例外
ヤマトが木製の重い扉を開けた。
家の中は薄暗く、奥に延びる廊下と、右手側に階段が見えた。
「おじさんいるー?」
「おお、ヤマト君か」
中年の男が階段をドタドタと降りてきて、玄関で靴を脱いで待っていたヤマトに駆け寄る。
「ありがとう!本当にありがとう!本当にっ……」
男は言葉に詰まり、目頭を押さえてヤマトに微笑みかけた。
「ふふっ、こんな風に泣いてしまうつもりはなかったんだけどね。ごめんね、ただ、本当に嬉しいんだ。だめだ、うまく言葉がまとまらない。とりあえず奥で話そうか」
男は涙を隠すようにして背を向け、廊下を歩き出す。
ヤマト達はその場で靴を脱いで男を追いかけた。
廊下を抜けると、小さな机や台所、本棚などが置いてある、こじんまりとした居間にたどり着いた。
「ごめんね、一人暮らし専用みたいな場所だから、ちょっと狭いんだよ。そこの椅子に座っといて」
男は机を囲む椅子を指差して台所に向かっていった。
ヤマトは遠慮なく椅子の一つに腰掛け、ファミアもそれに続いて座る。
オロネスだけは立ってヤマトの背後に控えていた。
すぐに男が四つのグラスをお盆の上にのせて戻って来た。
「あっ、あなたも座っていいんですよ」
男が机の上にお盆を置いてグラスを配膳しつつ、立ったままのオロネスに言った。
「いえ、気にしないでください」
「え?あ、はい」
オロネスが謎にきっぱりと言い切ったので、男は戸惑いながら腰掛けた。
「改めて、クトゥルネを倒してくれてありがとう!これでようやく店を再開させることができる。社会的な意味では、本当に命の恩人と言っても過言じゃない!町のみんなも絶対喜んで……」
男は言いかけて、ヤマトがうずうずしていることに気がついた。
「……どうやら、早く恩を返した方が良さそうだね。皮剥魔術を見せるから、台所に来てくれるかな」
そう言って男が立ち上がったのを見て、ヤマトが待ってましたと言わんばかりに立って、弾むように歩き出した。
ファミアとオロネスも、こういうときは分かりやすい人だな、と思いつつ男についていった。
台所には大皿の上にリンゴが三つ、ブドウが二房置いてあり、男はリンゴの一つを片手で持った。
「見ててね」
男は大きく息を吸って吐き、リンゴをじっと見つめて詠唱を始めた。
「籤韉轟燦齧兤璢贐……」
リンゴを持っている手から少量の魔力が吹き出し、リンゴに纏わりつく。
数秒後、リンゴの皮が内側から綺麗に半分に割れ、その割れ目からつるりと皮が剥かれた。
役目を終えた魔力が手に戻る。
剥かれた皮の内側にはリンゴの果肉が一切付いておらず、かつ淡い黄色の体の方にも赤の皮が付いていない。
「ほほーなるほど!術式で直接皮を剥くのではなく魔力を操作することで皮と実のわずかな隙間に魔力を滑り込ませて読み取りそこを機転にしているのか!最後の皮が半分に割れたのは……ん?ここくらいは基礎魔術を組み込んでいると思ったが違うのか。ということは……」
「え、えっと……」
腰になって綺麗に剥かれたリンゴを見つめ、興奮していつも以上に早口に考察していたヤマトに、男はかなり困惑しつつ、控えめに割り込んだ。
「……魔術として同じ枠組みに入るとも考えられるがこの中に未知の言語が二つも……」
といった具合に男がせっかく振り絞った勇気は虚しく散り、ヤマトの考察が延々と続いてしまった。
しかし、ここにいるのは男とヤマトの二人だけではなかった。
「申し訳ありません。ヤマト様は魔術が絡むといつもこんな感じで……。ですので、とりあえず私たちに説明して頂けますか?」
オロネスはこうなったらヤマトは止まらない、と感じ取り、苦笑まじりに男に提案した。
「あっ、はい、分かりました」
男は朗らかな笑顔を取り戻した。
「さっきのが皮剥魔術。文字通り、皮を剥く魔術です。先ほど提供させていただいたリンゴジュースも、この魔術を使って皮を剥いてから磨り潰したものです。この代々伝わる魔術を利用して、果物を加工や盛り付けをし、ここの奥にある飲食店で提供させていただいております」
男が胸に手を当てて、軽く一礼した。
男はかなりの美形で、やつれていても様になっていた。
「し、質問しても、いい、ですか?」
ファミアが恐る恐る手を上げた。
やはり自分が炎妖族であることを理由に差別意識を持たれていないか、という不安があるのだろう。
「いいよ」
ファミアは男の柔らかい返答に、硬い表情を少し緩めた。
「あの、ここでいう『皮』っていうのは、魔獣の皮とかも含むんですか?」
「多分含まない、かな。同じ様に疑問に思って、おじさんもやってみたことがあるんだけど、そのときは反応なしだったよ。皮と実の間の空間を意識することが重要だから、魔獣だと複雑になるんだよ」
男は本でも読み聞かせるようにゆっくりとしていて、それでいて引かれるようなしゃべり方だった。
それがよりファミアの警戒心を解いていく。
そしてリラックスしたとき、ファミアがあることに気がついた。
「……って、え?想像のこと、言っても大丈夫なんですか?」
「はい、問題ないですよ」
男が相変わらず朗らかな笑顔だったのを見て、ファミアが安堵すると同時に、より困惑を深めていった。
「じゃあヤマトに伝承してもいいと……?」
「はい、悪用もしないでしょうし」
困惑はもちろん残っていたが、ならいいか、という様にファミアは納得した。
しかし、話についていけない者が一人いた。
オロネスがご満悦のヤマトに近づいていって囁きかける。
「あの、彼らは何の話をしているのですか?」
「?……あー、お前は知らなかったな」
まだ新魔術発見の興奮の余韻を残してニマニマしていたヤマトが話し出した。
「人間の世界では、地域ごとに色んな特異特殊魔術が根付いているんだ。そして人はその魔術をもとに稼ぐ。となると、その魔術が他の地域に流出すれば、自分達の魔術の独占状態が崩壊して、稼ぎが少なくなる。魔術はものによっては人生を左右するほど金になるものだから、秘密を保つのが常識なんだ」
「では、魔術は安易に見せるものではない、と?」
「いや、例外を除いてほとんどの人は魔術を聞いただけでは行使できない。だから見せるくらいは許容範囲だが、想像まで教えるとなると、その人に魔術が流出してしまう。だから大抵の人は想像について聞かれても秘匿する。このことを『魔術の商標』なんて言い方もするな。あの二人が話していたのはそういうことだ」
「なるほど……」
「コソコソなに話してんの?」
話し込むオロネスとヤマトの目の前にはいぶかしむような目でみるファミアが立っていた。
「何でもない」
ヤマトは素っ気なく答えて台所上のリンゴを手に取った。
疑問が消えなかったファミアは、代わりにオロネスに聞くと、魔術の商標についてです、と返されたことで納得したようだ。
一方のヤマトは、手に取ったリンゴをヘタから尻までなめ回すように見ていた。
「ではヤマト君。これから想像について伝授するので、よく聞いておいてくださいね」
男はしゃがんでヤマトの目線に合わせ、柔らかい笑みを浮かべた。
「いや、必要ない」
「え?」
ヤマトがあまりにも予想外の発言をしたため、男は何を言っているのか分からず眉をひそめた。
しかしそんなことはお構い無しに、ヤマトがふっと息をつき、詠唱を始める。
「籤韉轟燦齧兤璢贐……」
ヤマトの声は幼く、いつも冷たささえ感じるような淡々とした物言いをしているが、詠唱のときはすべてがプラスに働き、圧倒的な美を感じる声になる。
しかし男には今、ヤマトの詠唱に見惚れ―いや、聞き惚れている余裕などなかった。
「まさか想像の教えを聞かずして、詠唱を一度聞いただけで再現しようと……?」
うわごとのように呟いていると、リンゴの皮が、スパッという空を切る音とともに真っ二つに切れ、ツルリと皮が剥けた。
「はぁっ……?」
男は思わず気の抜けた反応をして唖然としていた。
オロネスは自然と先のヤマトの言を思い出されていた。
『例外を除いて』
例外。
それが目の前の身近な存在だと知って、オロネスは身震いしていた。
「相っ変わらずぶっ壊れてるね……その能力」
ファミアは肩をすくめて剥かれたリンゴをまじまじと見た。
皮に実が付かず、実に皮が残っていない、男の詠唱と変わらない、完璧な魔術だった。
「天才だ……いや、あのクトゥルネを倒せるんだからこれくらいは当たり前なのか……?」
男の中に様々な感情がぐるぐると渦巻き、だんだん一つの感情が大きくなっていくのを感じた。
「……果物を剥くっていう効果は予想に入ってなかったね」
「ベタすぎると思って……」
「ヤマト君!もう一つお願いを聞いてくれないかな」
他愛もない話をしていたヤマトとファミアに、男が半ば強引に割り込んだ。
「ん?なに?」
「お願いしかしてなくて本当に悪いけど、なんでもするから聞いてほしい。……僕とサシで戦ってくれないか?」
男が直角になるほど深く頭を下げた。
ヤマトがその男の肩をトントンと指で叩く。
「顔上げて」
言われるがままに顔を上げると、いつもより深みを増したように感じる、不思議な色合いの髪と目がそこにあった。
「いいよ!」
ヤマトはいたずらを思い付いた子供のような、おもちゃを前にした子犬のような顔をしていた。
「それはそっちに入れてー」
「了解」
「これは?」
「それも皮袋に」
「承知しました」
ヤマト、ファミア、オロネスの三人は旅の出発に向けて荷物をまとめていた。
男がヤマトに戦いを挑んだ後、話し合って、ヤマト達の出発に合わせて道中に戦うことになった。
男は出発は明日でもいいんじゃないか、と提案したが、なぜかヤマトは今日中に出発すると言って聞かなかったため、そのような予定になっていた。
買い出し等はギルドに顔を出すまでには終わらせていたため、本来荷物をまとめる必要はないはずだだった。
だが、男が飲食店で出しているというスイーツをヤマト達に差し出そうと言い出したのだ。
クトゥルネの件についてはヤマトにも責任があったため、初めは受け取ろうとはしなかったのだが、押しに押されて結局は受け取り、丁寧に保管して旅の途中で食べようということになったのだった。
「よし、これで全部かな」
なんだかんだで甘いもの好きなファミアはスイーツを多めに詰め込んだのだった。
「じゃあ行こっか!」
ヤマトは瞳に強い光を宿し、荷物を持って歩き出した。




