つ目は非正式な口頭表現。
問題になったのは、四つ目だった。
口頭表現を索引へ登録しなければ、利用者が古い言葉しか知らない場合に正式資料へ辿り着けない。
しかし登録すれば、その言葉が制度上認められた正式名称のように見える。
試行初期には、
『七番関連』
を検索語として登録するかどうかで意見が分かれていた。
記録保存部門は登録を支持した。
『実際に使用されている以上、検索不能にすると誤った口頭理解だけが残る。正式資料へ誘導できる方がよい。』
一方、教育部門は懸念を示した。
『索引に登録された時点で「七番関連」という管理概念が正式に存在すると理解される可能性がある。』
研究部門は中間案を出していた。
『検索語として登録するが、結果画面の先頭に「非正式表現・意味範囲不定」と表示し、単一対象を指さないことを明記する。』
最終的に、この案が採用された。
◇
試行版で『七番関連』と入力すると、結果画面には最初に注意文が表示された。
『「七番関連」は非正式な検索表現です。単一の外在対象、発生源、主体、個体、接続相手を示す正式識別子ではありません。』
その下に、関連候補として複数の項目が並ぶ。
『参照記録群REF-7』
『長期特徴追跡群R-7』
『特徴比較集合η/旧端末表示SET-7』
『接続検討案件CON-7』
『接続検討資料群CLG-7』
さらに、それぞれの関係が説明されていた。
REF-7とR-7には、番号継承の経緯がある。
R-7とSET-ηには、記録の一部が比較集合へ選択された履歴がある。
CON-7とCLG-7は独立採番であり、数字の一致に対象上の意味はない。
CLG-7は複数のR群その他の資料を含む。
どれも一対一ではない。
「すごく丁寧」
「はい。少なくとも初期試行版は」
「その言い方、後で何かあるやつだ」
「まだ読んでいません」
主様は口を閉じた。
◇
試行参加者二十四人への理解調査では、十九人が、
『同じ「七」に関係する複数の管理資料へ到達するための検索入口』
と正しく理解した。
三人は、
『同一対象に付いた複数管理番号をまとめる索引』
と誤解した。
一人は、
『七番目の外在存在についての総合記録』
と回答。
残る一人は意味不明と回答している。
誤解した四人への聞き取りでは、注意文を読んでいない者が二人いた。
一人は読んだものの、
『わざわざ同じ検索結果に出るなら、何か同じものなのだと思った』
と説明。
『七番目の外在存在』と回答した一人は、
『七番関連という言葉自体を以前から聞いていたため、注意文は「まだ正式認定されていない」という意味だと思った』
と話していた。
ノルンはそこで画面を止めた。
「否定文を読んでも、前の理解を残したんだ」
主様が言った。
「はい。『単一対象ではない』ではなく、『単一対象としてまだ正式認定されていない』と読み替えています」
「同じ文章なのに」
「先に持っている理解が強いと、注意文の意味までそちらへ合わせてしまうのでしょう」
これは現在の表示試験とも無関係ではない。
情報を置けば必ず正しく届くわけではない。
ただし、ノルンは現在の三件の識別不能反応と歴史資料を直接結びつけるつもりはなかった。
共通するのは、情報表示の難しさだけである。
◇
統合索引の第二試行では、結果の並べ方が変更された。
最初の版では、五つの『7』関連項目が縦に並んでいた。
それを、
『参照記録』
『特徴比較』
『長期追跡』
『接続検討案件』
『接続検討資料』
という管理目的別の区画へ分離し、各項目の間に直接の包含関係がある場合だけ個別リンクを置く。
さらに画面上部には、
『同じ検索結果に表示されることは、同一対象を意味しません。』
と短く表示する。
理解調査では誤認率が下がった。
しかし、別の問題が出た。
目的別に分離した結果、利用者が、
『一つの対象を、参照・比較・追跡・接続の各段階で別管理している』
と理解する例が残ったのである。
「昨日の一本の流れと同じだ」
「似ていますね」
「分けても、一人が部署を移動してるみたいに見える?」
「はい。分類軸を並べるだけでも、利用者が共通の主語を補ってしまう場合があります」
索引作成者たちは、そこからさらに表示を変えている。
見出しの前に、
『検索語との関係』
を表示する方式だった。
『REF-7――検索語と番号表記が一致』
『R-7――REF-7由来の番号継承履歴あり』
『SET-η/SET-7――旧端末上の数値別名が検索語と一致』
『CON-7――番号一致のみ。対象関係なし』
『CLG-7――番号一致のみ。複数資料群を含む』
これによって、同じ検索結果に現れる理由そのものを見せた。
「これなら分かりやすい」
「かなり改善していますね」
◇
ところが、統合索引の運用開始から約一年後の追補には、別の問題が記録されていた。
利用者が正式識別子を知らず、
『七番』
『第七』
『七の相手』
『第七候補』
といった曖昧な語だけを入力する例が増えていた。
索引は検索不能にするのではなく、注意文付きで関連候補を返していた。
その結果、利用者にとっては、
『第七』
と入力すればREF-7、R-7、SET-7、CLG-7などへ辿り着ける状態になった。
検索機能としては成功している。
しかし、その成功が別の問題を生んだ。
『曖昧語「第七」から安定して同一周辺資料へ到達できることにより、利用者が「第七」を正式な統合識別子として学習する可能性がある。』
ノルンはゆっくり息を吐いた。
「検索できるから、名前みたいになる」
「はい」
主様も画面を見つめていた。
「正式じゃなくても、『第七』って入れたら欲しい資料が出る。だったらみんな第七って呼ぶようになるよね」
「その可能性があります」
制度は『第七』という対象番号を作っていない。
だが索引が、『第七』という曖昧語から同じ周辺資料へ案内してくれる。
利用者にとっては、それで仕事ができてしまう。
概念を正確に理解していなくても、正しい資料へ到達できる。
以前確認した、誤った概念でも正しい記録を取り出せてしまう『隠れた誤解』と同じ構造が、さらに大きな形で現れていた。
◇
追補調査では、実際に十六人へ、
『「第七」という語を業務で使用するか』
と尋ねていた。
九人は使用しない。
四人は検索時だけ使う。
二人は口頭でも使う。
一人は、
『第七外在対象』
という表現を使うことがあると回答した。
ノルンの視線が止まった。
主様も何も言わない。
その職員への聞き取り記録を開く。
『質問:第七外在対象とは何を指しますか。』
『回答:R-7を中心に、REF-7や接続検討側で関連している外在側の対象。』
『質問:単一発生源・単一主体・単一個体が確認されていると理解していますか。』
『回答:そこまでは確認されていないと思う。ただ、同じものとして追っているから対象と呼んでいる。』
『質問:R-7、REF-7、CLG-7は同一範囲ではありません。』
『回答:それは知っている。でも中心にあるものは同じだと思っていた。』
ノルンはしばらく黙った。
この職員は、完全に制度を知らないわけではない。
範囲が違うことも知っている。
単一個体が確認されていないことも知っている。
それでも、
『中心にあるものは同じ』
と考えている。
「これ……前より強いね」
主様が慎重に言った。
「はい。少なくとも認知上の統合は進んでいます」
「『第七外在対象』って言葉も出た」
「ただし、一人の職員による非正式表現です」
「正式名称じゃない。広がってるかも分からない」
「はい」
ノルンはそこで線を引いた。
重要な進展ではある。
だが、『第七外在個体』にはまだ届いていない。
◇
索引管理側は、この回答を問題視していた。
特に、
『同じものとして追っている』
という理解に対し、
『同じものと確認したため追っているのではなく、関係可能性を比較するため追っている。』
と訂正している。
さらに、
『複数資料の中心に共通対象が実在するという前提を置かない。』
という注意文が統合索引へ追加された。
だが同時に、管理側は検索語『第七』を削除しなかった。
理由は、
『削除した場合、既に曖昧語を使用している利用者が正式資料へ到達できず、口頭理解のみが残る危険が高い。』
だった。
「消せないんだ」
「はい。残す危険と、消す危険の両方があります」
「検索できると名前みたいになる。でも検索できないと間違ったままになる」
「その通りです」
対策として、『第七』を入力した場合は検索結果を直接表示せず、最初に選択画面を出す方式が試された。
『参照記録REF-7を探していますか』
『長期特徴追跡群R-7を探していますか』
『特徴比較集合SET-η/旧SET-7を探していますか』
『接続検討資料群CLG-7を探していますか』
『その他/不明』
利用者に、自分が何を探しているのか一度選ばせる。
これによって『第七』を統合識別子として使う回数は減った。
しかし、『その他/不明』を選ぶ利用者の自由記述には、
『第七の外在側そのものについて見たい』
『七番の相手に関する全記録』
『第七対象の全体像』
といった表現が残った。
◇
「もう制度が止めても、人の中ではでき始めてる」
主様の声は静かだった。
「そう見えます。ただ、どの程度共有されていたかはまだ分かりません」
「でも一人だけじゃなくなった?」
「表現としては複数例が確認できています」
ノルンは件数を確認した。
自由記述で対象化表現を使ったのは、試験参加者三十一人中四人。
四人全員が同じ意味で使っていたわけではない。
一人は単に『関連資料全部』の意味。
一人は『将来接続できるかもしれない何か』。
一人は『同じ発生源かもしれない反応群』。
残る一人は『外在側の一つの相手』と明確に理解していた。
同じ言葉でも、中身は揃っていない。
「四人が同じ第七を信じてたわけじゃないんだ」
「はい。ここは重要です」
表面上同じ言葉が使われていても、意味が一致しているとは限らない。
後から文書だけを並べれば、一つの概念が組織全体へ広がったように見える。
しかし実際には、それぞれが違う曖昧さを抱えたまま同じ語を使っていた可能性がある。
◇
追補の最後には、統合索引の方針がまとめられていた。
『曖昧検索語は、正式概念への昇格ではなく、誤理解から正式資料へ戻るための入口としてのみ維持する。』
『検索語の存在を、制度上の識別子存在とみなさない。』
『検索頻度を、対象存在・利用者信念・研究上の確度の指標としない。』
『「第七」「七番関連」「第七候補」「第七外在対象」等は、正式対象識別子として採用しない。』
最後の一文を見て、ノルンは少し目を細めた。
「『第七外在対象』まで禁止側に入った」
「はい」
「ってことは、この言葉がある程度は使われたってこと?」
「少なくとも管理側が対策対象として挙げる程度には確認されたのでしょう。ただし、使用頻度や共有範囲はこの一文だけでは分かりません」
主様は頷いた。
「まだ『個体』じゃない」
「そうですね」
◇
文書を閉じる前に、ノルンは関連資料欄を確認した。
昨日から残っている、
『長期接続可能性評価における対象単位再検討』
のほか、新たに、
『外在側識別呼称・教育利用可否』
『統合索引語から正式管理語への昇格基準』
『長期追跡対象における主体・個体評価再検討』
という三件が追加されていた。
主様が題名を順番に読む。
「識別呼称。正式管理語への昇格。主体・個体評価……」
「かなり近いところまで来ているようには見えます」
「でも順番に読む?」
「はい。作成時期を確認します」
最も早いのは、
『長期接続可能性評価における対象単位再検討』
だった。
次に『外在側識別呼称・教育利用可否』。
その後に『統合索引語から正式管理語への昇格基準』。
最後が『長期追跡対象における主体・個体評価再検討』。
「じゃあ次は対象単位」
「その予定です」
◇
昼過ぎ、セレナから短い連絡が届いた。
『案内文、邪魔にならないかの試験、来週やれそう。今のところ対象六人。』
ノルンは予定を確認し、
『了解です。変更なし項目への戻り導線と、変更あり表示の視認性が互いに邪魔しないかも確認できると助かります』
と返信した。
少しして、
『見る。あと、文章長すぎないようにする』
と返ってくる。
ノルンはそこで、今朝の統合索引を思い出した。
注意文を長くしても、読まれなければ意味がない。
短くしすぎれば、誤解を防ぐ情報が落ちる。
ただ、歴史上の失敗をそのまま現在へ当てはめるつもりはない。現在の表示試験には現在の利用者と目的がある。
『お願いします』
それだけ返した。
◇
午後の後半、ミレイアの袋が完成したという記録が届いた。
灰緑の紐を通し、端の長さを揃え、最後に結び位置を決めた。縫い目の一部には本人が気にしているわずかな歪みがあるものの、エリスが直すか尋ねると、
『これくらいなら、このままでいい』
と答えたらしい。
『本人、完成後に袋を机へ置き、少し離れて確認。その後、自分で裁縫道具を入れて口を絞る。「ちゃんと袋になった」と笑う。』
ノルンはその記録をゆっくり読んだ。
最初に淡い緑の布を選び、型を取り、切り、両側を縫い、紐を通す場所を作り、練習用の紐で試した。
店へ行って最終的な紐を選び、今日ようやく完成した。
長くかかった。
けれど、急ぐ理由はなかった。
ミレイア自身が使う袋なのだから、本人が自分の速度で作ればいい。
接続状態は変わっていない。
袋の完成をきっかけに尋ねる必要もない。
ノルンは完成記録だけを保存した。
◇
夕方、歴史調査の管理記録をまとめる。
『「外在側関連記録・統合索引試行」を確認。REF、SET、R、発生源モデルS、安全評価案件、CON、CLG、旧語、検索別名、非正式口頭表現等の増加により、過去資料への到達性確保を目的として統合索引を試行。新分類・対象認定制度ではなく検索補助。』
『索引上の近接配置、相互リンク、同一検索結果への表示は、対象・発生源・主体・個体・意味の同一性を保証しないと明記。』
『非正式表現「七番関連」を検索語として登録。ただし「非正式表現・意味範囲不定」「単一外在対象等を示す正式識別子ではない」と警告。検索結果にはREF-7、R-7、SET-η/旧SET-7、CON-7、CLG-7等が表示され、それぞれ表示理由を明示。』
『初期試行では、一部利用者が「同一対象に付いた複数管理番号」「七番目の外在存在」と誤解。警告文を「まだ正式認定されていないだけ」と読み替えた例も確認。』
『表示改善として管理目的別分離を行うが、「一つの対象を各段階で別管理している」とする別の誤読が発生。最終的に、検索結果へ出る理由そのものを表示する方式へ変更。』
『運用約一年後、「第七」「七の相手」「第七候補」等の曖昧検索語から安定して同一周辺資料へ到達できることで、「第七」が事実上の統合識別子として学習される危険を確認。』
『聞き取りで一名が非正式表現「第七外在対象」を使用。R-7、REF-7等の範囲差・単一個体未確認を知りつつ、「中心にあるものは同じ」と理解していた。管理側は「同じものと確認したため追っているのではなく、関係可能性を比較するため追っている」と訂正。』
『対象化表現は複数利用者で確認されたが、意味は一致していない。「関連資料全部」「将来接続可能性のある何か」「同じ発生源かもしれない反応群」「外在側の一つの相手」等が混在。単一概念が共有された証拠とはしない。』
『曖昧検索語は削除せず、誤理解から正式資料へ戻る入口として維持。ただし「第七」「七番関連」「第七候補」「第七外在対象」は正式対象識別子として不採用。検索語存在・検索頻度を対象存在、利用者信念、研究確度の指標としない。』
『現時点で「第七外在個体」の正式成立なし。ただし、REF/SET/R/CON/CLG等の複数体系にまたがる「7」が、口頭省略・検索成功・索引近接を通じて「第七」という統合的な認知ラベルへ近づく過程を確認。後世の正式/半正式呼称との継承経路は未確認。』
『次の作成順資料:「長期接続可能性評価における対象単位再検討」。後続に「外在側識別呼称・教育利用可否」「統合索引語から正式管理語への昇格基準」「長期追跡対象における主体・個体評価再検討」。』
ノルンは最後まで読み返してから保存した。
今日も答えは出ていない。
だが、形は少し見えてきた。
◇
業務を終えた頃には、朝の雨は完全に上がっていた。
管理室を出る前に私用端末を確認すると、ミサキから一件だけメッセージが届いている。
『昨日の焼き菓子、家に帰ってからもう一個食べたくなった』
ノルンは思わず笑った。
『私もです。二種類を半分ずつでは足りなかったかもしれません』
送ると、少しして返信が来る。
『じゃあ次は一人一個ずつにしよう』
ノルンの指が止まった。
『次は』
その言葉が、昨日の湖の町の約束とは別に、また会うことを当然のように含んでいる気がした。
けれど、ここで意味を大きくする必要はない。
『そうしましょう』
と返す。
ミサキからは、
『決まり』
という返事が届いた。
日付は決まっていない。
店も同じ場所とは限らない。
それでも『次』が一つ増えた。
◇
帰り道、雨上がりの街には湿った石と土の匂いが残っていた。雲の切れ間から夕方の薄い光が差し、屋根や窓枠に残った水滴を淡く光らせている。
ノルンは歩きながら、今日読んだ索引について考えた。
索引は答えを作るものではない。
本来は、答えを探すために資料へ辿り着く道具である。
だが、同じ言葉を入れるたびに同じ周辺資料が出てくれば、その言葉自体が何かを指しているように感じられる。
『第七』と入力する。
REF-7が出る。
R-7が出る。
SET-7が出る。
CLG-7が出る。
それを何度も繰り返せば、『第七』という何かが存在し、それに複数の記録が紐づいているように見えても不思議ではない。
しかし、検索結果がまとまることと、世界の向こう側に一つの存在がいることは別である。
索引の近さは、存在の近さではない。
検索できる名前は、確認された名前ではない。
それでも、人が仕事をする中では、便利な言葉ほど残りやすい。
(次は、なぜもう一度『対象単位』を考えようとしたのかですね)
二度却下された統一対象番号。
それでも管理上の必要性は消えなかった。
その後、『第七』という曖昧な認知ラベルまで生まれ始めた。
次の資料が、誤解を抑えるために対象単位を再検討したのか。
それとも、新しい証拠が現れたのか。
まだ分からない。
ノルンはそこで考えるのをやめた。
明日、資料を読めばいい。
今夜は今夜で、別のことがある。
ミサキとまた焼き菓子を食べる『次』ができた。
湖の町へ一緒に行く約束も、まだ日付はないまま残っている。
どちらも急いで予定表へ押し込む必要はない。
分からないものは分からないまま扱い、決まっていないものは決まっていないまま残す。
けれど、楽しみにしている気持ちまで未確定にする必要はなかった。
ノルンは濡れた石畳を避けながら歩き、昨日より少しだけ軽い足取りで家路を進んでいった。




