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公主殿下の寵姫さま  作者: 有内トナミ
五章 重陽 編
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百八、 登高・三 正体



「もう、何だったんですかあれ……」


 天香は厚い毛氈の上にぐったりと崩れるように座り込んだ。

 気疲れというか、そのまま麗瑛のひざ元に頭を投げ出して、なめらかな生地とほどよい弾力を枕に感じたいくらいだが――太后の目の前でそこまで気の抜けた姿勢を取るのもどうか、とぎりぎりで踏みとどまる。それでも腕をついて膝を崩した姿勢が精いっぱいだ。


 いや、すでに入ってきたときにさんざん崩れた姿勢を見られているのだから、それこそ何を今さらという話なのだけれども。


「まあ、そう辟易する気持ちはわかりますよ」


 茶杯に口をつけながら、太后がそう言った。


「……お見苦しいところをお見せしまして、申し訳もありません」

「天香がこんなになるのは珍しいことですもの。あれほど強烈なひともそういないと思うけれど」


 麗瑛が言い添えてくれたが、その口調には笑いが含まれていた。

 咎めるようなまなざしを弱弱しく麗瑛に向けても、どこ吹く風というように天香の髪に指が絡められ、そのまま幾度と梳かれる。


「とはいえ、あれと顔を合わせないようにするというのは難しいかもしれませんね、妃殿下」


 その口調は変わらず柔らかい。

 と同時に、どうやらくだんの女人が言っていた通り、本当に太后と彼女は面識があるらしい。顔も見ていないはず、幕越しに漏れた会話だけだろうに、それでも目星がついているかのような言い方をしたからだ。


「――もしかして、あのままお通ししたほうがよかったでしょうか」

「まさか。そもそもここはそなたたちの幕でしょう。勝手に先触れもなしに押し掛けたはあちらのほう。むしろ追い返してくれて清々と――おっと、言いすぎましたか」

「はあ」


 茶目っ気なのか本心なのか、判断がつかずについぼんやりと相槌を返してしまう。

 とはいえ、やはりそれなりに付き合いのある相手なのは間違いではないのだ。太后もあまり快く思っていない相手であるとしても。


「その、顔を合わせないようにするのが難しい……とは?」


 天香は恐る恐る訊ねる。

 つまりは彼女は、この太后陛下でさえ、快くは思わないが真っ向から無碍にすることもできない、そういう立ち位置の人間なのだということだ。それは身構えざるをえない。

 太后は天香と麗瑛の顔を順に見て、


「あの者の名は()鵬媛(ほうえん)。――つまり、李妃香陽(かよう)の母親です」


 言ったその言葉に、


「「あ――あれが!?」」


 天香と麗瑛の声が見事に重なった。


 ◇    ◇


 李香陽、すなわち李妃。

 彼女(りひ)の容姿を思い浮かべてみれば、なるほどやや派手めな顔立ちという意味では似た系統にあるような気がしないでもない。そんな言葉を思ってしまうくらいにぼんやりとした形容しかできないのは。


「お召し物とかそれ以外が輪をかけて派手、と言いますか……」


 天香、今更ながら姿勢を直して腕のあたりの布地を整えて。

 顔本体についての印象が薄い、とまでは言わない。押し出しの強そうな顔ではあった。しかし母娘と言われてそういえば、とすんなりと納得がいくほどに似ていたかと言われれば首をかしげざるをえない。

 やっぱりどうしても衣装と化粧と、それにあの言動が先に立つ。

 李妃のややつかみどころのない――言葉を選ばずに言えば浮世離れした質が、あれから生まれてきたと言われても。


「まあ、乳母や教育役には優れた人を配したと聞いていますからね」


 李家は典型的な代々の高位貴族である。ということは、親が直接育児をするということはまずない。教育に関しても同じだ。専属の乳母がつくし、同じように教育役がつく。親が少しくらい奇抜なところのある(婉曲な表現だと天香は思う)そういう人物であっても、子につく人間がまともであれば、致命的にねじ曲がったような人間はなかなか育たない。

 そして幸いにしてと言うべきか、李家はそういった子女教育に身銭を惜しむ家ではなかった、らしい。李妃は生まれながらに将来は帝か世子への輿入れが予定されたとも聞くし、そうなればなおさら必然、惜しむ必要も理由もないだろう。

 もちろん、まったく何の影響も受けていないということはあり得ないのではないかとも思うけれど。


 天香からすると幾度か交流を持ってきた中で、強情というのか高慢というのか、あのような側面を李妃に見た記憶は全くない。むしろ洪妃よりも他人の話をちゃんと聞いてくれるという印象がある。いや洪妃も話を聞かないわけではない。が、感情的になるのはやはり洪妃なのだ。

 優れた教育役の成果なのか。あるいは反面教師というやつか。


 それはともかくとして、話題の中身は自然と彼女のことになる。


「……画数の多い名前ですね」

「無駄に画数の多い名前よね」

「いや、無駄とまではちょっと……」


 そういうことが言いたかったわけではなくて。無駄も何も。

 と、そこで何かに思い当たったようで、麗瑛がぱっと顔を上げる。


「おばあさま。あの方は日参していると言ってましたけど――」

「ちょっと待ってください瑛さま」

「何よ」

「いや、もしかしてなんですけど……聞いてましたね?」


 麗瑛も范太后と同様、幕の内側でいて直接対面していないはずである。それでいて例の女人――鵬媛のことを強烈と評したり、今の言葉も漏れ聞こえてきた声を聴いたというより、はっきり様子をうかがっていたとしか思えない。自分たちもやったように、幕をわずかに押し広げて外の様子をうかがうことはできる。麗瑛がそれをやったのなら。


「あら、何かあれば加勢しなきゃいけないと思っただけよ」

「いや喧嘩じゃないんですから。それに太后さまの前でそんな」

「お叱りを受けるならもう言われてるはずだわ」


 とはいうものの、何かあれば駆けつけてくれようとしたのだろうと思えば素直に悪い気はしないし、自分だってそうしただろうと思えてしまう。不作法そのものの振る舞いなのは間違いないとはいえ。


「不作法なのは当人がわかっているでしょう。わざわざ婆に窘められなければ改められないような子供でもありますまい」

「またおばあさまはそうやってご自分を過剰にお年寄りぶられておっしゃられる。全然お似合いではないのに」

「いい年をした孫がいる人間にそんなことを言うものではありませんよ。それで? 何か言いかけたことがあったのは何です?」


 とはいえ天香は麗瑛の言葉に同意したい。実年はどうあれ、彼女に悪い意味での老いというものは感じられないのだから。

 天香が中断させてしまった言葉の続きを麗瑛が言う。


「あの方は日参していると言っていたけれど、本当にそうなのかお聞きしようかと。それだけです」

「日参などとは大げさ。せいぜいが二、三日に一度です」


 あっさりと鵬媛の嘘――というよりも話を盛ったのだろう。それを太后はばらす。とはいえそれでも相当な頻度だ。


「なんというか、お察しいたします……」

「それは何をしにいらっしゃってたのかしらね」


 麗瑛の疑問は、しかし疑問というよりも確認だろう。天香にだって気づくことを、麗瑛が本心から分かっていないとは思いにくい。

 そして案の定、天香の予想にたがわない言葉を、范太后は返す。


「妃の親が(わたくし)に言うことなど一つですよ。『ぜひ我が娘を正妃に。太后さまからも主上にお働き掛けを』――とね」


 ですよねえ、というのが、天香の偽らざる心境だった。



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