涙の理由
オレは舞華が出ていった出入口に向かって進んでいった。
教室を出てすぐのところ。お嬢様は「遅い」とでも言いたげな視線を送ってきた。
「悪い、待たせちまったか?」
「……別に」
それだけ言ってまた歩き出した。
その背を追いながら、どうすれば誤魔化せられるか算段を働かせる。
歩くことこと数分。舞華に連れてこられた場所は、誰もいない屋上だった。
心地よい太陽の光と、肌を撫でつける爽やかな風の遊び場。高い所から眺める周囲の景色は壮観なものだ。
そのような場所に女の子に案内されて二人きり。相手は名家のご令嬢で美少女ときた。ドラマやマンガでよく見る、誰もが憧れるシチュエーションに違いない。
普通のやつなら「うわぁい、やったぁ! 美少女からの告白だぁ!」と馬鹿丸出しにして、手放しに喜ぶだろうな。
……いや、流石に目の前でしたら引くか。なんにせよ、遠かれ近かれ似たような反応になるだろう。
しかし、オレの胸が一向にときめく気配がないのは、オレが男として枯れているからだろうか。
なんて、逃避をしている暇はないらしい。
屋上の扉を外側から施錠した舞華は剣呑な雰囲気を醸し出している。
「ねぇ、恭弥。どういうことか説明して欲しいんだけど?」
やはり待ち受けていたのは甘い告白などではなくオレへの追求であった。完全に予想通りの展開にげんなりする。
大体、そう言われても「はい、分かりました。全部お話しましょう」なんて言うはずないだろ。
舞華にはオレが天月恭弥と同一人物である事を知られたくないし、舞華の護衛任務を請け負っている事については規定上知られてはいけない。
まぁ、前者はいきなりアウトっぽいけど。
それでもやることは変わらない。
「えーと、初対面の女の子にいきなりこんな所に連れてこられて、突然説明しろって言われても何の事か分かんないんだけど」
オレは心の底から困った表情を作り、あくまで舞華とは初対面である転入生の東雲恭弥として話を始めた。
「とぼけないでよ! あなた恭弥でしょ!?」
「確かにオレはさっきも自己紹介した通り名前は恭弥だけど、オレと君は初対面のはずだと思うけど。もしかしてどこかで会ったりしたか?」
しらを切ってそう返すと、舞華はひどく憤慨した様子でこちらに詰め寄ってきた。結構近くまで詰め寄ってくるんだな。お兄さん少しビックリだよ。
それにしても相変わらず綺麗な瞳をしている。サファイアを彷彿とさせる蒼い輝きは以前と変わっていなかった。
顔立ちも写真で見るよりも、何倍も美少女に映っている。やはり、五年の歳月は、互いに見ぬ間に互いを成長させていたようだ。
自然とそう思える趣など露知らず、彼女の怒りがそれを台無しにしていた。
「これでもまだとぼけるつもり!?」
激しく激昂する舞華。彼女はポケットから携帯電話を取りだした。それから何度か操作し、画面を見せるように突きつけてきた。
そこに画面に標示されていたのは、一枚の画像データ。
幼い頃のオレが真ん中にいて、かつての姉の凛と舞華が挟むようにして座っており、三人とも楽しそうに笑っている姿。
オレが欠陥品と揶揄され、蔑まれる前のものだった。
とても思い出の深い写真である。
「これに写っているのはあなた以外の誰だって言うのよ!」
問い詰めるようにそう叫んだ。確かにこれに写っているのはオレ以外の誰でもなかった。だからこそ、その指摘は正しいと言える。
それでもオレはあくまで別人を装い続けた。
「どこにオレがいるんだ? ……もしかしてオレってからかわれてるのか?」
「ここに決まってるじゃない! どこまでとぼけるつもり!?」
舞華が指差すのは、真ん中で楽しそうに笑っている昔のオレの姿。
問い詰める証拠としては中々いい物だけど、逆にそれが抜け道となっていることに気付いていないようらしい。
この写真を持ち出した時点ですでに決着はついていたのだ。昔のオレと今のオレでは、決定的に違う点が存在している。
オレは自分の頭を指差した。
「なぁ、この子供の髪と瞳。オレと全然違ってないか?」
呆れた体でため息をついて見せる。
そう、昔のオレは紅蓮色の髪に同色の瞳をしていた。
だが、今は白銀の髪に琥珀の瞳をしている。
以前とは間違えようにも、間違えようのないくらいに違いすぎた。大方、雰囲気と下の名前で判断したのだろうが、たったそれだけの要素で完全に問い詰めるのは無理だ。
オレのもっともな指摘に、舞華は僅かにたじろいだように後ずさる。
「これで人違いって分かってくれたか?」
オレはさっさとこの茶番劇を終わらせようと、話の打ち切りを促す。
それでも、未だに舞華は納得がいかないといった様子で首を横に振っていた。
「……まだよ。だって生徒手帳があるもん」
「生徒手帳?」
なんでこのタイミングで生徒手帳が出てきたのか理解できない。舞華の言葉の意味が分からず、彼女の言葉を復唱した。
「そうよ。生徒手帳に記載されている情報は絶対に偽装することが出来ないの。あなたが別人なら見せれるはずよ!」
指をこちらに突き付けてくる舞華。
なるほど、そういうことか。今の舞華の説明で、彼女の意図を察することができた。
情報を偽装することが出来ないのなら、記載されている生年月日やら血液型を確認すれば別人かどうかはっきりする。
故に見せられなかったり、本当の情報が記載されていれば一発アウトってわけだ。
オレの言葉が嘘か真か。それが最も分かりやすい判断材料になるになると踏んだのだろう。
でも悪いがそこも証拠にはなりえない。藤十郎には手続きの際、必要な情報を偽って記載するように頼んでおいた。
生年月日はもちろん、血液型や経歴まで。名前と年齢以外は何一つとして一致することはない。
だから記載されている情報は全部偽物だ。
自分で頼んどいてあれだが、まさかこんな風に役に立つとは思わなかった。我ながら自分の周到さを手放しに褒めてやりたいものだ。
オレはパラパラと取り出した生徒手帳をめくっていく。
「これでいいか?」
生徒手帳のページの終わり辺り。そこに舞華の望んでいるであろう情報は記載されていた。
そして、それを見せる。
対する舞華の反応は、
「……うそ」
小さな声で呟き、俯いてしまった。ほとんど確信していただけに、それが否定されたのだから相当堪えたのだろう。
彼女が確認した情報は全てデタラメ。オレに繋がる情報なんて名前くらいしかない。
それでもその事を知らない彼女にとっては、目の前にある情報が真実となっていた。
「……やっと……やっと、見つけたと思ったのに…………」
舞華はすぐ側にいるオレでも、辛うじて聞き取れる音量で呟く。その声は泣く一歩寸前といったものに感じられた。
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長く、そして重い静寂が二人の間に訪れる。
耳に掠めるのは風の音のみ。口を動かそうにも、体を動かそうにも、思いのほか上手く機能しない。
どれくらい時間が経ったことだろうか。しばらくしてその静寂を破ったのは、ほとんど無意識にオレの口からこぼれた言葉だった。
「なぁ、なんでお前はそんなにも必死になってたんだ? その恭弥って奴は、お前にとってどんな存在だったんだ? そこまで必死になる価値がある奴なのか?」
思ってもみない問いかけ。自分でもなんでこんな質問をしたのか分からない。
それに嘘をついている立場のくせにそんなことを聞いてどうするつもりだろう。自分の無意識の言動に自己嫌悪してしまう。
ちらりと舞華の様子を窺ってみると、舞華は俯いたまま黙っている。
それが当たり前の反応。初対面と認識した相手に、自分の心の内を晒す理由がない。
そう思っていたのだが、予想外にも顔を上げた舞華はオレを見据え、悲しげな表情でゆっくりと話し始めた。
「……私の知ってる恭弥ってやつはね、周りの人達に欠陥品って呼ばれてたんだ。天月家に生まれたのにも関わらず魔法が使えない欠陥品ってね」
他者の口から語られる自分の過去。突然に過去の呼び方を出されたものだから、思わず声が出そうになった。
天月に生まれた魔法の使えない欠陥品。昔のオレに付けられた呼び名であり、オレに押された呪いにも近い烙印。
この言葉を聞いたのはいつぶりだろうか。
この烙印が全ての始まりだった。
オレの存在事態を馬鹿にされ、蔑まれ、見下され、とことん否定される日々。時には罵られ、暴力を振るわれ、ストレスの捌け口にされ、とことん迫害されてきた。
子供の頃のオレには結構堪えたんだよな。
尚も舞華は語る。
「……それでも恭弥は諦めないで、誰よりもたくさん努力する強いやつだったの」
舞華の言う通り、あの頃のオレは確かに誰よりも努力していた。でもそれは自分を取り巻く全てを見返してやるためだ。褒められることじゃない。
それに強いってのは違う。あの頃のオレは虚しいくらいに弱かった。だから欠陥品なんて呼び方をされてたんだ。
「……それにね、自分の方が何倍も辛いはずなのに私が泣いてたら『大丈夫』って言って、私が泣き止むまでずっと側に居てくれるようなやつだったの」
オレにとってはそんなの当たり前だった。自分の目の前で泣いてる幼馴染みがいて放っておけるわけがない。
泣かないで欲しい。笑っていて欲しいと思うのは当然のことだ。あの頃のオレにはそれくらいのことしかしてやれなかった。
「……だから……だから、ずっと側に居て欲しかった……私にとって、大切な人、だった…………」
語る舞華の瞳からは、ついに涙が零れていた。
こんな弱いオレのことを、そんなに大切にしててくれてたのか……。
舞華の口から発せられる一つ一つの言葉が、深く深く胸に突き刺さる。オレは舞華の話を黙って聞き続けることしか出来なかった。
「だけど……五年前に急に居なくなっちゃったの。それで今日、その恭弥に似てて、名前も同じ君が転校してきたから……勝手に勘違いしちゃって…………ごめんなさい」
舞華は頭を下げて謝った。
どうやら真実は誤魔化せたらしい。これでもう片方の心配事も消えた。もう正体を疑われることはない。
しかし、安堵と同時に罪悪感が重くのし掛かった。
「謝らないでくれよ」 ―――本当は間違ってないんだから。
本当はオレが天月恭弥だと。今まで苦しめて済まなかったと。
いっそ本当の事を全て話してしまいたい。そんな考えがオレの頭の中を引っ掻き回す。
だけどそれは許されない。オレは『東雲恭弥』であって、『天月恭弥』ではなくなっている。
つまりオレは彼女の求める過去の『天月恭弥』ではない。それが分かっているだけに尚に辛かった。
嗚呼、自分の事を真剣に考えてくれてる人に嘘を吐くのはこんなにも辛い。
そうは思うが、それでもこれが自分で選んだ道だった。他の誰でもないこのオレが。どんなに辛くて苦しくとも最後までこの嘘を突き通すしかない。
オレは更に嘘を重ねた。
「大丈夫だって。きっとその恭弥って奴もその内、ひょっこり帰って来るって。お前はその時にしっかり叱ってやればいいさ」
オレはそっと舞華の頭に手を置き、ゆっくりと撫でた。
今の『東雲恭弥』であるオレには、このくらいの事しかしてやれない。
精一杯の謝罪。それを込めてやんわりと手を動かす。
舞華は動く手を振り払うことなく、撫でられていることに甘んじていた。
それから涙を拭ってわずかに微笑む。
「ふふっ、温かい手だね。こんなとこまで恭弥にそっくりだよ」
「そうか」
そっくりだなんて言わないで欲しかった。昔のオレは純粋に安心させてあげたかったから「大丈夫」と言い、泣き止むまでずっと側に居た。
だが今のは違う。ただ嘘を重ねただけだ。そこにオレの心はない。
本当に辛くて苦しくて仕方ない。やはりこの依頼は受けるべきではなかった。
オレは心の中にある苦い感情を押し殺しながら、場の雰囲気を変えるために口を開いた。
「さて、しんみりした話はここで終わりにして、あらためて自己紹介しようか。今日から転入することになった東雲恭弥だ。これからよろしくな」
「私は天堂舞華。苗字の通り天族の生まれだけど、気にせずに接してくれたら嬉しい」
「あぁ、了解だ。話も一段落したことだし、そろそろ教室に戻ろうか。最初の授業から遅刻するわけにもいかないからな」
「そうだね」
お互いに初対面としての自己紹介を終らせたオレ達は、教室に戻るための道筋を辿る。
その最中、歩くオレ達の間には一切の会話が無かった。ひたすら無言のまま、ただただ歩き続ける。それが今のオレが、舞華に対して出来る唯一の気遣いだった。
来た時と同じくらいの時間を経て、さっきまでいた教室の前に着く。
オレは舞華の表情を横目に窺う。そこには涙の跡は残っていなかった。
その視線に気付いたらしく、舞華は小さく首を縦にする。もう開けても問題ないようだ。
教室の扉を開けて中に入った。
そして、たちまちオレは――――
主人公のことを大切に思うヒロインの姿。
きちんとうまく書けてたでしょうか?
幼馴染みポジションである舞華。
どんどん魅力的に見えるよう書いていきたいと思います(*^^*)