ありがとう
ヤマトは最年少魔術師である。
魔術師になる方法は、例外を除けば魔術学院を卒業することのみである。
魔術学院は20歳以下なら入学金を払えば誰でも入学することができる。
人々は生まれたときに魔力値を測られ、魔力が多ければ魔術師の才があるとみなされ、4歳になったときに魔術学院へ入学する。
ヤマトは生まれたときの魔力値は平均以下だった。
魔術を使えば一度で倒れしまうほどの魔力量だ。
誰もが魔術師になることを諦め、諦めさせる。
しかしヤマトは魔術が大好きだった。
いずれ魔術師になりたいと夢見て2歳で魔術学院へ入学。
入学してからは寝る間も惜しんで、否、寝ている間さえも努力し続けた。
周りからは気持ち悪がられ、友達なんぞ一人もできなかった。
しかし結果的に飛び級に飛び級を重ねて若冠7歳で魔術師となった。
さらに3年間アステラで魔術の研究をし続け、限界を感じたヤマトは旅立ちを決意した。
アステラでサンドウルフの討伐に貢献し、無事に旅立つことができたヤマトは、ローム王国のフィーロという町に向かっていた。
そこにはヤマトの知らない魔術が根付いているからである。
ヤマトが淡々と平原を歩いていると、鳥型の魔獣に襲われている商人がいた。
「やめろやめろお!どっか行ってくれえぇ!」
どうやら鳥型魔獣は、商人が引いている荷車を食い荒らそうとしているようだった。
商人は魔獣を引き剥がそうと試みているが、かなりの体格差があって魔獣はビクともしていなかった。
鳥形魔獣はロスト砂漠に棲む、2メートル強の鷲のような魔獣である。
白い毛並みが特徴の魔獣で、サンドウルフと並んでロスト砂漠を象徴する魔獣で、デザートバードという名前がついている。
巨体ながらにその飛翔速度はとても速く、サンドウルフの天敵と言われていた。
ヤマトはデザートバードを見た途端、目の色を変えてデザートバードに向かって走っていった。
走るペースは一定に保ちつつ、詠唱を始める。
「黴鐵鬣黶鬣璽癭兤兤鬣黶齧……」
ヤマトの小さな人差し指の先にオレンジ色のモヤモヤが現れ、詠唱が進むとモヤモヤは火球となった。
ヤマトが指を線を描くようにして動かすと、火球は指の動きに呼応するようにしてデザートバードに向かって放たれた。
火球は商人の積み荷を上手い具合に避け、目映い光を発し、デザートバードの頭部に向かっていった。
しかしデザートバードは火球が当たる寸前で避け、掠る程度に留めた。
しかしながら掠る程度だったとはいえ、サンドウルフを一撃で仕留めた火球である。
掠った部分は無残に焼けただれていた。
デザートバードはやけどが痛むのか耳障りな鳴き声を上げて、その場から飛び退き、上空へ撤退する。
「えっ?何が起きた?」
やけくそでデザートバードを叩いていた商人は、突然デザートバードが飛んでいって、安堵するよりも先に困惑していた。
だがそんな商人など目に入っていないヤマトは、デザートバードの様子を興味津々といった様子で観察しつつ、口を開く。
「なるほどなるほど、図鑑通り動体視力にかなりたけているようだな!そして何よりその飛行速度だ。風魔術を使っているようだがいつ詠唱したんだ?そもそも魔獣は詠唱できるものなのか?」
ヤマトは頬を紅潮させ、満面の笑みを浮かべて目をキラキラと輝かせていた。
しかもアステラでのサンドウルフ討伐のときとは人が違ったように饒舌だった。
「まあ試してみればわかることか」
ヤマトはふぅと息をつき、真っ直ぐにデザートバードを見据え、詠唱を始める。
「黴鐵鬣黶鬣璽癭兤兤鬣黶齧璽齧鑿燦霽齧禰癭鏽黶黴璽黶齧鑿璢璽贐璽贐癭璢兤轟燦韉鬣黴璽醱贐鏽璽贐癭黶齧鐵齧籤璽黴齧黷齧鑿」
彼は50語以上もある詠唱を10秒とかからずに終わらせた。
詠唱が完了すると同時に、ヤマトの右手の周りに7つの火球を出現した。
しかし先ほどとは違って、7つの火球はどれも閃光を発してはいなかった。
どちらかと言えばサンドウルフ討伐時にいた魔術師の火球に近かった。
「力を抜いてやるからしっかり避けてくれよ?」
彼が右手を突き出すと同時に、7つの火球が一斉に放たれ、上空のデザートバードを追尾していく。
7つの火球は意思を持ったように連携してデザートバードを追い詰めるが、スピードが足りていなかった。
そのためデザートバードが火球を避けるのは簡単だった。
しかし、火球は段々と速度を上げていき、火球がデザートバードの飛行速度を上回った。
あと少しで追い付かれるというところで、デザートバードは大きな鳴き声を上げた。
デザートバードはそれを境にぐんぐんと速度を上げていき、再び火球よりも早く飛行し始めた。
ヤマトは今のデザートバードの動きをもとに、俯きがちに考察を始める。
「ほうほうなるほど!その鳴き声に詠唱が含まれているという理解でよさそうだな!汚い詠唱で分かり辛いが、多分下位風魔術、強風だろう。おそらく、そのでかい翼と巨体がなければ強風を受けて移動速度を上げることもできないんだろうな。やってみなければわからないが、人間には使えない技だろう。しかしゴミをどっかに飛ばして遊ぶことしかできない地味な魔術だと思っていたがこういう使い方もできるのか。いやしかしそれなら中位魔術の方が使い勝手がいいだろうに。しかも詠唱速度も並じゃない。疑問が尽きないな。おもしろい!……あれ?あいつどこ行った?」
ヤマトがキョロキョロと辺りを見回すと、はるか彼方にデザートバードが見えた。
どうやら長々と考察している間にデザートバードは逃げて行ってしまっていたようだ。
ヤマトのテンションは一気に地の底へと下がってしまった。
商人は危機は去ったとみなし、ヤマトに駆け寄っていった。
商人はヤマトの目線に合うようにしゃがみ込んみ、話しかけた。
「助けてくれてありがとう。すごい魔術の腕なんだね?名前は?」
しゅんとしていたヤマトは目の前の商人を見て短く返す。
「ヤマト」
「最年少魔術師の!?会えてうれしいよ!」
商人は名前を聞いただけでその正体に気づいたようだ。
商人は目を輝かせてヤマトの両肩を持った。
ヤマトは不機嫌そうに眉をひそめて言った。
「先急いでるから」
ヤマトが商人の手を振り払おうとする。
「待って待って待って、何かお礼をさせてよ。どうせ行き先はフィーロでしょ?一緒に行こうよ。」
ヤマトは少し悩んだ後、「わかった」と言った。
商人は荒れた荷車を急いで立て直し、荷車引いてヤマトの隣を歩き始めた。
商人優しそうな表情を緩め、隣を歩くヤマトに話しかける。
「おじさんの名前はラスク。改めてありがとうね。死ぬかと思ったよ」
「……?ありがとうって何?」
「……!」
ラスクは目を見開いて絶句した。
「ありがとう、という言葉を知らないのかい?」
「うーん?うん、知らない」
実はヤマトは生まれてから「ありがとう」という言葉をかけられた覚えがなかった。
両親は2歳でヤマトを魔術学院に入学させ、ヤマトの前から姿を消した。
幸い魔術学院には寮があったし、両親は大金を残していったため、衣食住にはあまり困らなかった。
しかし、ヤマトは親の愛を受けずに育った。
しかも気持ち悪がられていたヤマトは、ありがとうという言葉さえも知らなかったのである。
ラスクはそんな事情を知るよしもなかったが、なんとなく、優しく教えてあげようと思った。
「ありがとうっていう言葉はね、相手が自分のためになにかをしてくれた時に、その感謝を伝える言葉なんだ」
「……?ラスクのために何かした?」
ヤマトが小首を傾げる。
「別に君が何かをしたあげようと思っていなくてもいい。ただ、結果的に君の行動がおじさんのためになったってこと」
「わかったけど、その言葉って言う意味あるの?」
ラスクはうーん、と少しうなってから答えた。
「ありがとうって言われると、不思議なことに少し心が暖かくなるんだよ」
「火魔術……いや精神操作魔術ってこと!?」
魔術の可能性を考えたヤマトはいきなりテンションが上がった。
「違う……んじゃない?」
ラスクは苦笑いしながら柔らかく否定する。
完全に否定することは出来なかったようだ。
ヤマトはまたテンションが下がったが、先ほどよりも機嫌は良くなっていた。
ヤマトはその後、ラスクに質問攻めされていたが、やがて会話が途切れた。
すると、不意にヤマトはぶつぶつと何かを言い始めた。
「何を言ってるんだい?」
ラスクは純粋な興味を持って話しかけた。
ヤマトはぶつぶつと言いながら、目をピクピク動かして何かを伝えようとしている。
「ちょっと待ってってこと?」
ラスクの言葉にヤマトが首肯する。
約30秒後、ヤマトは軽くため息をついた。
そしてラスクの問いに少し熱を帯びた声で答えた。
「体内魔力増幅魔術。生まれたときに持っていた魔力の1パーセントを現在持っている魔力に上乗せするという唯一魔力を増幅する効果のある魔術だ」
「なるほど、魔術師の基本ってことだ」
ラスクがニコリと笑いかける。
「そう」
その後もヤマトは体内魔力増幅魔術の美しさについての語りが続いた。
ラスクは1%も分からなかったが、ヤマトが楽しそうに魔術の話をしていたため、不思議と飽きることはなかった。
そんなこんなで歩みを進めていると、いつの間にか夜になっていた。
「今日はこの辺りで寝ようか」
ラスクは平野のなかでも安全そうな洞穴を見つけ、ヤマトに声をかける。
ヤマトは、昨夜からずっと歩いていたのもあり、既にうとうとしていた。
ラスクは夜営の準備をしようと、荷車の中を軽く片付けて、二人が寝られるだけのスペースを作った。
地面に寝るよりも、木の暖かみの中で寝たほうがよく寝れると思ったからだ。
ヤマトはご飯も食べずにそこに横になると、10秒ほどで寝てしまった。
(ふふ、天才魔術師とはいえやっぱり子供は子供だね。可愛らしい寝顔――)
「……黴鬱兤饗癭璢轟醱籤黴璢麗饗鬣兤……」
「うぉ!?」
ヤマトはぶつぶつと何かを言い始めた。
ラスクはヤマトが起きているのかと思ってヤマトの顔を覗き込むが、瞼は閉じている。
揺すってみても止まる気配はなかった。
完全寝ているのである。
そしてラスクにはヤマトが言っていることに聞き覚えがあった。
体内魔力増幅魔術である。
すなわちヤマトは寝ているが、体内魔力増幅魔術の詠唱をしているのである。
ヤマトはこうしていつも寝ている間も努力を積み重ねているのであった。
(うわあ……前言撤回。全く可愛くない……)
そうラスクが思ってしまったのも無理はない話であった。
翌朝。
ヤマトが荷車の中からムクリと起き上がって外とに出ると、既に起きていたラスクが火を起こしていた。
「おはよう。よく寝れた?」
「うん」
ヤマトは瞼を擦りながら短く答えた。
(あれで寝れてるんだ……)
ラスクは密かに畏怖の念を抱いた。
「フィーロまではもう近いから、昼頃には着くんじゃないかな?」
「わかった」
ヤマトは少し嬉しそうに、弾むような相槌を打つ。
ヤマトは普段ずっと無表情だ。
そんなヤマトが感情を面に出すのは魔術に関するときだけだ。
次の町が近づく程度でヤマトの感情が滲み出るのは珍しい。
相当楽しみにしているようだった。
ラスクの言う通り、フィーロまではそう遠くない道のりであった。
道中は常にヤマトが詠唱していたくらいで、特に何事もなくフィーロに着いた。
「じゃあここでお別れだね。ありがとう」
「またそれ。何がおじさんのためになった?」
ラスクのありがとうという言葉にヤマトが反応して首を傾げる。
ヤマトの青のような紫のような不思議な黒髪がフワリと揺れた。
「おじさんはね、短かったけど、君と一緒に旅ができて嬉しかったんだよ。だから、ありがとうね」
ラスクはニコリと微笑んだ。
「そっか。じゃあ僕も、癭禰籤韉癭麗齧」
「ありがとうは魔術じゃないよ!?」
ラスクの突っ込みにヤマトはいつもの無表情を少し和らげた。
「バイバイ」
「またね」
ヤマトとラスクは別れの言葉を言うと、互いに背中を向け、それぞれ自分たちの道を歩きだした。




