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箱庭に雛  作者: 安宅
新学期
26/26

九月一日のこと、教室4

「雪之丞!俺は嘉一のために言ってやってるんだ!!変に庇ったらダメなんだぞ!!」

 転入生が書記に唾を飛ばしながら叫んでいる。嘉一は、書記の姿をした得体の知れない何かを見上げていた。



 よくある創作物なんかでは、書記が改心して嘉一の味方になる展開だろう。もしかしたら恋愛に発展するのかもしれない。嘉一の母親の愛読書の少女漫画や少女小説のお約束だ。

 だが、それを夢見るには嘉一は世間を知りすぎていたし、書記に期待もしていなかった。転入生のイエスマンの書記(書記に限らないが)に、途切れ途切れながら悪意の凝縮された鋭い暴言を浴びせた男に、どうして幻想を抱けるというのだ。先日嘉一を突き飛ばし、先程マカロンを奪って、今しがた転入生が突き入る隙を作った人に。


 転入生が来る前までの好感度が高かっただけに、取り巻きに加わった際の印象は最悪だった。それは現在に至るまで回復しておらず、むしろ下方修正を繰り返している。



 嘉一の視線を受けても書記は動じていなかった。逆にじっと見返され、嘉一のほうが萎縮するくらいだ。


「……あまり、ふらふら、するな」

「は、ぃ……」

 嘉一はやっと、視線を落とした。



 ……ふらふら、とは。嘉一がいつ自由に出歩けたというのか。いつ立場をえり好めたのか。

 転入生に引きずり回され、取り巻きに虐げられ、学園中に嫌われる嘉一に、ふらふらさ迷う余地なぞない。『ふらふら』して見えるなら、それは他人にそう見える様動かされているだけだ。

 嘉一がどうにかできることではない。


 はっとした。嘉一は自分の身の振り方すら、好きにできないのか。そして、それを極当たり前に考えていた。

 まるで洗脳のようだ。



「光、東雲は悪くねーよ。それよか俺叩かれ損なんだけど」

 桃津郷は珍しく、転入生に異を唱える。尤も、彼は元々完全にイエスマンというわけではなく、適度に迎合したり反論したりしていた。他の取り巻きの圧力により流されることも多かったが。


「春ノ介!ダメなんだぞ!嘉一のためにちゃんと言ってやらなきゃ!!」

「いや東雲何も悪くないし。普通に、話聞かずに叩いた書記さんのが悪いだろ」

「だからっ!俺は嘉一のために言ってやってるんだぞ!!」

 上から目線甚だしい。

 嘉一には、桃津郷と転入生のやりとりは他人事のように聞こえていた。間違いなく嘉一が中心なのに、蚊帳の外。


 もう、それはいい。

 問題は、どのタイミングで桃津郷を引かせるかだ。


 これ以上言い争いが続くと、桃津郷の手を煩わせたと親衛隊が出しゃばってきそうだ。なるべく早く収拾を着けないと。


「桃津郷くん、いいから」

「でも東雲」

「勘違いさせた僕が悪いから。……ごめんね、虹ヶ丘くん」

「俺のことは名前で呼べって言ってるだろ!!」

「慣れなくて……、ごめんね?」

「仕方ないな!早く慣れろよな!!」



 転入生は満足した様で、後ろに立つ取り巻きたちに向き直る。

「お前ら!いい加減に仲良くしろよ!!」

 取り巻きたちはまた『転入生にはどのメイド服が似合うか』で口論していた。備品の調達手段は保留らしい。入手法がいくらでもあるからこその余裕だが、権力も財力も使わないまともな手段を思いついてからにしてほしい。

 そこに割って入る転入生。後はワンパターンのお約束展開だ。よくも飽きないものだ、と感心する。



 桃津郷が納得できない、という顔で嘉一を見ている。嘉一はメモ用紙に走り書きをして、桃津郷の机に投げた。転入生は既に取り巻きたちの話に加わっていて、後ろを向いている。


『ありがとう。ゼリーも食べれる?』

 ケーキがデザインされたピンクのメモ用紙には、それだけしか書かなかった。万が一転入生の目に触れても、宛名も差出人もわからない手紙だ。拾ったとでも言えばいい。明らかに女性向けのデザインだが、親衛隊のチワワたちの持ち物はだいたい可愛らしいので疑われないだろう。


 桃津郷はメモの裏側に何か書き足して、嘉一に投げて返した。

『ほしいけど、ごまかされないから』

 食べてはくれるらしい。一安心。



 頭の中でタルトとゼリーの材料と冷蔵庫の中身を照らし合わせる。買うのは桃だけでいいか。ゼリーにはタルトの余りの果肉を使おう。いや、桃のゼリーに桃のタルトだとしつこい気もする。夏だしゼリーは柑橘系が食べやすいだろうか。


 そういえば結局パウンドケーキを作るのを忘れていた。日をおいて作って桃津郷にもおすそ分けしよう。


 下心は(恋愛方面ではなく単純な打算だが)あるけれど、『女性らしさ』をおおっぴらに見せたいのも本心だ。

 手作りお菓子なんて、女の子らしいじゃないか。味はプロには劣るけれど、バレンタインくらいしかキッチンを調理場として利用しないチワワよりはマシなはず。さっきマカロンを食べた者は、誰ひとり『まずい』とは言わなかったし。

 嘉一に気を使ったということはない。絶対ない。



 さて、パウンドケーキは何味にしよう。プレーンかチョコか、抹茶やベリー系も捨て難い。手元のメモの余白に候補を書き出して。


 ふと。実は今、かなり女子高生しているのではないかと気付く。


 授業中の手紙のやり取りというものをドラマで見たことがある。今は授業ではなくホームルームだが、状況はかなり似通っている。

 嘉一の機嫌は急上昇。早速新しいメモ用紙にパウンドケーキのレパートリーを書き出す。自分で見るだけなら余白で十分だが、見せる相手がいる場合は体裁だって大事だ。


『パウンドケーキの味だけど、どれが好き?プレーン・ココア・抹茶・ベリー・バナナ・レモン・紅茶・リンゴ・』

 ユズ、と続いて書こうとして、漢字に迷う。『ズ』は子だったはず。『ユ』の偏は『木』だが、(つくり)はどう書くんだったか。とりあえず飛ばして、『イチジク・パイナップル・サツマイモ・カボチャ』と続ける。

 ああ、そうだ、木に由だ。ようやく思い出して足そうとしたが、既に書き込む余地がない。さてどうするか。裏側に書くのは不格好だし、二枚重ねるのは野暮ったい。


 悩んだ末、結局柚子は書かないことにした。

 四つ折にして(テレビで見た凝った折り方は知らない)桃津郷へ投げる。メモを開いた桃津郷は一瞬微妙な顔をした。すぐに何か書き足して元通り折り畳んで投げて返す。

 広げればリンゴを赤い丸で囲み、裏に『ごまかすな』の文字。ごまかされてくれなかったか。



 リンゴのパウンドケーキは数日を空けよう。三日続けてだと、流石に親衛隊の目が厳しい。もちろんゼリーもタルトも併せて『本命用』を用意するつもりだ。

 転入生らには、正直渡したくない。マカロンを食べられたときは多めに作っておこうと思ったが、数を用意するのも中々面倒なのだ。

 元々自分で食べ切れる分しか作っていなかったから、持っているのは小さいパウンド型だし、オーブンも小型のものが一台だけ。焼くのに40分もかかるのを考えれば、数は最小限に留めたい。


 転入生は口先で丸め込めばいいし、書記や副委員長は転入生が食べなければ不要のはず。本命用は後で自分で片付けよう。



 ニヤニヤとメモを広げていると、横から手が伸びる。

 またか、と身体が強張る。



「ホームルーム中に何してるの?」


「……すみません」



 ただ、上から降るのは途切れ途切れの掠れたものではなく、よく通るはっきりした声だ。



 副委員長は嘉一の手元からメモを取り、ざっと目を通す。

 一応今はホームルーム中で、嘉一は各係の話し合いにも参加せず手紙のやり取り。弁解の余地はない。



「ホームルームは遊ぶ時間ではないはずだけど。僕の認識が間違ってるのかな?」

「……………すみません」

 副委員長はメモを机の上に置く。


「僕は柚子が一番好きだな。この中にはないけど」

「……そうですか」

「柚子のお菓子全般が好きなんだよね。ねえ平凡、何か作れないの?」

「………」


 パウンドケーキのレパートリーの中にはもちろん柚子もある。書き切れなかっただけだ。

 嘉一は持ち物はフリルやレースと華やかな洋風を好むが、食べ物の好みは和風に近い。緑茶に合う和テイストのお菓子はそれなりの幅がある。柚子を使った菓子なら十数種類、そのうち数種類はレシピを必要としない程に作り慣れている。


 逡巡、それから、視線を落とした。



「……すみません、作れません」



「そう、残念」

 副委員長は興味をなくしたようで、転入生を囲む輪に戻る。




 遅れて激しくなる鼓動。無理矢理押さえ込むように胸の上を拳で押した。



 嘘を吐いた。年端もいかない子供のような、小さくて下らない嘘。

 でも小さいがゆえに、きっとずっとばれない嘘。



 嘉一の、小さな反抗。

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