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第4話 お墨付き。

 差し出した手のひらに彼女の手が触れた瞬間、頭の中で響いていた声がぴたりと止んだ。部屋の中に彼女が足を踏み入れた瞬間に声が遠ざかったのでやはりと思っていたが、こうして完全に声が聞こえなくなれば、自分の考えが正しかったのだと確信できるというもの。

 この声は魔王が使った最期の魔法であり、魔王と対極に位置する神聖力だけが、この魔法を抑えてくれるのだという考えが。


「では、ディートリヒ様はベッドへ。わたくしはここに座って、考え事でもしておりますから」


 ディートリヒにエスコートされ、ベッドの傍らに置いた一人掛けのソファに身を沈めたアウレリアは、のんびりとした口調でそう告げた。その手は、ディートリヒに握られたままに。

 そんなアウレリアを前に、ディートリヒは僅かに居心地が悪くなる。まさか一国の王女の前で、しかも彼女を座らせたままにして、横になり、眠ることになるとは。

 ベッドに腰かけた段階で、「……本当に、眠られないのですか?」と声をかけたディートリヒに、アウレリアはこくりと頷いて見せる。ベールの向こうで、彼女がくすりと笑った気がした。


「わたくしが座ったままだと、ディートリヒ様は気になって仕方がないかとは思いますが、これだけは諦めて下さいませ。わたくしにも、色々と事情がありますもので」


 しっかりとした口調でそう告げたアウレリアは、「わたくしのことは気にせず、お眠りください」と続けた。

 ディートリヒはそれでもしばしの間躊躇った後、一つ息を吐き、ベッドに横になった。控えていた侍女が灯りを消し、部屋から去って行く。うっすらと、カーテンの隙間から差し込む月明りだけが、部屋の中を照らしていた。


 ……静寂が、これほど心地良いとは……。


 自分と、そしてアウレリアの呼吸音だけが柔らかく耳に届く。力を込めれば簡単に折れてしまいそうなほど、か細い彼女の手を、細心の注意を払って握りなおして。

 ディートリヒはひと月ぶりに、深い眠りへと落ちて行った。






 ゆっくりと、瞼が重たげに開いていく。ぼんやりとした頭に、窓の向こうから覗く太陽の光が眩しい。心地良い、寝起きの倦怠感と、遠く聞こえる小鳥の鳴き声。

 朝が来た。


「……朝……」


 ぽつりと、知らず呟く。息を深く吸い、吐き出して。思わず、笑った。ひと月ぶりに、朝が来たと感じた。静かな朝が来た、と。

 夜が来て、眠って、朝が来る。当たり前のそんな時間を過ごすことが出来たのだと、そう思ったから。


「……もう少し、寝ていても良かったか……」


 言い、枕の上で軽く首を横に振る。自分はそれでも構わないかもしれないが、ことは自分だけの問題ではないから。

 逃がさないとでも言うように、優しく、しかし確実に握られた手の平の中には、頼りない感触。変に力が入らないように気を付けながら、ゆっくりと半身を起こし、ディートリヒは顔を横に向けた。

 昨日と同じ格好で、ソファに腰掛けたアウレリアに、「おはようございます」と小さく声をかける。たった一日でも、こうしてゆっくりとした睡眠時間を取ることが出来た。国王には、効果があったら次もお願いしたいとは言ったが、彼女がそれを拒むかもしれない。寝ている自分の横で、一晩中起きていたのだから。もし次はないと言われたとしても、それはそれで仕方がないことなのだと、そう心の中で自分に言い聞かせながら、アウレリアの返答を待って。

 僅かに、首を傾げる。数度、瞬きを繰り返して。

 まさか、と思った。


「……アウレリア姫?」


 確かにソファに腰掛けた姿は、一見すれば昨日と変わりないようだけれど。まじまじと観察すれば、僅かに身体が傾ぎ、ソファの背もたれに頭を預けている。すうすうと、穏やかな寝息が聞こえてきていて。

 不安に、なった。


 眠れない事情があると仰っておられたが……。眠ってしまって大丈夫なのだろうか。何か、姫の身体に不都合でもあるのではないか……?


 思うも、だからと言って無理矢理起こすわけにもいかず。どうすべきかと困り果てた時だった。とんとんと、小さく部屋の扉が叩かれたのは。


「アウレリア姫。シュタイナー卿。入ってもよろしいでしょうか」


 聞こえて来たのは、昨日アウレリアの背後に控えていた侍女の声。確か、アマンダとか言ったか。この状況をどうすれば良いか分からなかったディートリヒは、思わずほっと息を吐き、「構わぬ」と答えた。アウレリアの手を掴んだまま、失礼にならない程度にと、ベッドの端に腰掛ける。

 本来ならば、アウレリアが目覚めていない今の状況で自分が応えるのはどうかと思うのだが。今回ばかりは許してほしい。

 「失礼します」と言って扉を開け、アマンダが部屋に入って来る。シャツにスラックスというラフな姿のまま、アウレリアの手を握っているディートリヒを不思議そうな表情で眺めた彼女は、しかしすぐに自分の主人の方へと視線を向けて。

 動きを止めた。


「……侍女殿。このような格好ですまぬ。アウレリア姫が目覚めないのだが、大丈夫なのだろうか」


 動かなくなったアマンダを不思議に思いながらも、そう問いかける。起こすべきかどうか、それだけでも訊ねなければ。彼女が目覚めれば、この手を離さなければならない。静寂が名残惜しいとは思うが、それもまた仕方のないことである。


「姫は眠れない事情があると仰っていた。眠ることそのものを拒否されておられたように思う」


 「起こした方が良いならば……」と、ディートリヒが続けようとした時だ。「駄目です!」と、アマンダが、囁き声にもかかわらず、有無を言わせぬような強い口調で言ったのは。


「シュタイナー卿。申し訳ありませんが、今しばらくこのままで。動かず、大きな声を出さないでくださいませ」


 言うと、アマンダはさっと身を翻してまた扉の向こうへと消えた。耳を澄ませば、アウレリアの護衛の騎士に何か指示を出しているようである。

 一体どういうことなのかと思いながら扉の方を眺め、再びアウレリアへと視線を戻した。相変わらず、すうすうと、健やかな寝息を立てて眠っている彼女の方に。


 起こしてはいけない、ということは、眠ることそのものは別に構わない、ということなのか。だが、それでは昨日の彼女の言葉と噛み合わないのだが。


 ふむ、と空いている方の手を顎に当てて考える。一体どういうことなのだろうと思ってアウレリアを眺めていたら、「ん……」と小さく声を漏らして、ことりと彼女の首が揺れて。

 少しだけ、顔にかかっていたベールが動いた。隙間から、彼女の顔を覗くことが出来る程度には。

 慌てて、ディートリヒは顔を背ける。眠っている女性の、しかも常に表情を隠している相手の顔を盗み見るなど、男としてあってはいけないことだと、そう思ったから。

 まあ、一瞬でも目にしてしまえば、騎士という職業の性質というべきか、その動体視力の良さにより、細部まで理解してしまうわけで。顔を背けたまま、ディートリヒは僅かに眉をしかめた。


 先程の侍女殿の反応と言い、眠ってはいけないというわけではないようだな。どちらかというと、何らかの事情により眠れなくなっている、という方が正しいやもしれぬ。


 目にしてしまった彼女の顔は、今の自分の状態とよく似ていたのだ。頬はこけ、目は落ち窪み、真っ黒な隈が出来ていて。端的に言えば、やつれている、という状態である。

 普段から眠れないからこそ、アマンダはこうして眠るアウレリアを見て、ディートリヒが起こすことを止めたのだろう。

 とんとん、と、もう一度部屋の扉が叩かれた。


「失礼いたします。お騒がせして申し訳ありませんが、もうしばらくすると国王陛下と妃殿下、王太子殿下がおいでになります。それまで、そのままでお待ちください」


「……何?」


 どういうことだと、ディートリヒは目を瞠る。この場に王族が揃って訪れるなど。それほどに、アウレリアが眠っているという事態は深刻なものなのだろうか。

 だが、しかしだ。


「……陛下たちの前で、この姿は如何なものかと思うのだが」


 アウレリアの前で眠ることになったために、夜着ではないが、最低限の服装である。静寂が名残惜しいのは本当だが、このままではさすがにと思い、立ち上がり、アウレリアの手を放そうとして。

 「いけません!」と、再び強い口調でアマンダが囁いた。


「この場のどのような要因が、女神を鎮めているのか分からない以上、動かないで頂きたいのです。陛下方にも、状況は伝えておりますので失礼にはあたりません」


「……女神を鎮める?」


 アマンダの言葉の中に、奇妙な台詞が聞こえた気がしてディートリヒは思わず問い返す。アマンダは、はっとした様子で息を呑んだ。自分に言ってはいけないことだったのかもしれない。

 彼女は焦ったように視線を彷徨わせた後、ふと何かに気付いたように瞬きをし、息を吐いた。「どのみち、お聞きになることでしょう」と、小さく呟きながら。


「陛下方がおいでになれば、説明して頂けるかと思います。もう少しだけ、お待ちください」


 アマンダはそれだけ言うと、再び扉を開けて寝室から出て行った。呆然と扉を眺めていたディートリヒは、一拍の後に我に返り、立っていても仕方がないからと、再度ベッドの端に腰を降ろした。

 本日何度目になるのか、寝室の扉が叩かれる音が聞こえたのは、アマンダが去ってから半時ほどが経った頃であった。本当に王族がこの部屋に訪れるのかと、少々疑問に思いながら、アウレリアの眠りに支障がない程度で立ち上がり、出来る限り居住まいを正す。

 扉が開き、本当に現れた国王と王妃、そして王太子を目にした時、自分は何か仕出かしてしまったのではないかと心底不安になった。


「ああ、陛下。本当ですわ……。アウレリアが眠っている……。こんなに、健やかに……」


 歩み寄って来た三人は、ディートリヒに目を向けることなくアウレリアの周囲を取り囲む。王妃がそう言ってその瞳に涙を浮かべ、国王はそんな王妃の肩を抱いた。「ああ、本当だ」と、彼もまた、言葉を詰まらせながら。


「この子が生まれてから、二十五年。……初めてのことだ。何の憂いもなく、こうして眠っている姿を見るのは……」


「初めて……?」


 国王の言葉を聞き、知らず呟く。冗談かと思ったが、二人の様子はとてもそうは見えなかった。つまり。


 ……アウレリア姫は、生まれてから二十五年間、まともに眠ったことがないということ、か……?


 通常ならば、有り得ない。有り得るはずがないのだ。たったひと月、ほとんど眠れなかった自分でさえ、衰弱しているといえる状況だというのに。

 考えるディートリヒは、不意に視線を感じてそちらに顔を向ける。国王と王妃の息子であり、アウレリアの兄、王太子クラウスは、ディートリヒと目が合うと同時に、深々と頭を下げた。「ありがとう」と、柔らかく微笑みながら。


「父上の言葉が信じられないのだろうが、全て本当の話だ。アウレリアは、生まれてこの方、一度もこうしてゆっくりと眠っていたことがない。歴代の巫女姫も、皆そうだったと言われている。事情は後程、きちんと説明させて頂く。だからアウレリアが目覚めるまで、このままでいてくれ」


 申し訳なさそうに言うクラウスに、しかし王太子の言葉を無碍に出来るはずもなく。ディートリヒは「もちろん、構いません」と答えるに留めた。

 アウレリアが目覚めたのはそれから更に一時間ほど経ってからのことだった。最初は周囲を取り囲む国王や王妃、王太子の姿に、状況が分からずにぼんやりとしているようだったが、すぐさまはっとしたように背筋を正す姿は、さすが王女というべきか。けれど。


「……あの、わたくし、どうかしましたの?」


 訳が分からない、というように首を傾げるアウレリアに、王妃がぎゅうと抱き着く。「もう大丈夫よ、アウレリア」と、王妃は涙ながらに呟いた。


「これから、貴女の公務に差し障らない程度に、シュタイナー卿に添い寝して頂く時間を取るわ。そうすれば貴女もゆっくり眠れるし、シュタイナー卿も身体を休めることが出来る。ねえ、陛下」


「ああ、それが良い。そうだな、一週間の七日の内、四日は共に眠ると良い。三日だけ、巫女姫としての公務を行うことにしよう。シュタイナー卿は、身体が癒えればまた軍に戻るのだろう? それならば、近衛兵としてアウレリアの護衛騎士となると良い。夜も共に眠るならば、その方が何かと都合が良かろう」


 国王と王妃は、二人でそう話を進めていく。ディートリヒとアウレリア、とうの本人たちを完全に置き去りにする形で。

 事情が分からないディートリヒは、ただ首を傾げて目の前の高貴なる方々に視線を向けることしか出来ず、寝起きのアウレリアもまた困惑した様子で、自分の両親を見上げている。

 一体どのタイミングで口を挟むべきなのかと、ディートリヒが困り果てた時だった。「父上、母上」と、王太子クラウスが口を開いたのは。


「この場で色々と決めてしまうのはどうかと思いますよ。アウレリアも状況が分かっていないようだし、シュタイナー卿もこちらの事情が分からないままなのだから。一度場所を変えるべきでしょう」


 有無を言わせぬ口調は、王族特有のものだろうか。国王も王妃も、彼の言葉にはっとしたように顔を見合わせる。ついでディートリヒとアウレリアの姿に目を向けて。

 「そうだな」と呟いたのは、少しだけ申し訳なさそうな顔をした国王だった。


「気が急いてしまった。許してくれ。もう昼食の時間を過ぎている。二人とも、身支度を整えて広間へ来ると良い。そこで詳しく話をしよう」


 言い、国王は扉の方へと踵を返して王妃の方に手を伸ばす。王妃は少し躊躇うように国王とアウレリアの間に視線を彷徨わせた後、伸ばされた手を取った。「また後で」と、アウレリアに告げ、二人は扉から部屋を出て行く。

 残されたのは言葉を発しても良いのかさえ判断に迷うディートリヒと、国王たちの後ろ姿を見送るアウレリア、そしてそんな両親と妹を苦笑交じりに見遣るクラウスの三人だけだった。

 と、クラウスもまた、「それじゃあ、私もこれで」と呟く。「このままここにいても、邪魔になるだろうからね」と彼は続けた。


「父上の仰ったように、二人とも身支度を整えておいで。話はそれからだ。……アウレリア。慌てなくて良いから、ゆっくりね」


 柔らかく微笑んで言い、クラウスもまた部屋を出て行く。ディートリヒはそんな彼を頭を下げて見送った。部屋に残ったのは、今度こそ、ディートリヒとアウレリアの二人だけ。

 嵐が過ぎ去って行ったような静かな空気に、気付けば二人して、深く息を吐いていた。

いつも閲覧・ブクマありがとうございます!

次からは二日に一度更新となります。

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