第31話 天才研究者、偽物にブチ切れる
王立魔導院の地下解析室は、今日に限って妙に空気が悪かった。
いや、正確には、空気そのものではなく、そこにいる人間の機嫌が悪いのだ。
「……うわ」
新堂ユウトは、部屋へ入った瞬間にそう思った。
石造りの広い室内。
壁際には測定器と記録板。
中央の長机には、王都各所で押収された偽物整流具がずらりと並べられている。
木製の棒。
黒布巻きの棒。
妙に高級そうな短棒。
香袋、組み紐、夜整え布、祈祷具もどき。
見れば見るほど、どれもこれも嫌な方向へ完成度が上がっていた。
そして、その机の向こうに立つミリス・アークライトの顔が、ひどく冷えている。
「顔が怖いな」
ユウトが率直に言うと、黒髪の天才研究者は眼鏡越しにこちらを見た。
「怖いわよ」
「そこ認めるんだ」
「認める。むしろ抑えてる方」
怖い。
今日は、騎士団のレティシア、神殿のフィアナ、そして学院側からセリーナまで来ていた。
四人ともこの解析結果を聞くために集められたらしいが、部屋に入った時点で、全員が「ミリスがかなり怒っている」と察した空気になっていた。
セリーナが腕を組み、机の上の押収品を見ながら言う。
「そこまでですか」
「そこまでよ」
ミリスの返事は短い。
フィアナはおずおずと尋ねた。
「何が、そんなに……」
ミリスは、押収された偽物のひとつをつまみ上げた。
手に乗るくらいの細い棒だ。黒い木材に薄い銀線が巻かれ、いかにも“それっぽく”見せる小細工がされている。
「まず、これ。見た目だけならただの粗悪な模造品に見えるでしょ」
「うん」
「でも中身は違う」
彼女は棒を測定器の上へ置いた。
淡い光の線が棒の内部を走り、記録板にゆがんだ波形が浮かぶ。
「熱感を起こす低級石が仕込まれてる。ほんの少しだけ温かく感じる」
「うわ」
「しかも、表面の銀線には微弱な魔力刺激が流れるよう細工がある。刺すような強さではない。あくまで“何か感じた気がする”程度」
レティシアが眉をひそめる。
「つまり、使用者に錯覚を起こさせる?」
「ええ。熱があって、軽くびりっと来て、香りがついてたら、人は“効いてるのかも”って思いやすい」
フィアナが顔を曇らせた。
「それで、神殿の人たちも……」
「そういうこと」
ミリスは今度は別の袋入り商品を持ち上げる。
薄紫の布で包まれた、小さな香袋だった。
札には《静夜香》と上品な字で書かれている。
「これは?」
ユウトが聞くと、ミリスは鼻で笑った。
「ただの安眠香じゃない」
「昨日も聞いたな、それ」
「今回はもっと悪質」
彼女は香袋を少し開き、机上の結晶へ近づけた。
すると結晶の色がわずかに濁る。
「睡眠導入用の香りに、軽い弛緩作用のある魔草成分を混ぜてる」
「合法なのかそれ」
「ギリギリ。だから腹立つのよ」
そこだった。
ミリスの声に、はっきり怒りが乗ったのは。
「全部がそう」
彼女は机の上を指で叩く。
「完全な呪具じゃない。完全な医療具でもない。完全な偽物とも言い切れないように、ぎりぎりの線ばかり攻めてる」
「だから流通できてるんだな……」
ユウトが言うと、ミリスは頷いた。
「そう。露骨に危険なら、騎士団も神殿も市場もすぐ止める。でもこいつらは、“なんとなく効きそうで”“実際ちょっと何か感じて”“でも強い害もすぐには出ない”ところを狙ってる」
セリーナが低く言った。
「若者が飛びつく理由もそこですか」
「ええ。特に学院生なんて、“禁止されてる”“隠されてる”“ちょっと実感がある”の三つが揃えば弱いでしょ」
「否定しづらいですね」
さすがに風紀委員長もそこは認めるらしい。
レティシアが机上の別の一本を見下ろす。
「では、西区画で見つかった魔導加工入りの疑似品も同系統ですか」
「もっと悪い」
ミリスは即答した。
「これは“本物に近い感覚”を再現しようとしてる」
「本物に近い感覚……?」
ユウトが顔をしかめると、ミリスはあからさまに不機嫌そうになった。
「だからこそ腹が立つの」
「そこなんだな」
「そこよ」
彼女は、押収品をもう一本取り上げる。
磨かれた黒木の芯。
先端に柔らかい布巻き。
見た目の時点でだいぶ嫌だった。
「こいつは内部に薄い振動石が入ってる。ほんの微細な揺れしか出ない。でも、“手元がわずかに震える感覚”だけはある」
「うわ」
「しかも香りつき。さらに、使う前に読むよう妙な紙片が添えられてる」
フィアナが、その紙片の文を見て眉をひそめた。
「……“静けさの中で”“順を守って”“恥じぬこと”」
「最悪だろ」
ユウトが呻くと、ミリスは本気で机を叩いた。
「最悪よ!」
部屋がしんとする。
ミリスは珍しく、少し息を荒くしていた。
「なんなのよ、これ」
その声には、研究者としての怒りがはっきり混じっていた。
「雑なの。全部、雑」
彼女は押収品の群れを睨みつける。
「本物が何に反応してるかも分からないくせに、熱だの振動だの香りだので“近い感じ”を作って、分かった気にさせる」
「……うん」
「しかも、人間の期待や思い込みまで利用してる。効くかも、って思った瞬間に、余計にそう感じるよう仕組まれてる」
「そこまで分かるんだな」
「分かるわよ。こっちは本物の反応を見てきてるんだから」
その言い方には、妙な所有感すらあった。
ユウトは少しだけ引きながらも、たしかにそれはそうかと思う。
ミリスは、ユウトの兵装に関して、最初からずっと見てきた人間だ。
結界を崩した時も、呪詛をほどいた時も、換装の違いが見えた時も、四天王の装甲が割れた時も、地下魔力炉を止めた時も。
それを見てきた人間からすれば、今机の上に並ぶ偽物は、たしかに腹立たしいのだろう。
「似てもいないのに、似てる顔をしてるのが一番腹立つの」
ミリスが低く言った。
「……天才研究者が、そこまで怒るんだな」
「怒るわよ」
そこで彼女は初めて、ユウトの方を見た。
「あなたも腹立たないの?」
真っ直ぐな問いだった。
ユウトは少しだけ黙る。
腹は立つ。
立つに決まっている。
ただ、自分の怒りはもっとぐちゃぐちゃしていた。
恥ずかしい。
嫌だ。
誤解されたくない。
勝手に期待されるのも嫌。
そこへさらに、偽物が“それっぽい”顔をして流れている。
「……腹立つよ」
結局、正直にそう言った。
「しかも、あれだろ。偽物のせいで、ますます本物まで変な目で見られるんだろ」
「そう」
「じゃあ腹立つ」
ミリスは、その答えに少しだけ満足したようだった。
◇
解析はさらに続いた。
押収品は、系統ごとに大きく四つに分けられた。
一つ目は、ただの見た目模造。
これは最初期からある、形だけ似せた粗悪品。
二つ目は、香り・熱・微弱刺激を混ぜた疑似体感型。
いま市場で最も多い。
三つ目は、祈祷文や怪文書とセットになった誘導型。
使う前に「こう感じる」「こういう順番が大事」と読み込ませ、心理まで利用する。
そして四つ目。
これがいちばん厄介だった。
「魔力同調型、仮称ね」
ミリスが言う。
「本物の“整流っぽさ”だけを、雑に再現しようとしてる」
「整流っぽさってなんだよ」
「言葉のままよ。表層魔力流にだけ干渉して、“なんとなく通った気がする”を作る」
ユウトはげんなりした。
「もうほんとに嫌な方向だけ精度が高いな」
「でしょ」
セリーナが押収した怪文書と照らし合わせる。
「つまり、怪文書の“正しい使い方”は、偽物の体感を強めるための誘導でもある」
「ええ」
ミリスが頷く。
「肩、首、背の順に、って書いてあるのも、実際には意味があるんじゃなくて、“順を守ったから効いた気がする”に繋げるため」
フィアナが、小さく呟いた。
「善意とか信仰心とか、そういうものまで全部利用されてる……」
その声は、かなり痛々しかった。
神殿事故のあとだからこそ、なおさらだろう。
助けたい気持ちも、祈りも、信じたい心も、全部が偽物の燃料にされている。
レティシアが静かに言う。
「つまり、これらは単に売りさばいているのではなく、“本物に近いと信じ込ませる”ところまで含めて設計されている」
「そういうこと」
ミリスは淡々と答える。
「だから腹立つのよ」
そこで、ユウトは少しだけ笑いそうになった。
もちろん状況は笑えない。
だが、ミリスがここまで分かりやすく怒っているのは珍しくて、なんというか、人間っぽかった。
「……そこまで怒ってると、逆にちょっと安心するな」
「は?」
「いや、なんか。君が本気で“これは違う”って言ってくれると、ちょっと救われる」
ミリスは一瞬だけ言葉を失った。
それから、つんと顔をそらす。
「意味が分からない」
「こっちは分かってるからいいんだよ」
レティシアが、ほんのわずかに口元を和らげた。
セリーナもまた、小さく頷く。
「学院側としても助かります」
「セリーナまで」
「はい。これが“ただの流行り物”ではなく、“意図された偽装”だと、よりはっきりしましたから」
つまり、学院も神殿も騎士団も、次に動くための根拠が一段強くなったのだ。
◇
だが、解析結果はそれだけでは終わらなかった。
「これも見て」
ミリスが最後に取り出したのは、ずいぶん小さな箱だった。
中には、見覚えのある黒紙が数枚入っている。
「怪文書?」
ユウトが聞くと、ミリスは首を振った。
「怪文書の“元”になったもの」
「元?」
「印刷前の下書きに近い。言い回しの差し替え案が複数あるの」
セリーナが身を乗り出した。
「見せてください」
箱の中の紙を広げると、そこには似たような文言がいくつも並んでいた。
《風紀が禁じるほど、真実は近い》
《神殿が言葉を濁すのは、正しい作法があるから》
《王宮だけが知る本来の恩恵》
《独占される整い》
「……ひどいな」
ユウトが言うと、セリーナの目が冷たくなる。
「ええ。学院、神殿、王宮、それぞれに刺さるよう調整されている」
レティシアが静かに机を見下ろす。
「つまり、誰かがこちらの組織ごとの弱点を理解している」
「はい」
ミリスが答える。
「しかもかなり丁寧に」
フィアナがぽつりと言った。
「これ、神殿のこともよく分かってる人の言葉です」
「学院もです」
セリーナも続く。
「“禁じるほど真実っぽく見える”という若者の心理まで使ってる」
「王宮についてもそうだな」
レティシアの声は低い。
「“独占している”と読ませれば、庶民感情を煽れる」
部屋が、しんと静まり返る。
もう、ただの偽物騒動ではなかった。
ただの商売でもない。
王都そのものに、小さな不信と欲と羞恥を流し込む工作だ。
「……最悪だな」
ユウトが呟く。
その声に、誰も否定を返さない。
◇
しばらくして、騎士団から呼ばれていた王宮文官が部屋へ入ってきた。
「失礼します。王女殿下へ要点をまとめる必要がありますので、結論を」
ミリスは即座に答える。
「偽物は複数系統あり。市場の粗悪品だけではなく、心理誘導型、微弱魔導加工型まで確認」
「うん」
「意図して“本物に近いと誤認させる”設計がされている」
「うん」
「そして、怪文書は学院、神殿、王宮に対して別々に刺さる文言が調整されている」
文官がひとつずつ書き留めていく。
「つまり」
レティシアが補足する。
「流通を止めるだけでは足りません。発信源そのものを断つ必要があります」
「ええ」
セリーナも頷く。
「学院側も、これ以上“禁止物の回収”だけで対処する段階ではありません」
フィアナは少し迷ったあと、でもはっきり言った。
「神殿でも、正式な声明を出した方がいいと思います。“正しい作法”なんて存在しないって」
その成長したような言葉に、ユウトは少しだけ驚いた。
昨日までなら、“でも少しでも助けになるなら”が先に来たはずだ。
いまは違う。偽物の怖さを、自分の言葉で言おうとしている。
「……いいと思う」
ユウトが言うと、フィアナは少しだけ目を丸くした。
「はい」
「その方がいい」
レティシアも静かに付け加える。
「次は、組織ごとの対応を並行して進めるべきでしょう」
文官が紙を閉じる。
「では、王女殿下へその方針で上げます」
「次は大きく動くな」
ユウトが言うと、ミリスが肩をすくめた。
「ええ。もう個別対応では間に合わない」
「ってことは」
「王都全体での偽物一掃作戦ね」
その言葉に、部屋の空気がまた少し重くなる。
大きな動きだ。
王都全体を巻き込む。
そしてそうなれば、自分もまた前に出ることになる。
「……また俺か」
半分諦めでそう言うと、レティシアが即答した。
「はい」
「だよなあ」
でも、もう少しだけ、逃げたいとは思わなかった。
ここまでされて、偽物に好き勝手されて、王都で変な顔をされて、それでも黙っているのはさすがに違う。
「……次は、ちゃんと潰そう」
ユウトが小さく言う。
ミリスは少しだけ笑ったような気がした。
「その方が話が早いわ」
セリーナも、珍しくやわらかく頷く。
「ええ。学院としても、その言葉は歓迎します」
フィアナも胸の前で手を握った。
「神殿も、ちゃんと止めます」
その時、部屋の外の回廊で、何かがひらりと落ちる音がした。
全員がそちらを見る。
レティシアがすぐに扉を開ける。
廊下には誰もいない。
ただ、白い紙片が一枚、床に落ちていた。
「……またか」
ユウトの声が低くなる。
レティシアがそれを拾い上げ、机へ持ってくる。
紙には、短い文言がたった一行。
《偽物を禁ずる者ほど、本物の恩恵を独占している》
「来たな」
ユウトが言うと、ミリスが冷たく答えた。
「ええ。次の段階」
セリーナが紙を見つめる。
「“隠している”から、“独占している”へ」
フィアナの顔が曇る。
「もっと悪いです……」
「そうだな」
ユウトはゆっくり息を吐く。
黒幕は、こちらの動きをちゃんと見ている。
学院が取り締まる。
神殿が慎重になる。
王宮が管理する。
その全部を、“独占”という言葉にすり替えてきた。
「ほんと、性格悪いな」
ぼそりと呟く。
だがその瞬間、むしろ怒りの方が勝った。
恥ずかしい。
嫌だ。
でも、それ以上に、ここまで人の善意や秩序をぐちゃぐちゃにされるのは腹が立つ。
「……もういい」
ユウトは立ち上がった。
「次の作戦、俺も最初から入る」
部屋の全員が、一瞬だけこちらを見る。
「えらく前向きね」
ミリスが言う。
「偽物にここまで好き勝手されてるの、普通に腹立つ」
「それが一番強い動機かもしれませんね」
レティシアの声は静かだったが、少しだけやわらかかった。




