三月二八日(木)午前三時
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あの日、妹は衝撃的なことを風呂で姉に言い放った。
「おねえちゃん、汚い」
姉は背中の泡でも流し忘れたのかと思って、どこが?と聞いた。
「どうしてそんなに人のことをバカにしたような話を次々するの?それじゃああ姉ちゃんもその人達と一緒だよ?」
妹は姉を軽蔑するような目で見た。
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姉はいつの間にか本当に眠っていた。床で眠っていたことに気づいた。姉は一瞬ひるみ、とりあえず風呂に入ろう、と思い立った。また嫌な夢を見た。姉は時々誰かににバカにされる夢を見る。それは前の男だったり、母だったり、最近は特に妹だった。
風呂場には大きな姿見が置いてある。上京するときに母がくれた。学生向けのワンルームのアパートに大きな姿見など邪魔でしかないのだが、姉はいらないと言えなかった。それは母の好意を否定するように思えたし、実際、くれるものならばもらって置かなければあとから欲しいと思っても自分で買うことは今の自分の金銭状況ではできない。
風呂場の前の姿見に姉は裸になった自分を写してみた。痩せている。悪くなかった。しかし良くもなかった。胸もないし、髪はさっきまで床で寝ていたせいで油ぎっているし、何より目が一重で鼻も低かった。やっぱりこれは悪いな、と姉は思い直した。しかし手は尽くしている。これ以上裸体の改善を図るなら、おそらく大金とメスが必要だ。
しかし信じがたいのはこんな自分の体に欲情する男がこの世に存在することだった。こんな顔や体を見て欲情するなんて、と姉は思いながら風呂の戸を開ける。男の性器は男以外になら何にでも欲情できるようにできているに違いない。
半年前に別れた男は姉に欲情しなかった。もちろん、最初はしていた。一年間同じ部屋で姉が泣いたり大きく口を開けて笑ったりあくびをしたり排泄をするのを見てだんだんと欲情しなくなった。しかし泣かない女も大きく口を開けて笑わない女もあくびも排泄もしない女も存在しない。でも男はそんな自分と同じ、人間みたいな女とはセックスできないのだ。だから男と女として一緒に居たければ男が見たい女の部分だけを見せる隠蔽工作と多少の詐欺行為をする必要があったのだ。しかし男が欲情しなくなった後にそんな必要性に気づいても、遅い。
以前の私は男の前で自分を見せすぎた。愛してさえいれば愛してもらえると思っていた。だがそれは間違っていたのだろうか?
いやいやいや、と姉は首を振った。シャワーを浴びよう。嫌なことは洗い流そう。楽しいことだけ思い出そう。
姉はシャワーで脂ぎった髪の毛を流す間、先日実家に帰った時のことを考えることにした。母は相変わらず説教臭いが元気だった。父は部屋で隠れて一人、携帯電話で電話しているのが気になったが、まあ元気だった。妹は…。
いやいやいや、と姉は首を振った。風呂に入ろう。嫌なことは汚れたシャンプーと一緒に流してしまおう。
自分を好きな男なんて頭がオカシイとしか思えない、と姉は一人でつぶやいた。どうせ私が何をどう思っているかなんて微塵も評価されないのだ。皆私が好きなんじゃない。私が無理して見せている「私」の虚像が好きなんだ。だから早く体を綺麗に洗って明日の夜に備えよう。ぼろが出る。