第一話 審判の日
『世界が壊れたから、父親を殺した』
ガラスが割れる音がして、籠宮襲は目を覚ました。
深夜二時を過ぎた頃だった。真っ暗な部屋の中でスマートフォンのロック画面が時刻を示している。
何者かが侵入したのだろうか。
目をつぶり、何か聞こえないか耳を澄ませる。
何故か遠くからサイレンが聞こえる中、物音が聞こえる。
父だろうか。……いや、こんな下品な音を立てるはずがない。まるで泥棒が入ったかのような物々しさだ。
襲は物音の原因を確認することにした。照明もつけずに、スマートフォンの明かりを頼りに部屋を出る。
どの部屋から音がする? ……父の部屋だ。
襲は気乗りはしなかったが、何が割れたのか気になり入ることにした。
四回ノックする。返事がない。眠っているのだろうか。
何度か呼んでみる。返事がない。だが、扉に耳を当てるとやはり音がする。
襲は後に怒鳴られることを覚悟で中を覗き見ることにした。
扉を少しだけ開ける。明かりはない。
右目だけで中を覗き見ると、何かヒトガタの影がしゃがみこんでいる。
疑問形で父を呼んでみる。ヒトガタはこちらにゆっくりと振り返った。
人外だと思った。
人間はあんなに大きな口を開けて笑わない。
ヒトガタはこちらに向かって走ってくる。襲は身の危険を感じて逃げた。階段を降り、玄関から外に出る。
道路に出ると他の家のガラスも割れており、サイレンが聞こえる。
只事ではないと思ったとき、離れた所でヒトガタがこちらを見ていることに気づいた。
襲が身構えると走ってくる。再び逃げると別のヒトガタに挟まれてしまった。
逃げ場を失った。
襲は片方のヒトガタに殴りかかった。クリティカルヒットした感触だが、少しのけぞっただけでまったく効いていないように見える。
ヒトガタが鋭い爪で突きを放つ。襲は腕で防いだものの、爪は深く突き刺さる。痛みに顔を歪める。
襲はヒトガタを蹴り飛ばし、再び拳を振り上げた。
ぐさ、とした感触が腹に響く。
背後からヒトガタが背中を爪で刺してきたようだ。
痛みでよろめく。突き飛ばされ倒れると、ヒトガタが馬乗りになって殴ってくる。爪ではなく、拳でだ。
いたぶっているつもりか? いつでも俺を殺せると思っている……。そう思うと無性に腹が立ってきた。
突然敵をよこしたくせに人間には力を与えないのか?
そんなのは理不尽だ。クソゲーだ。
余裕をこいてケタケタ笑っているのが癇に障る。
襲は頭の中が真っ赤に染まるような怒りに身を任せて口を開けた。
《禁忌:■■、■■■■を確認しました》
《重罰『捕食』を獲得しました》
《どうか地獄を楽しみに》
襲の歯が黒い牙へと伸び、ヒトガタの肩へと突き刺さる。
驚愕を見せるヒトガタ。
襲はヒトガタを押しのけ立ち上がる。
何故かは知らないが、どうすればいいかは分かった。
襲の右手から黒い粒子が吹き出し、大きな顎を形成する。襲が黒い右手でヒトガタに噛み付いた。
がちん、と音を立てて閉じると、ヒトガタの上半身は噛みちぎられ、咀嚼され、嚥下された。
力が湧き、傷が癒える。
下半身だけになったヒトガタを蹴り倒し、もう一匹のヒトガタに噛み付く。頭部に噛みつき粉々にする。首なしになったヒトガタが音を立てて倒れる。
静かな時間が流れた。天を仰ぐと、雲のかかった月が明るく照らしていた。
父親の部屋に戻ると、ヒトガタは消えていた。暗い部屋に血を流した父親が倒れていた。
近づくと息はあるが、長くは持たないだろう。声も出さず、父親は襲を見つめていた。
襲はしばらく黙った後、右腕で首を噛み千切った。
吐き出した頭部が床を転がる。襲はカーテンを開けた。ガラスは割れていて床に散らばっている。月を少し見た後、襲は部屋の隅に座り込んだ。
「小学生の時庭に子猫がいたから餌をあげたら、怒鳴って殴ったよな。翌日起きたら子猫を殺してたけどそこまでする必要はあったのか?」
襲は父親が嫌いだった。中学生の頃までは虐待を受けていた。高校に入って身体が大きくなってからは報復を恐れてか暴力を振るうことはなくなったが。
「タバコを道端に捨てたのを注意したら、タバコを拾い上げて俺の腕に押し付けたよな。自分はされたことあるのか? すげえ痛えぞ」
割れた窓から静かな風が吹き込んでくる。射し込んだ月光が父親の死体を照らしている。襲はずっと父親の罪を数えていた。
「俺を殴るならまだしも、祈に手を出すのはどうなんだ? 結局離婚したのは計算済みだったのか?」
『……………………』
そして、それを見ているモノもいた。
外が明るくなる頃には、襲は座ったまま眠っていた。これから戦いの日々が始まる。東京に『悪魔』が現れたこの日は、いつしか『審判の日』と呼ばれることになる。
《禁忌:肉親殺しを確認しました》
《重罰『投影』を獲得しました》
《どうか地獄を楽しみに》