第29話 商会令嬢、本気で売りに来る
王都の朝は、容赦がなかった。
新堂ユウトは、騎士団本部の客室で窓を開けた瞬間、思わずそのまま閉めたくなった。
聞こえてきたのが、あまりにも嫌な売り声だったからだ。
「淑女の夜整え布、新作入荷です!」
「肩と首にやさしい整流香!」
「上流でも話題の安眠組み紐!」
「もうだめだこの街」
心の底からそう言って、ユウトは窓枠に額をつけた。
昨日の会議で分かったのは、王都を流れる噂が、ただの悪ノリではなく、誰かが意図して育てているということだった。
学院向けには“風紀委員が隠している”と煽り、神殿向けには“正しい祈りの前に整えよ”と匂わせ、市場向けには“上流で話題”と飾る。
その全方向工作だけでも最悪なのに、今朝の売り声は、また別の地獄を告げていた。
合法商品化である。
「……ベルナデッタだろうな、これ」
名前を出した瞬間、扉が叩かれた。
「シンドウ殿、起きていますか」
「起きてるよ」
入ってきたレティシアは、今日は軽装の騎士服ではなく、ややよそ行きの制服だった。銀青の上着に白手袋、剣帯もきっちり整っている。つまり、外へ出る予定がもう決まっている顔だった。
「その格好、嫌な予感しかしないな」
「はい」
「はい、なんだ」
「本日は、フロウ商会からの正式な招待があります」
「来たああ……!」
ユウトは両手で顔を覆った。
「絶対それだと思った!」
レティシアは同情するような、しないような、絶妙な顔で言う。
「断ることも検討しました」
「おっ」
「ですが、王宮から“行った方がよい”との判断です」
「おっ……だめだった」
それもそうだろう。
ベルナデッタ・フロウは、ただの困った令嬢ではない。王都の大商会の娘で、商流と空気を読んで合法の隙間へ入り込む危険人物だ。
いま市場で起きている変化が彼女の仕業かどうか、それを見極める意味でも、王宮は話を聞かせたがるはずだった。
「ミリス殿も同行します」
「なんで?」
「技術的な線引きをさせるためです」
「燃料の間違いじゃなくて?」
「否定はしません」
素直でよろしい。
◇
王都中央、フロウ商会本館。
先日来た時も思ったが、やはりこの建物は“儲かっている人間の匂い”がする。派手すぎず、しかし隅々まで金がかかっている。趣味のいい絨毯、磨かれた床、香りの柔らかい空気。上流の安心感そのものを売っているのだろう。
「入りたくない」
商館前でユウトが言うと、ミリスが横で肩をすくめた。
「いまさら」
「いまさらでも嫌なものは嫌なんだよ」
「今日はたぶん、もっと嫌なものを見るわよ」
「やめろよ」
応接間へ通されると、ベルナデッタ・フロウはすでに立っていた。
赤茶色の巻き髪。華やかながら上品なドレス。今日も今日とて、商売の匂いを嗅ぎつけた目をしている。
「ようこそいらっしゃいましたわ」
「来てしまったよ」
「ええ。来ていただけると思っておりました」
「その自信やめてくれる?」
「だって、お断りになれば、もっと面倒になりますもの」
「商人って、ほんとにそういうこと言うんだな」
ベルナデッタはにこやかに一礼すると、背後の侍女へ合図した。
すると、隣室との仕切りがゆっくり開く。
「……うわ」
ユウトの顔が引きつった。
そこに並んでいたのは、いかにも“高級商品”と分かる品々だった。
やわらかな布で作られた肩当て。
香り袋。
細い銀糸を織り込んだ寝台布。
小さな手持ちサイズの香油瓶。
高級箱入りの組み紐。
そして、妙に上品な説明札。
《夜整え布》
《安寧香》
《軽快紐》
《静想寝具》
「なんで形にしてるんだよ!?」
ベルナデッタは胸を張った。
「合法だからですわ」
「その一言で済ませるな!」
レティシアが一歩前へ出る。
「フロウ嬢。これは兵装の模造ではありませんね」
「ええ、もちろん」
ベルナデッタは扇を開き、上機嫌に微笑む。
「わたくし、前回申し上げましたでしょう? 本物の流通がだめなら、“本物の思想に学んだ合法商品”へ切り替えると」
「思想って何なんだよ!」
ミリスが商品に近づき、香り袋をひょいと持ち上げた。
「……ただの安眠香じゃない」
「まあ、失礼」
ベルナデッタは片眉を上げる。
「“ただの”ではありませんわ。王都上流向けに調合した、香りによる休息補助です」
「要するに合法な範囲でそれっぽく寄せてるのね」
「ええ」
「最悪」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
ユウトはもう頭が痛かった。
「いや、待てよ。これって結局、“あの聖具っぽいもの”として売るつもりなんだろ?」
「そこが工夫ですの」
ベルナデッタは、いちばん高そうな箱を手に取った。
「直接は言いません」
「うわあ」
「《王都で話題の休息思想》として売ります」
「思想って言い切った!」
「王都上流は、効能だけでは動きませんの。物語と格が必要です」
その言い方が、あまりにも本格的すぎた。
「つまり、兵装そのものの模造ではなく」
ベルナデッタは商品群を見渡す。
「“王都を守った異邦の特別兵装から着想を得た、上質な休息文化”として仕立てるのです」
「文化にするな」
ユウトは本気で呻いた。
「それ、もう一周回って最悪だろ」
「いいえ」
ベルナデッタは真顔になる。
「偽物が横行するより、ずっとましですわ」
部屋が少しだけ静かになった。
その言葉には、商人の打算だけではないものが混じっていた。
「粗悪な模造品が街へ流れれば、怪我をする人も出ます。呪具まがいまで混じれば市場そのものが傷つく」
「うん」
「ならば、最初から“合法で安全で上質な別物”を置くことで、怪しい偽物の需要を吸う」
レティシアが目を細める。
「偽物潰し、ですか」
「ええ。商人らしいやり方で」
なるほど、とミリスが言った。
「本物の再現は無理。でも“本物を連想させる安全な逃がし先”を用意する、と」
「連想させるなあ!」
だが、理屈としてはかなりうまい。
学院や神殿で問題になっているのは、“本物に近いかもしれない怪しい何か”だからだ。
そこへ、最初から「これはあくまで布です」「これは香りです」「これは休息用です」と線を引いた商品を流せば、怪しい偽物の魅力は少し削がれるかもしれない。
かもしれないが。
「でも俺は嫌だ」
ユウトははっきり言った。
「そこに俺の兵装の匂いを乗せられるのが、普通に嫌だ」
ベルナデッタは少しだけ黙った。
それから、前回よりは真面目な顔で聞く。
「では、何がいちばん嫌なのです?」
「全部」
「分解してくださいまし」
「分解を要求するな」
ユウトは深く息を吸う。
「まず、“そういうもの”として理解されるのが嫌」
「うん」
「次に、“誰かの疲れを楽にする”方向へ勝手に期待されるのも嫌」
「うん」
「あと、それで金が動くのも嫌」
ベルナデッタは一拍置いた。
「最後は分かりませんわ」
「正直すぎる!」
「ですが、前二つは理解できなくもありません」
彼女は扇を閉じる。
「あなたが守りたいのは、兵装の秘密そのものより、“それによって勝手に定義される自分”ですのね」
その言葉に、ユウトは少しだけ黙った。
「……まあ」
たぶん、そうなのだ。
兵装の真実を知られるのが嫌。
それは大前提だ。
でも最近はそれだけではなくなっている。
疲れを散らす人。
整える人。
夜向けの何かを知っている人。
そういうふうに王都で勝手に定義されるのが、本気で嫌なのだ。
「そこまで言うのなら」
ベルナデッタは意外にも、あっさり方向を変えた。
「では商品名からは完全に切り離しましょう」
「え?」
「兵装を直接連想させる文言、王都で話題、上流で密かに、そういった表現は一旦全部引っ込めます」
ミリスが片眉を上げる。
「ずいぶん素直ね」
「商人ですもの。売れ筋を読むのも大事ですが、潰れる地雷を踏まないのはもっと大事ですわ」
ベルナデッタは続ける。
「ただし、“休息の上質化”という市場そのものは消えません。需要があるから」
「そこは諦めないんだ」
「諦める理由がありませんもの」
たくましいにもほどがある。
「じゃあ何を売るつもりなんだよ」
ユウトが聞くと、ベルナデッタは侍女へ合図した。
侍女が新しい札を持ってくる。
そこに書かれていたのは――
《静夜布》
《休息香》
《肩養紐》
《眠前具》
「普通になった……?」
「ええ」
ベルナデッタは満足げに頷いた。
「でも中身はいいものですわ。王都の女性たちは、何も怪しいものだけを欲しているのではありません。ちゃんとした休息の道具を求めているのです」
「……それは、まあ」
少しだけ、理解できた。
理解はできる。
だが、それで完全に安心できるかというと、もちろんそうではない。
「条件があります」
レティシアが口を開いた。
その声には、騎士としての硬さが乗っていた。
「兵装との関連を匂わせないこと」
「ええ」
「王宮・神殿・魔導院の名を勝手に借りないこと」
「もちろんですわ」
「偽物回収に協力すること」
ベルナデッタの目が少しだけ鋭くなる。
「商会として、ですか」
「はい」
「……その条件なら、乗れます」
「乗るんだ」
「商人は、市場の敵は嫌いですの」
そこへミリスが、妙に楽しそうに言った。
「じゃあ、押収品の流通路洗い出しも手伝ってもらうわよ」
「そこまで?」
「そこまで」
「容赦ないですわね」
「あなたも人のこと言えないでしょ」
この二人、方向は違うがかなり似ている気がする。
◇
交渉がひとまずまとまり、フロウ商会を出る頃には、ユウトの精神はだいぶ削れていた。
だが、前回よりは少しましだった。
少なくとも今日は、「王都女性市場に革命を」ではなく、「偽物を安全な市場で押し返す」という建前になったからだ。
「……なんか、負けた気もするけど」
商館前でユウトが呟くと、レティシアが答える。
「完全敗北ではありません」
「完全じゃないだけで、だいぶ負けてる気分なんだよな」
「そこは否定しません」
正直だ。
ミリスは商館から持ち出した資料束をぱらぱら見ている。
「でも収穫は大きいわ」
「何が」
「ベルナデッタ本人が黒幕じゃなかったこと」
「そこは疑ってたんだ」
「商売人としては危険だけど、今回の怪文書の文体とは違う」
たしかに、ベルナデッタはもっと正面から来る。遠回しに恥を煽るというより、“合法で上質にしましょう”と堂々と言うタイプだ。
「あと」
ミリスが続ける。
「偽物潰しに商会ネットワークが使える」
「それはまあ、そうか」
「意外と悪くない方向へ転んだのかもしれません」
レティシアも頷いた。
そこへ、遠くから走ってくる影が見えた。
「またか」
ユウトが呻く。
白い法衣。フィアナである。
「シンドウさん!」
「どうした」
フィアナは息を切らしながらも、今日は少し表情が違った。善意で困った相談を持ってきた時の顔ではない。ちゃんと焦っている。
「神殿で、偽物を使おうとした人が出ました」
「は?」
空気が一変する。
レティシアがすぐに前へ出る。
「被害は」
「大きくはありません。でも、軽い気分の悪さと、祈祷室に少しだけよどみが」
ミリスの表情が険しくなる。
「呪紙系の疑似品ね」
「たぶん……」
フィアナは悔しそうに唇を噛んだ。
「“正しい作法なら本物に近づける”って信じて、善意で……」
ユウトは言葉を失った。
来るとは思っていた。
だが、こんなに早く神殿の中で実害が出るとは思わなかった。
「……やっぱり、合法商品の話してる段階じゃないな」
ぼそりと漏らすと、レティシアが短く頷く。
「はい。次は回収と制圧を優先します」
ミリスも即答した。
「王宮へ戻るわよ。もう“話し合いだけ”じゃ止まらない」
そしてユウトは、ようやく理解する。
王都の偽物騒動は、もう市場や学院だけの悪ふざけではない。
神殿の中まで入り込み、善意を汚し始めた。
ここから先は、本当に“潰しに行く”段階なのだと。




