第七話(1/3)「『彼女の代わりは俺にしか務まらない』」
昨年度卒業、蛍雪高校OBにして、元生徒会長・三鷹貴也は、誰からも慕われる存在だった。
下級生からは面倒見のいい先輩と言われ、同級生からはお前がいて助かったと何度となく言われた。今でも大学やバイト先では、しっかりものの後輩で通っている。イトコを始めとした親戚からの評判も上々だ。
それでも、彼自身の自己評価は高くなかった。
むしろ自己嫌悪に陥ることの方が多かった。他人に仕事を押し付けないのは、他人に任せるということへの不安感の裏返しに過ぎなかった。
何でもかんでも自分がやらないと、ささいなことでも自分が目を通さないと気がすまない臆病者に過ぎない。そのことを強烈に意識させられたのが、一年前、生徒会庶務・烏山ライカとの出会いだった。
第一印象は最高だった。物覚えが良く、頭の回転も速い。何でも任せられるとばかりに重用していたつもりだった。
しかしあるとき、ライカは何気なくこう言った。
「会長、もっと私に任せていただけませんか」
「お前はもう十分頑張っている。一年にそんなに負担をかけるわけにはいかないからな」
「そういうことではないのです」
一を聞いて十を知る、あうんの呼吸で何でもうまくやってみせる彼女にとって、いちいち三鷹が報告・連絡・相談を事細かに求めてくることが性に合わなかったのだ。
そのセリフに対して三鷹が感じたのは、客観的にライカの発言が妥当か否かということではなく、『こいつ後輩の癖に生意気だな』という、のちに振り返ってみればしょうもない感情だった。もちろんそれを表に出すことはしなかったが、急に彼女とどう接したらいいのか分からなくなった彼は次第に距離を置くようになり、気づけば彼女から仕事を取り上げるようになっていった。
負担が増えたのに、楽になった。
表面的にはいざこざはなかったものの、会長から嫌われているように見えたであろうライカは、次第に周囲からもぎこちない扱いを受けるようになる。それに気づきつつも、特に何もしなかった。
そして卒業式の日に、花束を渡してきた彼女に彼は尋ねた。
「お前、来年も生徒会やるのか」
「そうですね。今度は是非、役職つきで」
「それ、よく考えたほうがいいと思うぞ」
言った瞬間に後悔した。八つ当たりも同然だった。
その発言を、ライカがどう受け止めたかは定かではない。先日、半年振りに会ったときの様子からいって、考えすぎなのかもしれない。しかし二年になった彼女が生徒会を去ったというのは、紛れもない事実のようだっだ。
彼女のようなタイプの人間は、認められない。
そんな見栄とも意地ともつかない、しょうもない感情に振り回されたことが、三鷹にとっては今もしこりのようなものになっていた。
昼間、教室で文化祭のありようについて、もっともらしい理屈を振りかざして感情を露わにしたのも、あまりにも恥ずかしかった。
しかも威勢の良い啖呵を切った挙句の、惨敗。
慕ってくれていたイトコにも幻滅されただろうか。
烏山ライカは、どこまでも魅力的な要素をいくつも兼ね備えている。
しかしその際立つ個性が、周囲のコンプレックスを無自覚に刺激してしまうことが、最大の不幸だった。
目を覚ましてスマホを確認すると、夜の二一時。
中夜祭に参加であろう現役の学生たちも、そろそろ帰宅したころだろうか。
夜勤明けの身体に文化祭はやはりキツく、長い仮眠をとっていた。おそらく家族が夕飯をとっておいてくれているはず。食べてから再び本睡眠に入ろうと思うも、なかなか布団の上から身体が動かない。
不意に着信があった。烏山ライカからだった。
トークではなく、電話をかけてきている。
関係がこじれる前……いやこじれてはないが、まだお互い良好だったころに一応交換したものの、数回しか使わなかったID。
スマホを買い替えたせいで、履歴はすべて消滅してしまった。
彼女に何を言われるのか、自分は何を言ってしまうのか。
意を決して電話に出る。
台風というわけでもないのに、雲をすべて持ってかれたような快晴だった。そして降った雨が蒸発して、湿度が大変なことになっている。
三鷹が蛍雪高校を再訪したのは、文化祭二日目の昼過ぎ。最高気温、今日も今日とて三十四度。
炎天下の上り坂がこたえた。なにしろ四車線の開けた街道には、直射日光を遮るものが一切ないのだ。半年前まではこの道を週五で通っていたのかと思うと、習慣というのは恐ろしいものだと再認識させられる。既に帰ろうとする人は多く、人の流れに逆らう形なのがまたむなしい。
差し入れの入った紙袋を提げながら、青年は道を急ぐ。
(くそ、今晩また夜勤だから、陽の高いうちに帰りたいんだが……)
バイト先の先輩が、自分より先に有給を申請していたのが運の尽きだった。身体はもう投げやりなスピードで歩いていたけど、心が慌てているぶん、余計に消耗している気がする。
受付を素通りしようとして、記帳を求められた。昨日はちゃんと書いたのに。二日連続で来ると、自分が学生に戻ったような錯覚をしてしまうのだから恐ろしい。
昨日出来なかった、挨拶回りをこなしておくことにする。
昨年度の担任を呼び止め、生徒会の顧問に会いに行き、生徒会室に顔を出し、偉そうにOBヅラをしておく。元クラスメイトとばったり再会し、顔見知りの後輩に話しかけられ……。あっという間に時間が過ぎていった。
一息ついたころには、午後の二時半。生徒会室のある最上階から吹き抜けになっている階段を見下ろすと、騒々しかった廊下からは、店じまいをしていないわずかなクラスの呼び込みの声だけが響いていた。最終日のこの時間帯なんて、消化試合みたいなムードだ。
「……タカさん」
背後から話しかけられたのはそのときだった。振り向けば、イトコの咲哉と小鳩が叱られた犬のような、しょぼんとした表情で立ち尽くしていた。
「今日も来られたんですね」
「なんだ、サクか。一体どうした」
「それが……」
「結局ライカと回れてないんだろ?」
「……」
その沈黙は、まさしく図星だった。
想定外のトラブルが発生した。
当初の予定では、ライカは初日にのみ終日シフトに入り「なんだかめちゃくちゃ強くて美人のディーラーがいる」という評判を広めるだけ広め、二日目は終日フリーの予定だった、
ところが二日目に代わってくれるはずだった生徒が、中夜祭で倒れてしまったのだ。
原因は脱水症状。幸い安静にしていれば一両日中に快復するとのことだったが、保健医からドクターストップがかかってしまった。
彼女は今日もシフトに入ってくれとクラスメイトから頼み込まれることとなる。
「評判、すごく良かったから」
「『プロを呼んだの?』って友達が言ってた」
「ライカの代わりは誰にも務まらないって。頼む!」
「しかし、今日はサクが……」とそう言いかけたが、
「え?あの子とまだつながってるの?」
「別の子と付き合ってるの、何度も見たけれど」
「昨日お店に来てたでしょ、なら別にいいじゃない」
口々にそう言われては、多勢に無勢だった。
今までずっと、自分がワガママであることを認め、開き直ってばかりいた。そのせいで、自分がワガママを言うより先に、周りが気を遣って合わせてくれた。だから、周りが行かないでと引き留めてくるのを、押しのける言葉が出てこなかった。
何より咲哉以上に自分が大好きな彼女だから、未だかつてないほどに自分が必要とされているのを無視することは出来なかった。
申し訳ないとは思いつつ、ライカは咲哉に連絡を入れた。
『都合がついたらまた連絡する』
その都合がついたのかそうでないのか、トイレで確認する暇すらなかった。昨日も今日も朝にロールケーキを摂取したきり働き通しで、いよいよ文化祭は終わろうとしている。
いい加減客に提供する飲み物も食べ物が尽きるのではないか?と思っていたが、裏方が近くのスーパーからこまめに補充し続けていることを、彼女は知らなかった。
行列は今も途絶えることもなく外に出来ている。
(楽しかったはずなのに)
ふてぶてしい笑い方をして、尊大に振る舞うのが自然だった。
そうでない話し方がぶりっこのように思えて仕方なかった彼女にとって、そのような振る舞いを求められることは天職だった。
ボードゲームで遠慮なく勝って、ちやほやされることで全能感が満たされた。
今までずっとよそよそしかったクラスメイトとの距離感が、この数日間ではっきり縮まったのもたまらなかった。
しかし気がつけば、そこにも退屈が忍び寄ってきていた。
未だかつてない、予定調和のような退屈。
不意に、脳裏をかすめた存在があった。
自分の魅力は自分が一番良く知っている。
だけど、自分で自分を愛しても、何かが足りない。
(今の自分には、やっぱり少年が足りない――)
ドアを蹴破るようにして勢い良く現れたのは、眼鏡をかけたディーラー姿の青年だった。
ほぼ全く同じ格好になると、身長も体格も良く似ていることが改めて認識される。
「お勤めご苦労だったな」
「会長、来てくれたのですね」
「お前が初めて俺を頼ってくれたわけだからな、応えないわけにはいかなかった」
そう、二年A組が真似をしたのは、去年の三年A組。咲哉も知らないことだったが、実は去年もディーラーに扮した生徒がいた。それこそ前生徒会長・三鷹貴也だったのだ。
昨日ポーカーで惨敗した彼は、かつての部下に頭を下げてそのことを明かした。
「さっきは突っかかって悪かった。高校最後の文化祭で、ディーラーになって『かっこいい』だのなんだのチヤホヤされたのが思い出だったんだ。それをお前が勝手に真似してるのかと思うと腹が立って」
「そういうことでしたか。私が先輩の立場でも不愉快に思うでしょうし、お怒りになるのももっともです。企画責任者はたしなめておきますので」
そしてその夜、彼女から電話がかかってきた。
明日、ライカと入れ替わりでシフトに入る奴が、倒れたこと。
そのため明日も自分が抜けられないであろうこと。
サクとどうしてもデートがしたいのに、出来そうにないこと。
そこで彼女が思いついたのが『一時間だけでいいから私と入れ代わって欲しい』ということだった。
「それは……面白い提案だが、服がどこにあるか分からない。買いに行くとしてもそれなりに時間がかかるぞ」
「それは待ちます。ピークタイムに来ると露見する恐れもありますから、むしろ午後二時を過ぎてから来ていただけると」
「クラスメイトからは大ひんしゅくなんじゃないか」
「もう一部の生徒にはプランを話してます。笑ってくれました」
「何より教師たちにバレたらどうするんだ?オレは怒られるだけで済むだろうが、お前らは」
「OBに手伝わせてはいけない、というルールはありません。怖いのは後悔すること、そしてチャンスを逃すことですから」
「……お前のその自由過ぎる発想、やっぱり生徒会には向いてなかったわ」
「自分でもうすうす気づいてました。地位を築いてチヤホヤされるより、慕ってくれる近しい人間にチヤホヤされるほうが、よっぽど性に合ってます」
クローゼットの奥からようやく衣装をつけ出したのは、夜中の三時のこと。それからようやく眠りについて目を覚ますと、正午を回っていた、というわけだ。
ライカは耳打ちされる。かがんだりする必要のない耳打ちは、新鮮だった。
「サクが廊下で待っているぞ」
「本当ですか」
「ああ、偶然会ってな。事情は説明済みだ」
追い出されるようにして教室のドアを開けると、会いたかった人がいた。
「――!」
感極まって、長い身体が身震いした。
「腕章はどうしたんだ?」
「ああ、審査員の仕事は終わったんで、もう本部に返却しました。だからもう、小鳩とも完全に別行動です」
伏し目がちに言いつつ、少年はスマホで時計を確認する。
「文化祭終了まで、あと一時間十五分しかありませんよ」
「後夜祭込みだと、もう少しあるがな。まあ、それだけあれば十分だ」
「先輩、俺は今でも、小鳩の思いやりのあるところとか、控え目な所とか、目線の近さに強く、強く強く惹かれています。それは多分、先輩に全くない要素です。それでも本当に、一時間で逆転できるんですか?」
「それくらいたやすいことだと、自分を信じている。ずっとずっと前からな。さあ……行こうか」
毎日更新したいと思います。
頑張ります。




