ありがとう
少年、ヤマトはアステラを出て、ローム北西部のフィーロという町を目指した。
アステラを出た翌朝、ヤマトは鳥型の魔獣に襲われている商人と出会った。
「やめろやめろお、どっか行ってくれえぇ」
鳥形魔獣はロスト砂漠に棲む、2メートル強の鷲のような魔獣で、デザートバードという名前がついている。巨体ながらにその移動速度はとても速く、サンドウルフの天敵と言われている。
ヤマトはデザートバードを見たとたん、目の色を変えて詠唱を始めた。
「黴鐵鬣黶鬣璽癭兤兤鬣黶齧…」
ヤマトの小さな人差し指の先に火球があらわれ、指の動きに呼応するようにして火球が放たれた。商人の積み荷を避け、デザートバードの頭部に直撃するように完璧な軌道を描きつつ閃光をまき散らす火球であったが、デザートバードはそれを避け、掠る程度にとどめる。耳障りな鳴き声を上げつつ、その場から飛びのいて上空へ撤退した。
「なるほどなるほど、図鑑通り、動体視力にかなりたけているようだな!そして何よりその飛行速度だ。風魔術を使っているようだが、魔術は詠唱しなければ使えないものなんだぞ?いつ詠唱したんだ?魔獣は詠唱できるものなのか?」
ヤマトは頬を紅潮させ、満面の笑みを浮かべつつ、人が変わったように饒舌に考察する。
「試してみればわかることか。黴鐵鬣黶鬣璽癭兤兤鬣黶齧璽齧鑿燦霽齧禰癭鏽黶黴璽黶齧鑿璢璽贐璽贐癭璢兤轟燦韉鬣黴璽醱贐鏽璽贐癭黶齧鐵齧籤璽黴齧黷齧鑿」
彼はこの詠唱を10秒とかからずに終わらせ、それと同時に右手の周りに7つの火球が出現した。それらはどれもサンドウルフの時のように閃光を発してはいなかった。
「力を抜いてやるからしっかりよけてくれよ?」
彼が右手を突き出すと同時に、七つの火球は上空のデザートバードを追っていく。
彼の言葉通りデザートバードはすべてよけていく。しかし、火球は段々と速度を上げていき、ある時を境にデザートバードは大きな鳴き声を上げるようになった。
「なるほど、その鳴き声に詠唱が含まれているという理解でよさそうだな!恐らく下位魔術、強風だろうな。でかい翼とその巨体じゃなければその抵抗を受けて移動速度を上げることもできないだろ。ゴミをどっかに飛ばして遊ぶことしかできない地味な魔術だと思っていたがこういう使い方もできるのか。しかしそれなら中位魔術の方が使い勝手がいいだろうに。あと詠唱速度も並じゃない。疑問がつきないな。おもしろい!…あれ?どっか行っちゃった。」
長々と考察している間にデザートバードは飛んで行って、ヤマトは急にテンションが下がってしまった。商人がヤマトに話しかける。
「助けてくれてありがとう。すごい魔術の腕なんだね?名前は?」
「ヤマト」
「最年少魔術師の!?会えてうれしいよ。」
商人は名前を聞いただけでその正体に気づいた。ヤマトは少し不機嫌そうに言った。
「先急いでるから」
「まってまって、何かお礼をさせてよ。どうせ行き先はフィーロでしょ?一緒に行こうよ。」
ヤマトは少し悩んだ後、「わかった」と言った。
商人は荷車を押しつつ、ヤマトの隣を歩く。
「おじさんの名前はラスク。改めてありがとうね。死にかけたよ」
「…?ありがとうって何?」
ラスクは絶句する。そして何かためらうような表情をした後、意を決したように言葉を発する。
「君、両親は?」
「さあ?知らない」
ラスクはこのやり取りである程度の事情を察したようである。ヤマトが生まれてからありがとうという言葉をかけられたことがないということを。
「ありがとうっていう言葉はね、相手が自分のためになにかをしてくれて、その感謝を伝える言葉なんだ。」
「…?ラスクのために何かした?」
「別にそんな意図がなくてもいい。ただ、結果的に君の行動がおじさんのためになったってこと。」
ラスクは困惑の顔を浮かべつつも即答する。
「わかったけど、その言葉をかける意味ってあるの?」
ラスクは少し唸ってから答えた。
「ありがとうって言われると、不思議なことに少し心が暖かくなるんだよ。」
「精神操作魔術ってこと!?」
いきなりヤマトのテンションが上がった。
「違う…んじゃない?」
ラスクは苦笑いしながら柔らかく否定する。完全に否定することは出来なかったようだ。ヤマトはまたテンションが下がったが、先ほどよりも機嫌が良くなった。
一度会話が途切れたとき、ヤマトはぶつぶつと何かを言い始めた。ラスクが疑問を持って話しかける。
「何を言ってるんだい?」
ヤマトはぶつぶつと言いながら目で何かを伝えようとしている。
「ちょっと待ってってこと?」
ラスクの言葉にヤマトが首肯する。
約30秒後、軽くため息をついて少し熱を帯びた声で答えた。
「これは体内魔力増幅魔術。生まれたときに持っていた魔力の1パーセントを、現在持っている魔力に上乗せする、唯一魔力を増幅する効果のある魔術だよ」
「なるほど、魔術師の基本ってことだ。」
「そゆこと」
その後も二人が会話に花を咲かせていると、いつの間にか夜になっていた。
「今日はこの辺りで寝ようか。」
ヤマトは、昨夜からずっと歩いていたのもあり、既にうとうとしていた。ラスクは積み荷のなかを軽く片付けて、二人が寝られるだけのスペースを作った。ヤマトはそこに横になってわずか10秒ほどで寝てしまった。
(天才魔術師とはいえやっぱり子供だね。可愛らしい寝顔…?)
「…黴鬱兤饗癭璢轟醱籤黴璢麗饗鬣兤…」
「うぉ!?」
なんとヤマトは寝ている間にも体内魔力増幅魔術の詠唱を始めたのである。
(うわあ…全く可愛くない)
そうラスクが思ってしまったのも無理はない話であった。
翌朝。ヤマトが起きるとラスクは既に起きていた。
「おはよう。よく寝れた?」
「顔色悪いね」
「まあ、ね」
会話が噛み合っていないが、これはヤマトの人付き合いの経験の無さが故であった。ラスクは顔色が悪いことを誤魔化したが、理由は言うまでもない。
「フィーロまではもう近いから、昼頃には着くんじゃないかな?」
「わかった」
ヤマトは少し嬉しそうに相槌を打った。
ラスクの言う通り、フィーロまではそう遠くない道のりであった。道中は常にヤマトが詠唱していたくらいで、特に何もなくフィーロに着いた。
「ありがとう。じゃあここでお別れだね。」
「またそれ。何がおじさんのためになったの?」
ラスクの、ありがとうという言葉にヤマトが反応した。
「おじさんはね、短かったけど、君と一緒に旅ができて嬉しかったんだよ。だから、ありがとうね。」
「そっか。じゃあ僕も、癭禰籤韉癭麗齧」
「ありがとうは魔術じゃないよ!?」
ヤマトは魔術言語でありがとうという発音になるように言葉を発した。ヤマトはいつもの無表情な顔を少し和らげて言った。
「バイバイ」
「また会おう」
このラスクの言葉が別れの言葉になった。




