第26話 王都に出回る偽物たち
翌朝、新堂ユウトは、王都という街のしぶとさを思い知った。
「……増えてる」
騎士団本部の食堂で、焼き立てのパンを手にしたまま、ユウトは窓の外を見て呟いた。
朝の通りは、いつも通りにぎやかだ。
荷車が通り、露店商が店を開き、子どもが走り回り、職人たちが朝の挨拶を交わしている。
問題は、その活気の中に、見覚えのある“細長いもの”が混じっていることだった。
木でできた棒。
黒い布を巻いた棒。
妙に先端だけ丸くした棒。
しかも、それを売る口上まで洗練されてきている。
「肩の重さに!」
「魔力疲れに!」
「整流用、入荷したよ!」
「王都で今いちばん話題の――」
「朝から聞きたくない単語ばっかりだな……」
心の底から嫌そうに言うと、向かいに座るレティシアが静かに頷いた。
「昨日より悪化しています」
「そこはもう少しぼかしてくれない?」
「ぼかせません」
今日のレティシアは完全に実務モードだった。
昨夜、セリーナたちと共有した“意図的に噂を広げている何者かがいる”という可能性を、騎士団も正式に危険視し始めたらしい。
食堂の隅では、詰め所帰りの騎士たちまでひそひそと話している。
「南区画でも出たらしい」
「偽物の整流棒だとよ」
「もうそんな名前になってるのか」
「笑えんぞ、実際に若いのが買ってる」
「笑えないんだよなあ……」
ユウトはパンをちぎる手を止めた。
王都の噂は、もはや“兵装そのもの”から離れつつある。
人々は本物を知らない。
だからこそ、勝手に想像し、自分の暮らしに近い形へ落とし込む。
肩こり。
疲労。
眠気。
整う。
気分が晴れる。
そういう単語の方が、四天王だの地下魔力炉だのよりずっと広がりやすい。
「……王都の人、魔王軍より肩の重さの方が怖いのかな」
「身近な困りごとの方が切実なのでしょう」
レティシアの答えは、相変わらず正しかった。
「正しいんだけど、今それ聞くと複雑なんだよ」
そこへ、食堂の扉が開く。
「見つけました!」
「うわ」
元気な声に反射で顔をしかめる。
フィアナだった。しかも今日は一人ではなく、その後ろにセリーナまでいる。
「なんで朝から神殿と学院が揃ってるの」
「偶然ではありません」
セリーナがきっぱり言う。
「偶然でこの組み合わせの方が怖いよ」
フィアナは少しだけ胸を張っていた。
「神殿でも偽物が見つかりました」
「はい最悪」
「学院ではもっとです」
セリーナが続ける。
「持ち込み禁止物の押収だけで、今朝の段階で十五件」
「十五!?」
「うち八件は、明らかに同じ出所です」
ユウトは本気で頭を抱えたくなった。
ここまで来ると、もう個人の噂や悪ノリではない。
流通だ。供給だ。意図的な広がり方だ。
「……朝から嫌な話しかないな」
「ですので」
レティシアが静かに立ち上がる。
「本日は、偽物の流通状況を見に行きます」
「え?」
「現場確認です」
「食後に?」
「食後にです」
セリーナも頷く。
「学院、神殿、騎士団で合同確認を行います。魔導院にも連絡済みです」
「魔導院も?」
「当然行くわよ」
食堂の入口に、いつの間にかミリスが立っていた。
「なんでみんなそんなに集合が早いんだ」
「王都が燃えてるからよ」
「燃えてるのは俺の名誉なんだけど」
誰も否定しなかった。
◇
最初に向かったのは、南区画の小さな生活市場だった。
王都の中心街ほど華やかではないが、人の流れが多く、庶民向けの雑貨や日用品が集まる場所らしい。
つまり、偽物が広がるにはうってつけだ。
「……うわあ」
市場へ足を踏み入れた瞬間、ユウトは顔をしかめた。
あった。
しかも一つ二つではない。
木製の棒。
磨いた黒石を埋め込んだ棒。
妙に装飾過多な短棒。
小型の振り子みたいなものまである。
そして札までついている。
《整流棒》
《夜の安寧具》
《淑女向け軽快具》
《肩・首・腰に》
「最後の一文、雑に全部入れたな!」
ユウトが叫ぶと、近くの露店主がびくっとした。
だが露店主は、こちらの顔を見るなり、ぱっと愛想笑いを浮かべる。
「おや、これは……!」
「違うからね」
「え?」
「いま考えてること、だいたい違うから」
露店主は完全に気圧されている。
レティシアが一歩前へ出た。
「騎士団です。こちらの商品の出所を確認します」
「えっ、いや、これはただの木工品で――」
「木工品に“整流”と書く理由を聞いています」
セリーナが冷たく言う。
普段から学院生徒を締めているだけあって、こういう時の圧が強い。露店主は一気にしどろもどろになる。
「そ、それは、その……客が分かりやすい方が売れるかと……」
「誰にそう勧められました」
「仕入れの仲介人が……」
ミリスがさっと口を挟む。
「名前は?」
「し、知りません! 顔を隠していて!」
それを聞いたレティシアとセリーナの表情が、同時に少し硬くなる。
「やっぱりだ」
ユウトが小さく呟く。
「誰かが本気で回してるな」
フィアナは露店に並んだ偽物を見て、しゅんとした顔をしていた。
「神殿でも似たようなのを見ました」
「やっぱり」
「“正しい祈りの前に軽く当てるとよい”とか、“眠れぬ夜に”とか」
「言い方がどんどんいやらしくなってるんだよなあ!」
セリーナが押収した偽物を無言で布袋に入れる。
その動きに一切の迷いがない。
「学院内に流れたものも、この程度の粗悪品が多いです」
「じゃあ、ほんとに効くわけじゃないんだな」
「当たり前です」
セリーナは即答した。
「にもかかわらず、生徒は“本物に近いかもしれない”という期待で手に取る」
「人間って、期待が乗るとだめだなあ……」
「ええ」
そこはレティシアも同意した。
◇
南区画を回っただけでも、状況は十分にひどかった。
だが、それで終わりではなかった。
「次は西区画です」
「まだあるの!?」
セリーナの言葉に、ユウトは本気で呻く。
「学院生の証言では、西の裏通りに“もっと上等なもの”が流れていると」
「上等って」
「素材が良く、言い回しもさらに洗練されている、という意味です」
ベルナデッタの影響を疑いたくなる話だったが、本人が関与しているかどうかは分からない。
ただ、商会令嬢が飛びつきそうな“高級寄り”の匂いがしているのは間違いない。
西区画の裏通りは、南よりもずっと空気が違った。
露店の数は少ない。
その代わり、看板のない小さな店や、入り口を布で隠した半ば会員制めいた店が並んでいる。雑貨、香油、布、祈祷具。表通りより上等そうだが、そのぶん怪しさも増している。
「こういう場所、嫌いだな」
ユウトが本音を漏らすと、ミリスが皮肉っぽく言う。
「今日は全部嫌いって言ってるわね」
「嫌いなものしか増えてないからな!」
そこへ、ひときわ整った店先が目に入る。
白い布を垂らした小店。
香りは柔らかく、内装も落ち着いている。
表に置かれているのは、木や石ではなく、磨いた金属や細工入りの短棒、手に収まりやすそうな小物。札も洗練されていた。
《淑女のための夜整え》
《重たさを散らす私室具》
《王都上流で話題の安寧品》
「うわああ……」
ユウトは本気で引いた。
「これはだめだろ」
「ええ」
セリーナの声がひどく冷たい。
「だいぶだめです」
レティシアも目を細める。
「王都上流、とは」
「根拠のない権威づけでしょうね」
ミリスが言いながら札を一枚手に取った。
次の瞬間、彼女の顔がわずかに変わる。
「……これ、ただの偽物じゃない」
「え?」
「薄いけど、魔力反応がある」
空気が変わった。
ユウトも思わず身を乗り出す。
「魔導具なのか?」
「粗悪な模造魔導具、ね。たいした出力はない。でも、“何かを感じた気がする”くらいは起こせるかも」
「最悪じゃん」
「最悪よ」
そこへ、店の奥から気配がした。
「何をしている」
低い声。
出てきたのは、中年の店主らしき男だった。痩せているが、目だけが妙に落ち着いている。普通の商人というより、誰かの指示で動いている感じがした。
「騎士団です」
レティシアが前へ出る。
「こちらの商品の出所を確認します」
男は肩をすくめた。
「ただの雑貨だ」
「ただの雑貨が魔力反応を持つわけがない」
ミリスが冷たく言う。
「粗悪でも魔導加工は入ってる。しかも王都上流の名を騙ってる。十分アウトよ」
男の目が、ほんの一瞬だけ細くなった。
その変化を、レティシアは見逃さない。
「……名前を」
「名乗る必要があるか?」
次の瞬間だった。
男が袖口から、小さな紙片をばらまいた。
「っ!」
紙片は空中で弾け、黒い煙へ変わる。
呪いほど強くはない。だが、目くらましには十分な濃さだ。
「またか!」
ユウトが叫ぶ。
レティシアがすぐ前へ出る。
セリーナも生徒を庇うように腕を広げた。
フィアナが短い祈りを走らせ、ミリスが煙を吹き払う風圧魔術を撃つ。
だが、煙が晴れた時には、男の姿はもうなかった。
「逃げた……!」
セリーナが歯噛みする。
「ただの商人じゃなかったな」
「ええ」
レティシアの声が低くなる。
「流通元に近い者でしょう」
ミリスは店に残された品を手早く確認しながら言う。
「しかも、“本物に近い感覚”を人工的に作ろうとしてる」
「人工的に?」
「微弱な熱、わずかな振動、香り、魔力の薄い揺らぎ。全部を混ぜて、“なんとなく効く気がする”を演出してるのよ」
「……悪質だな」
ユウトが言うと、ミリスは珍しく真正面から頷いた。
「ええ。これはかなり」
セリーナが押収品を見つめながら言う。
「学院生が食いつくのも分かります」
「分かりたくないけどな」
フィアナは不安そうに呟いた。
「神殿にも、この感じに近いものが入ってきてたら……」
「やばいわね」
ミリスが即答する。
「ええ」
レティシアも続ける。
「そして、これで確定しました。偽物は“ただ出回っている”のではなく、意図して作られ、流されている」
ユウトは喉の奥が冷たくなるのを感じた。
噂。
模造品。
粗悪な魔導加工。
権威づけの文言。
学院、神殿、市場、上流階級。
全部が一本の糸でつながり始めている。
「……誰がやってるんだろうな」
その呟きには、誰もすぐには答えなかった。
◇
同じ頃、王都の北側の宿屋の一室で、リグは静かに湯呑みを置いた。
部屋は質素だ。
だが、机の上には王都の地図、学院周辺の見取り図、神殿への流通経路、商会名簿まで広がっている。
そのひとつに、新しい印がつけられた。
「西区画、露見」
低い声でそう呟く。
「まあいい」
使い潰す前提の店だ。
ひとつ潰れても、本筋には影響しない。
重要なのは、異邦人の反応だった。
人前で、兵装が“そういうもの”として扱われると極端に嫌がる。
偽物が流通すると、本気で困る。
しかも周囲の人間も、それぞれ別の理由で反応する。
神殿は善意。
学院は風紀。
騎士団は秩序。
魔導院は研究。
「実に王都らしい」
リグは笑う。
この街は外から崩すより、中で勝手に膨らむものを利用した方が早い。
だから次は、もう一段階、噂を具体化する。
ただの整流棒では弱い。
ただの疲労軽減具でも弱い。
“正しい使い方を知る一部の者だけが、本当の恩恵を受けている”
その形へ持っていけば、人はもっと食いつく。
特に、学院の若者と、神殿の真面目な者と、上流階級の淑女たちは。
「次は会議を燃やそうか」
リグの指先が、次の紙片へ触れる。
そこにはすでに、新しい文言が並んでいた。
《正しい扱い方を知れば、ただの整流では終わらない》
《王都で密かに共有される“本来の作法”》
《風紀委員が隠したがる理由》
彼は満足げに目を細めた。
「これなら、もっと跳ねる」
◇
夕方、騎士団本部の会議室には、またしても見慣れた顔ぶれが揃っていた。
ユウト。
レティシア。
ミリス。
フィアナ。
セリーナ。
そして王宮の文官。
机の上には、南区画と西区画で押収した偽物がずらりと並んでいる。
それだけで景色としてかなり嫌だった。
「……これ、全部俺のせいみたいに見えるな」
ユウトが心底げんなりして言うと、セリーナが即答した。
「本人が一番の被害者であることは理解しています」
「そこはほんと助かる」
だが、助かるだけで済む話ではない。
ミリスが押収品を指先で示す。
「段階が変わったわ」
「どういう意味?」
「最初はただの模造品。次に、効果をうたう雑貨。今日は、魔導加工つきの疑似品」
ユウトは眉をひそめる。
「つまり?」
「誰かが本気で“本物に近づけよう”としてる」
「うわ……」
「しかも、文言がさらに悪質です」
セリーナが新しく押収した紙片を広げた。
そこには、リグの仕込んだ文句が並んでいる。
《正しい扱い方》
《風紀が隠す本来の効き目》
《一部だけが知る作法》
「最悪!」
ユウトが叫ぶ。
「セリーナまで利用し始めた!」
「学院側としては極めて不愉快です」
セリーナの声は本当に冷たかった。
「ですが、この文言は強い。禁止されていると思うほど、若者は覗きたがる」
「やだなあ……」
フィアナも小さく呻く。
「神殿でも“正しい祈り方があるのでは”って言い出す人が出そうです」
「それも最悪」
レティシアが静かに全員を見回した。
「つまり、偽物の回収だけでは追いつきません」
「ええ」
文官が頷く。
「噂そのものの流れを変える必要がある」
その言葉に、部屋の空気が少し重くなった。
ユウトは、嫌な予感しかしなかった。
「……それ、結局また俺が前に出るやつじゃないよな」
誰も即答しなかった。
だが、その沈黙だけで十分だった。
「うわあ……」
セリーナが真面目な顔で口を開く。
「ただ、今のままでは学院も持ちません」
フィアナも頷く。
「神殿もです」
ミリスも腕を組む。
「王都の市場も、もっとひどくなる」
レティシアは静かに言った。
「ですので、次は“偽物そのものを一掃する”動きが必要かと」
「一掃……」
ユウトがその言葉を繰り返すと、文官が補足する。
「王宮主導での回収と、正式な告知」
「うん」
「つまり、少し大きくなります」
「やっぱりそうなるかあ!」
椅子に沈み込みたくなったが、それでもユウトは、今までよりは少しだけ前向きだった。
噂は嫌だ。
偽物も嫌だ。
でも、誰かが意図して育てていると分かった以上、放っておくわけにもいかない。
「……やるしかないなら、やるよ」
小さくそう言うと、レティシアが少しだけ目を和らげた。
「はい」
ミリスも珍しく素直に頷く。
「その方が話が早いわ」
セリーナも、ほんの少しだけ肩の力を抜いたようだった。
「助かります」
フィアナは、なぜか少しうれしそうに笑った。
「よかったです」
「まだ何もよくないけどな!」
そのつっこみに、会議室の空気がほんの少しだけ軽くなる。
だが、軽くなったのはその瞬間だけだ。
次に必要なのは、もっと大きな動き。
そして、それはたぶん、また王都全体を巻き込む。




