第13話 呪いの森と振動の解呪
王都の朝は、いつもより少しだけ重かった。
いや、正確には、ユウトの気分が重かっただけかもしれない。
前夜の会議で判明したのは、紙袋の中身が換装式扱いされるようになったことと、残量問題がいよいよ深刻化したこと、その二つだ。
そこへ加えて、敵もこちらも本格的に対策を考え始めている。
つまり、もう気軽に「うわっ、またなんか起きた」で済む段階ではない。
「……済んでた時期あったかな」
寝台から起き上がりながら呟いてみたが、よく考えれば最初から大して済んでいなかった。
机の上には紙袋。
中には本体と、二つの付属品。
今ではそれらが、王国の一部では「標準型」「近接貫通型」「広域干渉型」とかいう、やたら立派な呼び名で扱われている。元の世界の事情を知る自分だけが、心の底からいたたまれない。
その紙袋を見つめているところへ、扉が叩かれた。
「シンドウ殿、起きていますか」
レティシアの声だった。
「起きてる」
返事をすると、扉が開く。
入ってきた彼女は、いつも通りきっちり整った騎士団の制服姿だった。ただ、表情にはわずかな緊張がある。
つまり、また何かあったのだ。
「その顔、やっぱり来たな」
「何がですか」
「ろくでもない案件」
レティシアは否定しなかった。
「王都近郊の森で、呪詛汚染が広がっています」
「呪詛汚染」
「はい。古い街道沿いの森なのですが、昨夜から急に瘴気が濃くなり、周辺の集落で体調不良と幻覚の訴えが出ています」
「幻覚って、かなりまずくないか」
「まずいです」
即答だった。
「通常であれば神殿と魔導院の合同対処案件です。ただ今回は」
「今回は?」
レティシアが少しだけ視線を下げる。
「神殿側が、あなたの同行を強く望んでいます」
「うわあ……」
声が漏れた。
容易に想像できる。
神殿側から見れば、穢れを散らした前例があるのだ。しかもフィアナが《律動の聖杖》とかいう危険な名前を勝手に広めている。呪詛汚染と聞けば、呼びたがるに決まっていた。
「フィアナも?」
「来ています」
「だろうなあ……」
もはや驚かない。
レティシアは続ける。
「魔導院からもミリス殿が同行します。神殿と魔導院の双方が立ち会い、汚染核の特定と、あなたの兵装による干渉可能性を試したいと」
「便利屋扱いに拍車がかかってるな」
「否定しづらい状況です」
そこはもう少し濁してほしかった。
だが、断りきれないのも事実だった。
呪詛汚染。幻覚。周辺集落。放っておけば人に被害が出る。それを知っていて、「今日は気分が乗らないので行きません」とは言いづらい。
ユウトは小さくため息をつく。
「行くよ」
「ありがとうございます」
「感謝されるの、最近ちょっと重いんだよな……」
◇
王都の北西にあるその森は、昼間だというのに妙に薄暗かった。
空は晴れている。
街道もある。
にもかかわらず、森へ近づくほど空気が重い。湿気とも違う、肌の内側へまとわりつくような嫌な感触がある。
「……なんだこれ」
馬車から降りたユウトは、思わず顔をしかめた。
森の入口付近には、すでに騎士団、神殿、魔導院の三者が簡易陣地を作っている。白い法衣の神官たち、黒ローブの研究員たち、銀青の騎士たち。それぞれが慌ただしく動いているのに、全体を覆う空気は重たかった。
フィアナが、こちらに気づいて駆け寄ってくる。
「シンドウさん!」
「元気だなあ」
「大変です!」
「元気に言う内容じゃないな」
フィアナは真剣な顔で森を振り返る。
「中の空気が、すごくねじれてるんです。ちゃんと祈っても、うまく流れない感じで」
「それで分かるの、ほんと便利だな……」
ミリスがその横から現れた。
今日は外套の裾に土がついている。どうやら先に現場確認を済ませていたらしい。
「便利で済ませないでほしいわね。こっちはこっちで測定してるけど、かなり厄介よ」
「そんなに?」
「ええ。呪詛膜が森全体に薄く広がってる。局所的な浄化じゃ追いつかないし、核を探そうにも反応が乱反射してる」
「核」
「スライムでも言ったでしょう。こういうのは大抵、中心があるのよ」
ミリスは森の奥を見据える。
「問題は、それが一点なのか、複数なのか、あるいは森そのものに染みついてるのか分からないこと」
レティシアが短く補足する。
「すでに二度、神殿と魔導院の少人数班が入りましたが、どちらも幻覚と方向感覚の乱れで深部まで到達できていません」
「うわ、ホラーじゃん」
「はい。しかも笑えない方の」
それは嫌すぎる。
そのとき、年配のエラルド司祭が近づいてきた。
彼は一礼し、静かな声で言う。
「お越しいただき感謝します、シンドウ殿」
「いえ、まあ……」
「率直に申します。神殿だけでは押し切れません」
珍しく弱音に近い表現だった。
「魔導院の解析でも、汚染の広がり方が特殊です。浄化の祈りも散らされ、結界は森そのものに吸われる」
「つまり?」
「通常手段では、核へ届かない可能性が高い」
ミリスが続ける。
「でもあなたの兵装なら、“ほどく”かもしれない」
「神殿と同じ言葉を使い始めたな」
「便利だからよ」
「便利って言葉、今日雑だな」
ミリスは無視して、実験用の小型結晶板を見せた。
「見て」
板の上には、靄のような黒い線が渦を巻いていた。
だが、そこへ彼女が小さな祈祷札を近づけると、線は一瞬だけ揺れて、すぐ元へ戻る。
「神殿の浄化は弾かれる。でも」
次に、彼女はユウトへ目配せした。
「少しだけ起動して、そのまま近づけて」
「ここで?」
「まずは入口の薄いところで反応を見る」
ユウトは紙袋から本体を取り出し、少しだけ迷ったあと、二つ目の広域寄りの付属品を手に取った。
それを見たフィアナの目が、ぱっと輝く。
「今日はそちらなんですね」
「“今日はそちら”って言い方やめてくれるかな」
「だって、雰囲気が違います」
「理解が早いのも怖いなあ……」
装着する。
最近この動作がだいぶ自然になってきている自分が嫌だ。
スイッチを入れる。
ぶ……ぉん。
弱った出力とはいえ、独特の振動音が立ち上がる。
同時に、結晶板の上の黒い靄が、ぴくりと震えた。
「来た」
ミリスの声が低くなる。
ユウトがそのまま先端を結晶板へ近づけると、黒い線の渦は表面からではなく、全体が均一に揺れ始めた。細く、薄く、けれど確かに形が崩れていく。
数秒後、靄はぱらぱらとほどけて消えた。
「……消えた」
ユウトが呟く。
「やっぱり!」
フィアナが嬉しそうに言う。
「“やっぱり”で済ませるんだ……」
だが、エラルド司祭も真剣な顔で頷いていた。
「局所ですが、浄化ではなく解体に近い」
「解体」
ミリスはその表現を気に入ったらしく、すぐさま記録する。
「呪詛構造の解体。固定された穢れを広域干渉でほどいている……」
「最近、みんな俺の気まずい道具に立派な専門用語つけるの好きだよな」
誰も否定しなかった。
◇
森へ入ることになった。
当然、ユウトは全力で嫌がった。
「入口で試すだけじゃだめなの!?」
「だめです」
ミリスが即答する。
「核を叩かないと、表層を薄めるだけ。数日で戻る可能性が高い」
「神殿としても、根本を断ちたいのです」
エラルド司祭も穏やかに続く。
「そして騎士団としても、森そのものを閉鎖し続けるのは避けたいです」
レティシアが言えば、もう反論しづらい。
「……分かったよ」
結局、森へ入るのは少人数になった。
ユウト、レティシア、ミリス、フィアナ、そして騎士団の護衛二名。エラルド司祭は入口で大規模祈祷の支援に回るという。
森へ一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
さっきまで曇っていなかったはずの視界が、急に薄灰色に霞む。木々はまっすぐ立っているのに、距離感だけが曖昧になる。足元の落ち葉を踏む音まで少し遅れて聞こえるような、気持ち悪いズレ。
「うわ……」
「気をつけて」
レティシアがすぐ横へつく。
「視界が不自然でも、立ち止まらないでください」
「経験者の言い方だな」
「はい。先行班もこれで戻されました」
ミリスは結晶板を片手に周囲の反応を追っている。
フィアナは小さな祈祷書を胸に抱え、目を閉じかけては前を見て、を繰り返していた。
「右はだめです」
彼女が言う。
「なんで?」
「すごく、気持ち悪いです」
「感覚で進んでるなあ……」
「でも、左の方がましです」
ミリスが結晶板を見る。
「……腹立つけど合ってる。左の方が反応が薄い」
「腹立つんですね」
「研究者としては、感覚に先を越されるとちょっと」
「正直だな」
だがその感覚に従って進むしかない。
森の奥へ入るほど、灰色の霞は濃くなる。木の幹には黒ずんだ筋が走り、下草はところどころ萎れていた。明らかに何かが滞っている。
途中で一度、小さな幻覚が起きた。
道の先に人影が見えたのだ。
黒いスーツ姿で、こちらへ背を向けて立っている。
「……え?」
ユウトは足を止めた。
自分だ。
いや、違う。髪型が少し違う。けれど、元の世界の駅前で窓へ映った自分に似ていた。
その影が、こちらを振り返る。
顔はない。のっぺりとした黒い面だけがある。
背筋が凍る。
「ユウト殿!」
レティシアの声と、肩を掴まれる感触で我に返った。
目の前には誰もいない。
ただ、ねじれた木立があるだけだ。
「いま、何か見ましたね」
ミリスが低く言う。
「……ああ」
「個人の不安や記憶を拾って、幻像にしてるのかも」
「嫌な森だな!」
「だから危険だって言ってるでしょう」
そこでフィアナが前方を指差した。
「たぶん、あそこです」
少し開けた場所だった。
木々の円形の隙間。地面には黒い根のようなものが広がり、その中心に、古びた石の祠が埋もれている。祠そのものは小さい。だが周囲の灰色の霞が、そこへ吸い寄せられるように流れ込んでいた。
「核、かな」
ユウトが言うと、ミリスが険しい顔で頷く。
「可能性は高い。森全体の反応がそこへ収束してる」
「でも、ただの祠に見える」
「ただの祠なら、こんなに汚染を抱えないわ」
護衛騎士のひとりが一歩前へ出ようとした瞬間、祠の周囲の地面がぐにゃりと歪んだ。
黒い靄が立ち上り、人型の影を作る。
兵士が息を呑む。
「くっ……!」
影は定まらない。
だが明確に敵意だけはある。剣を振り上げるような形を取って、襲いかかってきた。
レティシアが即座に前へ出る。
剣閃。
影が断たれる。だが霧のように散るだけで、すぐまた形を戻す。
「実体が薄い!」
「典型的な呪詛守りね!」
ミリスが叫ぶ。
「核に近づかせないための擬似防衛!」
「便利に説明してる場合か!?」
とはいえ、言っていることはたぶん正しい。
祠に近づくほど影は増え、灰色の靄が人型を結び始める。実体はないが、近づけば体温を吸われるような嫌な冷たさがある。
「ユウト!」
ミリスが叫ぶ。
「広域型でまとめて崩して! 祠そのものが核なら、周辺ごとほどくしかない!」
「分かった!」
もう迷っている余裕はない。
ユウトは広域寄りの付属品をつけたまま、本体を強く握った。
残量は気になる。出力低下も怖い。だがここで渋っている場合ではない。
ぶ……ぉん。
いつもより少し弱い振動が、それでも森の空気を震わせる。
ユウトはそのまま一歩、二歩と祠へ近づいた。
影が群がる。
レティシアが剣で払い、護衛騎士が盾で受ける。フィアナは祈りを重ね、ミリスは周辺の魔力流路を乱す魔術を補助で撃ち込む。
「そのまま!」
「近づいてるけど、これ以上は!?」
「あと少し!」
ユウトは半ばやけくそで、祠へそれを向けた。
その瞬間だった。
森全体が、ぶるり、と小さく震えた。
木々の葉が一斉に鳴る。
灰色の靄が祠を中心に波打ち、影の人型が崩れる。祠の表面に走っていた黒ずんだ筋が、細かな裂け目のようにほどけ始めた。
「来た!」
ミリスの声。
ユウトはさらに一歩踏み込む。
広域型の振動は、面で、丸く、均一に広がる。前みたいに核を刺す感じではなく、絡まった糸をほぐすみたいに、祠と周囲の根へ染み込んでいく感覚があった。
灰色の靄が、今度は逃げ場を失ったように揺れる。
祠の内部で、何かがきしむような音がした。
ぱき、ぱきぱき、と。
やがて、祠の屋根が崩れた。
そこから黒い球のような塊が露出する。
核だ。明らかに、それだった。
「見えた!」
「そこ!」
ミリスが叫ぶ。
ユウトは本能的に理解した。ここからは面ではなく、点だ。
「換えて!」
レティシアの声も重なる。
ユウトは一瞬だけ息を止め、本体のスイッチを切る。
そして、手早く広域型の部品を外し、近接寄りの部品へ付け替えた。
その一連の動作を見て、ミリスが後ろで息を呑んだのが分かった。
「迷いがない……!」
「そんなこと言ってる場合じゃない!」
再起動。
ぶ……ぉん。
今度は、振動の広がり方が細く鋭い。
ユウトは露出した黒い核へ、それを突き出した。
ぶる、と核が震える。
直後、その表面に白いひびが走った。
「もう一回!」
ミリスが叫ぶ。
ユウトは歯を食いしばり、そのまま押し込むように近づけた。
ぱきん。
乾いた音だった。
黒い核が、中心からきれいに砕けた。
次の瞬間、森の空気が変わる。
重かったものが、すっと軽くなる。
灰色の霞は上へ抜けるように薄れ、木々の歪んだ輪郭が元へ戻っていく。足元の黒い根も、ただの枯れた蔓みたいに色を失った。
「……終わった?」
ユウトが呟く。
フィアナが、ゆっくりと息を吐く。
「はい。やっと、息ができます」
レティシアも剣を下ろした。
護衛騎士たちが周囲を警戒しつつも、もう新しい影は出てこない。
ミリスだけが、しばらく呆然と核の砕けた跡を見ていた。
「……すごい」
「ミリスが素で言うとちょっと怖いな」
「だって、本当にすごいのよ、今の」
彼女は珍しく感情を隠さなかった。
「広域で呪詛膜をほどいて、核露出後に近接型へ換装して粉砕。理想的すぎる」
「理想的って言われても、こっちは必死だったんだけど」
「でも、できた」
その一言は重かった。
たしかに、できたのだ。
神殿だけでは届かなかった。魔導院だけでは特定しきれなかった。騎士団だけでは切り払えなかった。そこへ、この場違いな異邦の道具が、広域と近接の切り替えで割り込んで、森そのものを救ってしまった。
フィアナが小さく両手を打ち合わせる。
「すごいです……」
「その感想だけは、そろそろ怖くなくなってきたな」
「よかったです!」
いや、よくはないかもしれない。
◇
森を出るころには、周辺の空気はかなりましになっていた。
入口で祈祷を続けていたエラルド司祭も、すぐに変化を察したらしい。
「……消えたのですね」
「はい」
レティシアが答える。
「核を確認し、破壊しました」
「そうですか」
司祭は深く頭を下げた。
その礼は神殿人らしく静かだったが、重みがあった。
「神殿として、感謝を」
「いや、そんな改まって言われるとまた重いんですけど」
「事実は重いものです」
さらりと言われて反論できない。
馬車へ戻る前に、ミリスが歩きながら言う。
「さっきの切り替え、よかったわ」
「え?」
「広域型のまま核を無理に崩しに行かなかったでしょう」
「まあ、なんとなく」
「なんとなくで最適解を選ばないでほしいんだけど、今回は助かった」
「褒めてるのか文句言ってるのか分からないな」
「両方よ」
それはいつものミリスだった。
レティシアが横から静かに言う。
「少なくとも、換装の運用に慣れてきたのは確かかと」
「慣れたくなかったなあ……」
「でしょうね」
そこも即答される。
◇
王都へ戻った夜、報告は当然のように王宮まで上がった。
呪詛汚染の解消。
森の核の露出。
換装による広域干渉と近接破壊の使い分け。
そして、神殿側から見れば“解呪”に近い現象。
つまり噂はまた育つ。
「もう嫌だ」
部屋へ戻るなり、ユウトは椅子へ沈み込んだ。
紙袋の中身は今日も仕事をした。
しかもかなり見事に。
その結果、周囲の評価はまた上がる。
ミリスが記録板を閉じながら言う。
「今日ので、換装の役割はかなり明確になったわね」
「うん」
「広域型は散らす。近接型は穿つ。標準型はその中間。少なくとも今のところは」
「なんでそんなに冷静に整理できるんだよ」
「整理しないと研究にならないから」
レティシアは窓の外を見たまま、低く言う。
「王宮も、これでますます本格的にあなたを前提に動くでしょう」
「それは分かる」
「魔王軍側も、呪詛や穢れへの耐性まで想定し始めるかもしれません」
「それは分かりたくなかった」
フィアナは少し考え、それから真面目な顔で言った。
「でも、助かった人たちがいるなら、よかったです」
その一言だけは、妙に胸に残る。
たしかにそうだ。
森の周辺集落は助かった。街道も再開できる。幻覚に苦しむ人も減るだろう。
面倒も増えた。噂も増えた。立場も重くなった。
でも、それだけではなかった。
「……まあ、そうだな」
ユウトがぽつりと答えると、フィアナは嬉しそうに笑った。
「はい」
その素直さは、やっぱり少しだけ救いになる。
レティシアも、わずかに表情を和らげた。
「お疲れさまでした、ユウト殿」
「それ、今日ちょっと染みるな」
「ならよかったです」
ミリスは最後に、やや真面目な声で言った。
「ただし、残量はまた減った可能性がある。そこは忘れないで」
「一気に現実へ戻してくるな」
「戻るべき現実だから」
それもその通りだった。
ユウトは紙袋の口を閉じる。
中で、本体と付属品たちが静かに収まる。
森の呪いをほどいた。
核を砕いた。
神殿はたぶん、また喜ぶ。王宮はたぶん、また動く。敵はきっと、また警戒を強める。
静かな夜なのに、世界だけが勝手に先へ進んでいく感じがした。
「……ほんと、休まらないな」
そう呟くと、ミリスが小さく肩をすくめた。
「退屈しないでしょう?」
「王女様みたいなこと言うな」
「たしかに、少し似たわね」
その一言に、ユウトは深くため息をついた。




